約 1,358,093 件
https://w.atwiki.jp/aocbackup/pages/26.html
■文明ボーナス * 弓騎系の発射速度 +30% * 騎兵・ハサーのHP +30% * 狩りをする人の作業速度 +50% ■チームボーナス * 斥候系の視界 +2 ■固有テクノロジー * 演習 (包囲攻撃訓練所のユニットの移動速度 +50%) ■固有ユニット * マングダイ (弓騎兵) 狩りボーナスのおかげで暗黒内政は全文明中トップクラス。 とにかく暗黒内政が強いので軍平・20人弓等速攻も可能。 斥候の視界ボーナスは地味ながらかなり有効。 前衛 狩りボーナスのおかげで暗黒で肉が500溜まらないということは余程のことが無い限り無いです。粉引きは苺・鹿どちらに立てるかは配置で。 鹿はモンゴルなら確実に食べましょう。資源量が違います。 さんぺ・弓・斥候・軍平お好きに。 後衛 血統国なので普通に即城騎士でおkかと。苺を二人か四人鹿に割り振ると城主序盤で騎士3回しとかできるっぽい。極序盤だけですが。 また駱駝も出せるので多少の騎士負けも挽回可能かと。 ただ領主・城主の内政ボーナスは無いに等しいのでどれだけ序盤のアドバンテージを生かすかにかかっています。 帝王 内政ボーナスも無いので多少太く進化したほうがいいかも。 弓が残ってるなら重弓でもいいけどとりあえずフルアップELマングの強さが際立つ。数さえそろえば近衛騎士も打ち抜く威力。 ただユニーク共通の弱点である城からのみの生産、また生産速度の遅さから切り替えるなら帝王押してからINまでにある程度生産。 IN後にはそれぞれEL化・小手・化学・パルディアンを一度にするのが理想。まぁ無理だろうから騎兵だしつつハサーにしてお茶を濁してその間にさくっと研究がいいかな。 フルアップで素騎士とほぼ同性能のハサーを肉壁で。 ただボーナスあるとはいえ騎馬鎧3段階が無いので他文明ハサーとそれほど差別化はされてない気がしますけどね。 RAMは包囲技術と演習をつければ激しく抜きされます。 編成はハサー・マング・白RAM編成でおkかと。 他にはフルアップする近衛剣士とか歩兵系も以外に充実。矛槍ないけど。 包囲小屋も全部開発できると充実。白RAMしか多分使わないけど。 暗黒からのアドバンテージをどれだけ生かすかにかかる文明ですね。
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/7798.html
中国 / 中国の政治 / チベット / 新疆ウイグル自治区 +クチコミ検索〔中国の人権〕 #bf +ブログサーチ〔中国の人権〕 #blogsearch +ニュースサーチ〔中国の人権〕 【舛添直言】外交的ボイコットに見る「五輪=平和の祭典」の虚構 習近平もバイデンも政治利用、政治絡み・カネ絡みのリアルな実態(1/5) - JBpress 米、中国AI企業に投資禁止 ウイグル監視技術を開発―民主主義サミット - 時事通信ニュース 今を生きる、今を書く:/15 IOCの社会的責任=町田樹 - 毎日新聞 高市政調会長 北京五輪「外交ボイコットすべき」(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【観察眼】人権問題にかこつけて中国に危害を加えれば自らが汚辱にまみれる - 中国国際放送 中国のウイグル族弾圧を「ジェノサイド」と認定=英民衆法廷 - BBCニュース 【カンボジア】カンボジアへの武器禁輸措置、米政府が発動(NNA) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース フジ解説委員・風間晋氏 北京五輪の外交ボイコット同調拡大に「中国としてこれ以上増えていくのは…」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国総領事、吠える 安田峰俊・薛剣|文藝春秋digital - 文藝春秋digital 中国の人権派弁護士、自宅で“軟禁状態”に(日本テレビ系(NNN)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国の人権派弁護士、自宅で“軟禁状態”に|日テレNEWS24 - 日テレNEWS24 10日からG7外相会合 ASEANを初招待(産経新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 拘留経験がある中国の人権派弁護士がペンの安否を懸念「彼女は安全ではないし、状況は良くない」<SMASH>(THE DIGEST) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国政府、記者に個人情報収集アプリのインストールを強制=国境なき記者団(朝鮮日報日本語版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 米下院、ウイグル産品輸入禁止法案可決 中国の人権問題巡り(毎日新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 虎のソナタ 怒る人、泣く人、代理人立て争う人 悲喜こもごも面白かった昔の契約交渉取材(サンケイスポーツ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース イギリスとカナダも北京五輪「外交的ボイコット」 人権に懸念 - NHK NEWS WEB 習氏、中国独自の人権観アピール 各国は「国情に合った人権発展を」(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 超党派5議連、採択働きかけへ 対中決議 - 産経ニュース 「ボイコット北京」=韓国メディアのコラム(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 豪も五輪の外交ボイコット表明 人権侵害理由、中国反発(共同通信) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 豪も五輪の外交ボイコット表明 人権侵害理由、中国反発 - 47NEWS バッハ会長 彭帥問題など中国人権問題「五輪では解決できない」 独通信社に(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 独新政権、中国に人権で強硬か 8日発足 - 産経ニュース 米、北京五輪を外交ボイコット 中国の人権侵害に抗議 - 47NEWS 米、北京五輪を「外交ボイコット」=人権侵害に対抗措置―中国「ごまかし」と反発 (2021年12月7日) - エキサイトニュース 米、北京五輪を外交ボイコット - 福井新聞 中国 新疆で住民の「民主的な権利」を保障と主張(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 彭帥さん問題で政府に厳しい対応求める声 自民部会(産経新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 米、中国の人権侵害阻止へ輸出管理枠組み 日欧と協力(写真=ロイター) - 日本経済新聞 社説:企業の人権対応 取り組み広げるルールを(京都新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ダリオ氏に中国の人権問題軽視の批判-「厳格な親」誤解与えたと釈明 - ブルームバーグ 海外から中国に移送される台湾人――犯罪人引渡し条約の政治利用とは - BLOGOS 北京五輪期間の休戦決議、日米豪印は参加せず…中国の人権状況懸念か(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 彭帥問題で国際人権団体が中国を「人権侵害者」認定 かばうIOCも糾弾(東スポWeb) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 人民の幸福な生活こそ最大の人権 「中国の民主」白書_中国網_日本語 - チャイナネット 「米-EU」高位級外交会談…「中国の人権弾圧」に懸念表明(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ロシアやイラン、国際テロ組織と並ぶ「中国は4大脅威」MI6・ムーア長官が異例の演説 英BBCは習主席らのウイグル弾圧関与を報道 識者「現状のままでは日本は自由主義陣営から軽蔑される」(夕刊フジ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ウィリアム・リー 中国の人権侵害 国連でスピーチ - 中日新聞 日本外務省、中国をけん制するため人権担当官を来年新設(朝鮮日報日本語版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 外務省 「人権侵害対策担当」企画官のポスト 来年度新設へ調整 - NHK NEWS WEB ウイグルの人権侵害「深刻な懸念」 松野官房長官(西日本新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 谷原章介 女子テニスの中国開催中止「有名選手で大きな話題…無名のウイグルの方で消息不明の方も多数」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ドイツ新外相「“人権”を中心に外交を」…「中国と対話する準備は出来ている」(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 台湾の離島奪取も示唆、「愛される中国」の掛け声どこへいった(JBpress) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 豪議会、人権侵害に制裁の法案可決 ウイグル問題念頭(写真=ロイター) - 日本経済新聞 JOC山下会長、中国の人権問題スルーの裏に「札幌五輪」招致案(JBpress) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【宮家邦彦のWorld Watch】人権外交、中国の弱点を突け - 産経ニュース 中国「内モンゴル人権弾圧」の実態 当局による民族同化政策 揚氏「日本国内でも集会を組織的に妨害」(夕刊フジ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 安倍元首相「台湾有事は日本有事」中国けん制 TPP台湾加入を支持(毎日新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ウイグル弾圧、習主席らの関与示す「新疆文書」が流出 - BBCニュース 中国化する北朝鮮、北朝鮮化する中国 習近平の“金正恩化”が目立つ(クーリエ・ジャポン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 新疆での人権侵害を否定 中国政府が説明会(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「米中二股外交」で岸田政権“大失態”か 林外相自ら訪中要請公表…訪中すれば米国反感、しなければ中国侮辱(夕刊フジ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国の人権派弁護士に資格取り消し通知 北京当局(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「サンモニ」青木理氏「日本の人権問題」指摘 北京五輪語らず「足下」問い直せ(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 岸田首相、中国人権に強い懸念 - 東奥日報 中国の人権状況「強く懸念」 - 福島経済新聞 今度はディオールの写真を「人種差別」と吊し上げた中国共産党の真意(ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 岸田首相、中国の人権弾圧念頭に「強く懸念」 - 産経ニュース 日本外交「対応力高く、低重心の姿勢で」 林外相、一問一答(毎日新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース EU、対中制裁延長を承認 ウイグル弾圧巡り(ロイター) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【北京五輪】反対デモが世界各地に普及 ポンペオ元米国務長官も賛同(東スポWeb) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ほんこんが中国の女子テニス選手の人権問題に言及「立民女子の皆様宜しくお願いします」(東スポWeb) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 台湾統一に向けた中国の実力行使が2027年に始まると見る理由(JBpress) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 地方議会に抗議を続ける中国 曖昧さ捨て日本の姿勢示せ - WEDGE Infinity 杉村太蔵 北京五輪の外交ボイコット、中国の人権問題に「内政に関しては見て見ぬふりという考え方も」 - スポニチアネックス Sponichi Annex ウイグル協会 中国人権調査と抗議を 全地方議会に訴え - 産経ニュース 政府、企業の人権問題対応を支援 ウイグル巡り国際課題に(共同通信) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース バイデン政権は北京五輪で「外交的ボイコット」を行うべき(Forbes JAPAN) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国のウイグル族への人権侵害:日本は強硬姿勢を明確にせよ 「法律がない」はもはや通用しない、日本版マグニツキー法制定を(1/7) - JBpress 中国のウイグル族への人権侵害:日本は強硬姿勢を明確にせよ(JBpress) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 北米3カ国首脳、5年ぶり会談 中国の人権問題念頭に結束固める - 毎日新聞 - 毎日新聞 対中非難決議なお不透明 推進議連の活動かぎ - 産経ニュース 林氏、台湾とウイグル人権を提起 中国外相と電話会談 - 東京新聞 「台湾問題・人権問題・関税引き上げ」火種満載での米中首脳会談 衝突回避に具体策は?(FNNプライムオンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース バイデン氏、中国の人権問題で懸念表明(共同通信) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 仏当局、罪の隠蔽の疑いでユニクロを捜査…中国の店舗数が国内を逆転、経営リスクも - Business Journal 台湾や人権問題めぐり応酬 バイデン大統領・習国家主席がオンライン会談 - www.fnn.jp 首相、人権侵害法見送りへ 対中外交に選択の余地(共同通信) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース [FT]北京五輪スポンサー企業を突き上げる人権団体(写真=ロイター) - 日本経済新聞 中国の人権問題巡り北京五輪スポンサーに措置要求 - テレビ朝日 中国 新疆ウイグル自治区の人権状況めぐり国連で非難の応酬 - NHK NEWS WEB 中国の人権問題 ~日本からも明確なメッセージを出すべき(ニッポン放送) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 池上彰が解説「なぜ中国はウイグル弾圧?」の核心 - 東洋経済オンライン 中国の人権問題は、欧米の制裁が「厳しすぎる」とは言えないほど深刻だ - ダイヤモンド・オンライン 台湾、リトアニアに代表処設置 中国の人権侵害で接近 - 産経ニュース 国連人権理事会で浮かび上がる中国の人権戦略 - swissinfo.ch 「中国共産党の人権の尊重と保障の偉大な実践」白書発表 - people.com.cn 中国での人権侵害を非難する国会決議は幻に 安倍氏後押しも与党内からブレーキ…舞台裏の攻防 - FNNプライムオンライン 中国のウイグル族弾圧は「地獄のような光景」=アムネスティ報告書 - BBCニュース 共産党の名に値しない中国の党 国際世論で包囲すべきだ | | 笠井亮 - 毎日新聞 社説:ウイグルの人権問題 中国は調査の受け入れを - 毎日新聞 新疆ウイグルの「人権問題」は、日本企業と中国投資のリスク - トウシル 新疆の人権状況を改善するにはどうしたらよいのか? - Newsweekjapan 中国の弾圧で人権を踏みにじられるウイグル女性たち 悲惨な虐待の実態と、必死の抵抗 - Newsweekjapan 中国の人権問題/国際法に則して批判を/志位氏 - しんぶん赤旗 ウイグルの人権問題で欧米が制裁 中国は反発 日本の対応は - NHK NEWS WEB 欧米、中国に制裁を発動 ウイグル族への「人権侵害」で - BBCニュース 中国の人権侵害は文化の産物?バイデン発言の波紋 - JBpress ● 中国の人権問題〔Wikipedia〕 ●☆ 日本共産党中央委員会 委員長 志位和夫殿 - 中国共産党との理論交流についての批判(2010/10/13 徳島県 高木 純) ウイグル問題をめぐるハフポスト日本版の「アシックス」報道が思いっきり否定されてるんだけど・・・ アシックス本社は声明の許可を出していない?中国法人の新疆ウイグル自治区めぐる声明でハフポストと異なる報道、豪ABC | KSL-Live! https //t.co/UvONxHzDIL 、 — KSL-Live!(竹本てつじ) (@ksl_live) March 30, 2021 ■ ウイグル人強制労働に関与!日本企業11社含むグローバル企業リスト【及川幸久−BREAKING−】 2020/06/25 及川幸久 クワイト・フランクリー 中国にサピライチェーンを持つグローバル企業83社のうち、名前の挙がっている日本企業は、 ーーー ■ Uyghurs for sale (※mono....詳細は略、赤字は日本企業) In all, ASPI’s research has identified 83 foreign and Chinese companies directly or indirectly benefiting from the use of Uyghur workers outside Xinjiang through potentially abusive labour transfer programs as recently as 2019 Abercrombie Fitch, Acer, Adidas, Alstom, Amazon, Apple, ASUS, BAIC Motor, BMW, Bombardier, Bosch, BYD, Calvin Klein, Candy, Carter’s, Cerruti 1881, Changan Automobile, Cisco, CRRC, Dell, Electrolux, Fila, Founder Group, GAC Group (automobiles), Gap, Geely Auto, General Motors, Google, Goertek, H M, Haier, Hart Schaffner Marx, Hisense, Hitachi, HP, HTC, Huawei, iFlyTek, Jack Jones, Jaguar, Japan Display Inc., L.L.Bean, Lacoste, Land Rover, Lenovo, LG, Li-Ning, Mayor, Meizu, Mercedes-Benz, MG, Microsoft, Mitsubishi, Mitsumi, Nike, Nintendo, Nokia, The North Face, Oculus, Oppo, Panasonic, Polo Ralph Lauren, Puma, Roewe, SAIC Motor, Samsung, SGMW, Sharp, Siemens, Skechers, Sony, TDK, Tommy Hilfiger, Toshiba, Tsinghua Tongfang, Uniqlo, Victoria’s Secret, Vivo, Volkswagen, Xiaomi, Zara, Zegna, ZTE. Some brands are linked with multiple factories. ★ 人権派の拘束・連行100人超に=団結する弁護士に圧力-中国 「時事通信(2015.7.13)」より / 【北京時事】中国公安当局が人権派の弁護士事務所を摘発した事件で、全国で13日までに拘束・連行された人権派弁護士や活動家らは、一時的なものも含めて107人に達した。人権活動家の集計などで明らかになった。 事件では人権問題に取り組む「北京鋒鋭弁護士事務所」が摘発され、事務所の著名女性弁護士・王宇氏や、主任の周世鋒弁護士ら6人が刑事拘束された。このほか拘束・連行された弁護士らが16人に上るほか、85人が一時的に連行され、事情聴取されるなどした。 107人のうち約80人は弁護士とみられる。習近平政権は人権侵害事件の支援を通じて団結を強める弁護士の動きに危機感を持っており、圧力を加える狙いがあるとみられる。(2015/07/13-08 31) ーーーーー ★ 連行、100人以上に…米国務省「深い懸念」を表明 「産経ニュース(2015.7.13)」より / 【北京=矢板明夫、ワシントン=加納宏幸】中国の治安当局が9日ごろから各地で多数の人権派弁護士や活動家を連行している問題で、その数が13日までに100人以上に達したことが分かった。北京の弁護士事務所関係者が明らかにした。拘束されたのは王宇氏や周世鋒氏ら、陳情者や農民工など社会的に弱い立場の人々の支援を中心に活動する弁護士が大半という。 中国の官製メディア、国営中央テレビなどは12日、拘束された一部の弁護士の名前を挙げ、「普通の刑事事件などを政治問題化し、インターネットなどを通じて政府を攻撃した」などと批判した上で、周氏が運営する「北京鋒鋭弁護士事務所」を「騒動を挑発し社会秩序を乱した重大犯罪グループ」と断罪し、一斉摘発はそのネットワークの壊滅が目的だと伝えた。 一方、中国では13日、NHK海外放送の昼のニュース番組の画面が約2分間にわたり真っ暗になり、放映が中断された。弁護士連行のニュースについて当局が検閲したとみられる。 中国の著名な法律学者で元中国政法大学長の江平氏は12日、北京市内での講演で「弁護士が自らの人権も守れないなら、どうして市民の人権を守れるのか」と当局の手法を批判した。 また、米国務省のカービー報道官は12日、拘束に「深い懸念」を表明する声明を発表した。声明は中国に対し、人権尊重とすべての拘束者の釈放を要求。「平和的に他人の権利を守ろうとしたことを理由に組織的に拘束が行われた」と懸念を示した。 ーーーーー ★ 中国、人権派弁護士を一斉拘束 60人前後 批判言論封じの見せしめか? 「産経ニュース(2015.7.11)」より / 【北京=矢板明夫】中国の公安当局が9日から11日にかけて、北京、河北省、広東省など全国各地で、人権派弁護士やその関係者を30人以上拘束したことが分かった。弁護士仲間やその家族らが明らかにした。未確認情報を含めれば、今回の拘束者は60人前後に達する。中国では当局に批判的な人権派弁護士が逮捕されることはあるが、これだけ大規模な一斉拘束は珍しい。共産党中央で治安を担当する政法委員会に指示された可能性がある。 関係者によると、北京の著名な女性人権派弁護士、王宇氏は9日未明、自宅から連行された。夫の人権活動家、包竜軍氏も同日、連絡が取れなくなり、拘束された可能性が高い。夫婦は陳情者などの弱者支援を中心に活動しており、治安当局から尾行や盗聴などの嫌がらせを受けていた。 10日午前11時ごろ、王氏が所属する北京の弁護士事務所が警察の強制捜査を受け、複数の関係者が連行された。ほぼ同じころ、天津や河北省で人権派弁護士が拘束された。広州で拘束された隋牧青氏は、警察から「騒ぎを起こそうとした」と容疑を告げられており、起訴される可能性もある。 拘束された弁護士のうち、11日夕までに釈放された人もいるが、ほとんどは消息が分からず、拘束の理由と居場所は家族にも伝えられていないという。 中国当局は最近、政府に批判的な言論への締め付けを強化し、多くの改革派知識人や人権活動家らが逮捕、起訴された。その後の裁判などで、弁護を引き受けた人権派弁護士氏らが司法当局と対決し、メディアやインターネットなどを通じて当局の横暴を批判する例が増えている。 今回拘束された弁護士の中には、その中心的な人物も複数含まれており、当局が批判封じのために見せしめで行った可能性もある。 ーーーーー ★ 中国人権派弁護士ら7人失踪 当局が連行か? 「産経ニュース(2015.7.10)」より / 中国の著名な女性人権派弁護士、王宇氏のほか、別の弁護士や事務所スタッフら計7人と連絡が取れなくなっていることが10日分かった。当局に連行されたとみられるが、理由は不明。支援者が明らかにした。 王氏は宗教の自由や少数民族問題などに取り組み、これまでも当局の圧力を受けていた。中国各地の人権派弁護士ら約100人は10日、即時釈放を求める声明を出した。 複数の支援者によると、王氏は9日早朝、北京の自宅から知人に「誰かがドアをこじ開けようとしている」と知らせた後、連絡が途絶えた。当時、自宅周辺には数十人の警官が集まっていたという。 10日には、別の人権派弁護士4人とも連絡が取れなくなり、王氏の所属する弁護士事務所のスタッフ2人も行方不明になった。(共同) ★ 「対テロ」口実の死刑執行、中国が突出 人権団体「数千人に上る可能性」 「産経ニュース(2015.4.1)」より / 国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは1日、2014年の世界の死刑に関する報告書を発表、中国やパキスタンでテロ対策を口実に死刑を科す動きが目立っているとの懸念を表明した。 国・地域別では中国の執行数が世界で突出し、数千人に上る可能性があると指摘。ただ、情報が不足しているとして具体的な数は記していない。 同団体は、中国政府が新疆ウイグル自治区で頻発する暴力行為に「テロとの戦い」を口実に弾圧手段として死刑を利用していると批判。不公正な裁判の結果、死刑が科される例もあると懸念した。 パキスタンについても、北西部ペシャワルで昨年12月に起きた学校襲撃事件を受け、同国政府がテロ事件について死刑の一時停止措置を解除したことに言及。「死刑は禁錮刑より犯罪抑止効果が高いという証拠はない」と訴えた。 ★ 民主活動家や弁護士、学者ら955人拘束 中国、昨年1年間で 「産経ニュース(2015.3.18)」より / 米国に拠点を置く人権団体「中国人権擁護者」は18日までに年次報告書を発表し、中国で昨年1年間に当局に拘束された人権・民主活動家や弁護士、学者らは計955人に上ったと明らかにした。 2012、13年の2年間の総計1160人に1年分だけで迫るもので、1990年代半ば以降で最も弾圧が厳しい1年だったと指摘。「習近平指導部の発足以降、中国当局は基本的人権に対して容赦ない攻撃を続けている」と批判している。 同団体によると、1989年の天安門事件から25年を迎えた昨年6月ごろと、香港で大規模な学生デモが起きた昨年秋ごろの2回にわたって大規模な摘発が行われ、212人が拘束された。昨年11月に国家分裂罪で無期懲役が確定したウイグル族学者、イリハム・トフティ氏を例に挙げ、「『反テロ』の名目で少数民族や宗教の自由に対する弾圧を強めている」と非難した。(共同) ★ 女性活動家を次々拘束、「国際女性の日」控え 「産経ニュース(2015.3.7)」より / 中国で、8日の「国際女性の日」に合わせ女性の権利向上を訴える活動を実施しようとした女性少なくとも5人が、公安当局に拘束されたことが7日分かった。支援する弁護士が同日明らかにした。 弁護士によると、拘束された女性たちは、平等な社会の実現を目指しセクハラに反対する活動を計画していたが、6日夜ごろから相次いで当局に連行されたという。 中国では5日から全国人民代表大会(全人代)が開かれており、当局は警戒を強化。治安維持のためとして、人権や民主活動家らへの監視を強めている。(共同) ★■ 中国の人権問題を日本人が無視する代償 「Newsweek-TOLYO EYI(2012.6.4)」より / 今週のコラムニスト:李小牧 〔5月30日号掲載〕 彼に初めて会ったのは、数年前に東京の明治公園で開かれたイベントだった。歌舞伎町案内人として超有名な私がメインゲストとして挨拶するのだと思っていたら、最初にマイクを握ったのが彼で思わずむっとした(笑)。さらにこの人物はあろうことか、中国からの「高度な自治」獲得を訴えるウイグル人だった。 彼の名前はイリハム・マハムティ。外国に住むウイグル人を束ねる世界ウイグル会議傘下の日本ウイグル協会の代表だ。漢族として中国で教育を受けた私にとって、少数民族の「独立」を求める動きは分裂主義にほかならなかった。ただ日本に20年住んで自由な報道に触れ、自分が中国で受けた教育はおかしいのではないかとも感じ始めていた。 イリハム氏のスピーチで一番印象に残ったのが、「何十万人というウイグル人女性が、漢族と結婚するため新疆ウイグル自治区の外に移住させられている」という話だ。実際、09年には広東省の工場で半強制的に移住させられたといわれるウイグル人労働者と漢族の労働者の衝突事件も起きている。わが故郷の湖南省にも、今から60年近く前に約8000人の未婚女性が、新疆ウイグル自治区に中国人兵士の結婚難を解消するため妻として送られたという似たような過去がある。自由な恋愛を信条とする私としては、どちらも看過できない出来事だ。 ウイグル人やチベット人は北京や上海といった中国の大都市でホテルに自由に泊まれず、宿泊するときにはホテルの近くの派出所に届け出る必要がある。北京オリンピックのときには、北京市内に自由に入ることができなかった。イリハム氏の言うように、「ウイグル人が中国人ではないことを中国自身が証明している」ようなものだ。 実は約1500人いるとされる日本在住のウイグル人で、イリハム氏の協会に参加しているのは数人しかいない。日本で働くウイグル人は、何らかの形で中国と関係のある企業に勤めるケースが多い。協会の活動に参加しているのが中国大使館にバレたら、出張で中国に入国したとたん治安機関に呼ばれ、仕事にならなくなる。みんなそれを恐れているのだ。 ■10人中9人が「日本留学希望」 先週、東京で世界ウイグル会議の代表大会が開かれ注目されたが、普段の日本人の関心は正直高いとはいえない。日本政府は中国政府の顔色をうかがって、ラビア・カーディル主席のビザをぎりぎりまで発行しなかった。要は経済成長でカネを握る中国を怒らせたくない、というわけだが、それでいいのだろうか。 盲目の人権活動家である陳光誠(チェン・コアンチョン)の軟禁脱出が騒ぎになったとき、私は日本のニュース映像を写真に撮って中国のマイクロブログにアップした。これまで同じやり方で投稿して検閲されたことはなかったが、今回は陳がサングラス姿で映った写真は数十秒後に削除された。 中国の人権問題は日本人にとっても人ごとではない。政府の気に食わない行動を取れば、出張中のサラリーマンが突然拘束されることもある──それが中国という国だ。人権問題の深刻化で政治リスクが高まれば、日本企業も工場をベトナムやタイに移転しなければならなくなる。 あまり大きな声では言えないのだが、日本のある政府機関が、在日ウイグル人や在日チベット人の政治活動を詳細に観察しているらしい。ただし、それは両民族を陰から応援するためではなく、あくまで国内での「トラブル防止」が目的のはず。日本政府に多くは期待できない。 国外留学希望者が10人いたら、9人は日本を希望するほどウイグル人は日本好きだ。彼らの人権に無関心なままだと、いずれイリハム氏のような親日家の信頼まで失ってしまう。 「中国人が言うな」と笑わないでほしい。少なくとも日本人よりは自由のありがたみを身に染みて知っているのだから。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー COLUMNIST PROFILE Lee Xiaomu 李小牧(リー・シャム) 1960年中国湖南省生まれ。バレエダンサー、文芸紙記者、貿易会社員などを経て88年にデザインを学ぶ私費留学生として来日。歌舞伎町に魅せられ、「歌舞伎町案内人」として活動し始める。作家、レストラン『湖南菜館』プロデューサーとしても活躍。近著に『歌舞伎町案内人の恋』(河出書房新社刊)『歌舞伎町より愛をこめて 路上から見た日本』(阪急コミュニケーションズ刊)がある。leexiaomu.com .
https://w.atwiki.jp/mongolhugjim/pages/112.html
社会言語学 荒井幸康(2006)『「言語」の統合と分離 1920-1940年代のモンゴル・ブリヤート・カルムイクの言語政策の相関関係を中心に』三元社 モンゴル国、ロシア連邦内のブリヤート、カルムイクなどと国境に隔たれてしまったモンゴル民族。今日その言語はおおもとでは同じながら、異なる正書法を持つことで方言差は大きくなり、政治的にも言語的にも分断されている。しかし共通の正書法をもつ可能性があった時代もあった。民族が言語政策によって分断される歴史を描いた。 田中克彦(2003)『言語の思想 国家と民族のことば』岩波書店 岩波現代文庫の1冊。言語と国家の関係を分析した論集。特に民族問題と密接に結び付いていたソ連の言語政策に詳しい。モンゴルについて、上の『「言語」の統合と分離』のもっと大まかな話題が扱われている。ちなみに荒井氏はこの田中氏の弟子。 その他言語学 小澤重男(1994)『元朝秘史』岩波書店 岩波新書の1冊。現存する「元朝秘史」はモンゴル語を漢字で音写した部分とそれに中国語訳をつけたものからなっている。その元朝秘史の成り立ちやモンゴル語で書かれていたという原典、チンギスハーン時代のモンゴル語を探る。 モンゴル語学習書 川越有希子(2001)『旅の指さし会話帳 16 モンゴル語』情報センター出版局 川越有希子(2005)『はじめてのモンゴル語 (アスカカルチャー)』、明日香出版社 近藤和正『すぐに役立つモンゴル語会話―日モ・モ日常用語小辞典付』テンブックス、2002年 プレブジャブ、塩谷茂樹 共著『初級モンゴル語』大学書林、2001年 塩谷茂樹、中嶋善輝(2011)『モンゴル語 (世界の言語シリーズ3)』、大阪大学出版会 モンゴル文字の学習書。キリル文字にも対応。 温品廉三『語学王 モンゴル語』三修社、1998年 温品廉三(2006)『ゼロから話せるモンゴル語』、三修社 橋本勝(2010)『ニューエクスプレス モンゴル語(CD付)』、白水社 山越康裕(2012)『詳しくわかるモンゴル語文法《CD付》』白水社 辞典 小沢重男(1983)『現代モンゴル語辞典』大学書林 モンゴルのブックリスト
https://w.atwiki.jp/chinatiku/pages/23.html
1 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/14(火) 13 26 14 ID cwVjzMAO0 中国の長い歴史の中で登場した数多くの武将たちの中から、特筆に値するであろう名将百名を選ぼうというスレです。 要は作家の田中某氏の著作「中国武将列伝」と同じ企画ですが、田中某氏の評価に従う必要はなく、各人それぞれの 評価によって、百選に入れるべき武将を推挙して下さい。 ・推挙する武将については、その理由を述べること。 ・対象となる武将は、近世以前の武将とし、近代以降の軍人は含めない。 ・対象となる武将は、特定の時代に偏らないように配慮する。 以上の三点に留意して、中国名将百選を決めましょう。 2 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/14(火) 14 05 37 ID KM7ddCw40 君は含まれるの?それとも臣だけ? 軍師、謀臣はNG? 3 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/14(火) 14 08 32 ID YBw/bV9U0 それも含めて、まずは話し合ったらいい。 4 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/14(火) 14 44 50 ID yQpFrdGM0 個人的には皇帝もいれるべきだと思う。全ての創業の君主が歴史に名を残すほどの軍才を 示したわけでもないのだから。 あとはどこまでを中国の武将とするかの範囲が必要。 例えば外国人だが中国本土(これも定義が必要か?)で活躍した武将や、逆に漢人だけど 中国の外でのみ活躍した将はどうするのか? 前者だと耶律休カを入れるのだったらアヘン戦争、太平天国戦争で活躍したヨーロッパ人 はどうするのか?後者だったらイル・ハン国の郭侃とか。 5 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/14(火) 14 47 41 ID jchs3O4hO 田中の百選は電波がきつ過ぎたからな 趙雲入れようとしてたし 6 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/14(火) 15 07 58 ID YBw/bV9U0 範囲は、白蓮教の乱までにしたらどうか。 7 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/14(火) 18 47 07 ID 1kk6Cs2h0 5 いい加減その電波をはねかえせよ。 いつまで引っかかってんだ。 それはともかくとして… 中国というものの範囲だけど、土地的なもので言えば「中華本土」と呼ばれる範囲とするが、中華王朝という枠組みで、漢化政権あるいは中国風の国号を用い、なおかつ中華本土内に領土のある政権、とすればよくはないか? 南詔とか西夏はどうなるんだろ… 詳しい人がいれば入ってもよさそうだけどね。 その規範でいけば、チンギス・ハーンの蒙古は除外するけど、中国風の国号となったフビライ・ハーンの「元」は含む。 また、女真は含まないが、「金」は含む。 あるいはキタイはだめでも「遼」はいい、と。 でないと、北魏はおろか隋や唐まで含まないなんてことになりそうだから。 漢民族だけが中国人ではない! で、国籍は出身国というより所属国で判断すればよろしいかと。 高仙之や李光弼は「中国の名将」としてランキングされるが、郭侃などは紹介はされてもランキング除外、とか。 そんなところでどうかな? 田中ヨッシが先鞭をつけているだけに、そうそう違う武将が出てくるとも思えないけど、どういう判断で紹介するのか興味深い。 8 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/14(火) 18 57 59 ID yxgR08jb0 とりあえずみんなで何人かづつランクイン入りすると思われる人物の名前を上げていくか? いきなり100人づつ上げていくわけんもいかんしw 9 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/14(火) 19 00 31 ID jchs3O4hO 中原指向を持つかどうかで分けた方がよい 渤海や遼、西夏などは広義における中国文化圏と言えるけど 支那の地に入って中華帝国になろうとしなかったから中国じゃない 金や清は歴とした中華王朝 要は支那兵を率いれば中国の武将扱いでいいだろ 契丹人やモンゴル人を率いた武将が中国武将とはいえん 逆に異民族出身でも漢人を率いてれば中国の武将だ 10 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/14(火) 19 12 30 ID 1kk6Cs2h0 9 でもなぁ、遼は間違いなく中国兵を率いているぞ? 趙延寿や楊袞(名将とは言えにくいが)などは燕雲十六州に鎮した将だし、遼はキタイと漢人とを住み分けしてもいたし。 二十六史にある以上、中国としても問題ないと思うけどなぁ。 11 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/14(火) 19 28 22 ID 2mD79BmXO 9 でもさ、中華戦線のモンゴル軍の中には漢人も多いんじゃなかったか? (モンゴルは現地の兵をよく使うし) 12 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/14(火) 19 35 28 ID yxgR08jb0 10 二十六史にある以上、中国としても問題ないと思うけどなぁ。 それも一理あるが、やはり遼や金を中国にいれるのは抵抗あるなあ。 13 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/14(火) 19 37 28 ID 1kk6Cs2h0 12 名前に抵抗あるわなw 耶律とか述律とか完顔とか… それはわかるが、それだと漢人マンセーな田中ヨッシ風味満載になって、おれは構わないが、アンチが沸きまくると思うけどな… 14 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/14(火) 19 43 36 ID yxgR08jb0 13 ただ抗金というジャンルがあるからね。 他の時代なら異民族の王朝だってほとんど違和感ないんだけど。 先入観かな? とりあえず境界は曖昧にして名前を上げつつ論じていった方がいいんじゃないか? 15 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/14(火) 20 31 35 ID jchs3O4hO 中国戦線における元の将はもちろん中国武将ですよ でも漢人でも西域で西域の兵で戦ったら、その戦績を中国武将としてカウントするのはアウト 郭侃は中国戦線の功績だけ評価 16 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/14(火) 21 39 04 ID yQpFrdGM0 所属国家というか王朝で判定するという手もある。 まず基本二十六史の大部分はそのまま認める。 で、遼とか金とか元とかは部分的に認める。中原進出を果たして以降を認める、 とか(これだと遼は除外だな)。 さすがに南詔とか西夏は外国でしょ。 17 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/14(火) 22 36 32 ID YBw/bV9U0 まずは、細かいことにこだわらずに、自由に名前をあげていってはどうか? そのうち、自然とまとまっていくだろう。 18 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/14(火) 22 41 17 ID FiGiSZS30 自治のような流れだなおい 19 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/14(火) 22 54 04 ID 1kk6Cs2h0 とりあえず、 16で異議なしとする。 20 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/14(火) 22 58 12 ID 2mD79BmXO 16 ヌルハチやホンタイジは駄目って事か 21 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/14(火) 23 02 53 ID 1kk6Cs2h0 残念ながら切るしかないよな。 これってたしかに自治のような問答になってるな…w まここは、ズバっと切り裂いてしまおう。 で、それぞれ得意な分野・時代があると思うが…? 22 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/14(火) 23 11 30 ID YBw/bV9U0 だから、まずは、これという名前を挙げていこう。 それで、百選に入れるに相応しいかどうか議論する。 とりあえず、明代より、武将?な于謙はどうか? 23 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/15(水) 00 42 00 ID h1iyOIfd0 墨子を入れたい 24 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/15(水) 02 36 59 ID MH53qoBd0 ヌルハチを敗死させた明の袁祟煥は、入って当然なので俺的に心配が要らなくて助かる。 鄭成功とか名ばかりのより優先権がある。 25 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/15(水) 09 49 40 ID DowRg+mm0 関羽のような実績は史実においてはそれほどでもないが、後代の創作や信仰の影響大である将軍はどう扱うの? 26 名無しさん@お腹いっぱい。 age 2006/11/15(水) 10 04 50 ID 3SWE8QAF0 24 確かにヌルハチは袁祟煥の新型大砲の破片をくらって死亡してるからな。 清朝初代皇帝を殺してる袁祟煥は100人に入れてまったく問題ないと思う。 というか、これほどの功績を立てた武将って他にいるだろうか。 27 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/15(水) 10 21 49 ID 3QntCpK40 しかし百って多いなw 一人で垂れ流すならまだしもw 28 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/15(水) 11 45 12 ID JqGXKrAc0 ひきこもりの過酷さを思えば、数年単位で籠城を果たした人は 降伏の如何に限らず、文句無しで名将に推してもいいんじゃないかとは思う。 29 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/15(水) 12 47 13 ID wfX1flJU0 28 呂文カンなんかはモンケ・ハーンが四川に攻め入った時、兄の下で働いていたりするのだろうが、 救援に行った時にあっさり退けられているのを見る限りだとあまり強いようにも思えない。 やはり、なるべく長く、広い範囲で戦い、さらに高い勝率を保持している連中を優先するべきでないかと とりあえず、 16の基準だとモンゴルはジェベは駄目で、スブタイはOK、て感じかな? それじゃあ、元朝のモンゴル将軍を適当に トゥルイ(チンギスの四男。金朝を倒した際の主力軍司令官で、金主力軍を殲滅した) スブタイ(モンゴル帝国最強と名高いおっさん。活躍の主な舞台が中央ユーラシアやヨーロッパなのが微妙だが) ウリャンハタイ(スブタイの息子。ベトナムの陳朝を朝貢させたり、一万かそこらの戦力で南宋を南北に突っ切った) バヤン(南宋を滅ぼし、中央ユーラシアでフビライのライバル・ハイドゥと渡り合った) とりあえず、この時代なら他に誰を切っても入りそうな面々を並べてみました。フビライの軍事能力はこの面々と比べるとかなり見劣りするし 30 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/15(水) 13 22 10 ID 7VNkZOK80 なんか切り方が不自然だな。。 っていうか金を中国に含めないとかって田中厨の香りがプンプンする。 31 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/15(水) 14 19 37 ID hqzFzTu30 じゃあどこまで区切るんだ? 吐藩なんかまで加えたらまた問題だろうし 32 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/15(水) 14 24 03 ID M8Yjj2bc0 なんだかんだで、田中の中国武将列伝と半分以上は重なるだろうな。 33 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/15(水) 15 06 19 ID vdBHZZuN0 俺的には神話や現代中国(中華民国and中華人民共和国)も含めていいと思うな。 34 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/15(水) 15 20 13 ID vdBHZZuN0 俺の知っている時代の範囲から一通り推挙するよ。 楽毅,呉起,白起,田単,韓信,項羽,謝玄,李克用 35 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/15(水) 15 22 56 ID vdBHZZuN0 三国からは司馬懿,周瑜 36 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/15(水) 15 34 19 ID Q9gLDeT+0 じゃ、北宋から范仲淹と狄青を推薦。 37 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/15(水) 15 48 36 ID y2nd5Huh0 http //ishinoue3.servebbs.com/uploader/src/up0188.jpg http //ishinoue3.servebbs.com/uploader/src/up0189.jpg 38 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/15(水) 15 52 44 ID fsKxhlJu0 さっそく田中を貶める輩が沸いている、言わんこっちゃない。 文句つけるだけでスレにも沿わないのはただのバカということで。 【時代】晩唐 【名前】李存孝 【所属】晋 【理由】晋軍の主砲として、少数精鋭騎兵を率いて?、?、シ名、磁などの重要拠点を次々と陥とし、一騎討ちにおいても勝利し続けた。 ただし、逆ギレ八つ当たり略奪や、敵方への寝返りなど、潔癖あるいは完全無欠とはいかない。 【時代】後梁 【名前】李嗣源 【所属】晋 【理由】後梁との争覇戦激化の最中、幽州に侵攻してきた契丹軍に対し、倍道兼行して救援に向かい、契丹後で怒鳴りつけつつこれを蹴散らした。 また、横衝隊と称する部隊を率いたので、李横衝と呼ばれ神出鬼没な用兵とあいまって、晋王軍の切り札とされた。 【時代】後唐 【名前】郭崇韜 【所属】後唐 【理由】晋のころから、軍務に政務にとその才をいかんなく発揮し、後唐建国の功臣第一とされる。 特筆すべきは、前蜀討伐のとき。 総大将はかたち的に魏王である李継岌だったが、実質は郭崇韜が指揮を執っており、進むごとに敵をやぶる快進撃っぷり。 その下で実戦部隊を掌握した康延孝の存在も無視できないが、帷幄にあって謀をめぐらし、わずか70日で四川軍閥を平らげた。 ただし、その直後宦官の嫌疑によって誅殺され、不名誉な死を遂げた。 【時代】後周 【名前】劉仁贍 【所属】南唐 【理由】後周世宗の江北侵攻のとき、要衝・寿州を守り、世宗を苦しめた。 味方の不甲斐なさに憤り、病に倒れるが、死ぬ直前までその精神力で寿州城を守り通した。 劉仁贍の死によって、南唐は絶息の一歩手前まで叩き落されることになる。 39 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/15(水) 19 20 42 ID JqGXKrAc0 韓信は文句無しで百人に入るよな。正直、こいつは凄すぎて褒め言葉に何を言えばいいのかワカラン。 40 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/15(水) 21 04 33 ID 3SWE8QAF0 39 ,、‐ "  ̄ `` ‐- 、 /イハ/レ /V\∧ド\ / ^ ´ i、 \ ‐ 7 ハ ハ |ヽ ;、 丶 / /!i /|/ ! ヾ リハ |;!、 l /´7 〃|!/_,,、 "゛_^` `‐ly ト /|;ィ N,、‐ ゛_,,.\ ´ "" ヽ !;K ! |ハト〈 ,r "゛ , リイ)| `y t ヽ // ! ぃ、 、; ==ヲ 〃 ` へ、 ` ‐ ゜ .イ 「韓信は凄いと言えばいいと思うよ」 `i;、 / l 〉 ` ‐ ´ l`ヽ / ! レ ヽ_ _,、‐7 i| i´ l ` ‐ 、_ ,、-‐ "´ ノ,、-、 / 、,_ ,.、- {,ヘ 、_ `ヽ、_ / i ,、イ ∨ l.j__,,、..-‐ - ;」,ハ、 、` ‐、_ ,`ヽ / l ,、‐ ´ // ,/! ;、--ァ / `` ‐ ` 7゛ , / l i ´ く ; l / / / , / ! l \ ; l , / i/ , 41 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/15(水) 22 56 24 ID 4OibmrCs0 とりあえず各時代から十名ずつ選んでみよう。 春秋時代 戦国時代 秦時代 楚漢戦争時代 前漢時代 後漢時代 三国時代 両晋時代 南北朝時代 隋・初唐時代 唐時代 五代十国時代 宋遼金時代 元時代 明時代 清時代 42 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/15(水) 23 02 34 ID h1iyOIfd0 秦や三国志や両晋などから10人って無茶ですぜ、ダンナ 43 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/15(水) 23 47 46 ID T4ruAg3pO 一応参考までにヨッシーの百選を 春秋時代 1孫武 2伍員 3范蠡 4趙無恤 戦国時代 5呉起 6孫濱 7楽毅 8田単 9廉頗 10趙奢 11魏無忌 12李牧 秦~漢楚争覇時代 13白起 14王翦 15蒙恬 16項籍 17張良 18韓信 前漢時代 19周亜夫 20李広 21衛青 22霍去病 23趙充国 24鄭吉 25陳湯 後漢時代 26トウ禹 27馮異 28岑彭 29馬援 30班超 31曹操 32関羽 33周瑜 三国時代~両晋時代 34司馬懿 35陸遜 36トウ艾 37杜預 38王濬 39陶侃 40祖逖 41謝玄 南北朝時代 42檀道済 43韋叡 44楊大眼 45斛律光 46高長恭 47蕭摩訶 44 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/15(水) 23 52 00 ID T4ruAg3pO 隋唐時代 48韓擒虎 49劉方 50張須陀 51李靖 52李勣 53秦瓊 54尉遅恭 55蘇烈 56薛礼 57王玄策 58裴行儉 59高仙之 60郭子儀 61李愬 62李克用 五代~宋遼金時代 63王彦章 64周徳威 65曹彬 66楊業 67耶律休可 68穆桂英 69狄青 70宗沢 71岳飛 72韓世忠 73宗弼 74虞允文 75孟キョウ 76完顔陳和尚 77張世傑 元明時代 78伯顔 79郭侃 80拡廓帖木児 81徐達 82常遇春 83姚広孝 84鄭和 85于謙 86王守仁 87戚継光 88エン崇煥 89秦良玉 90鄭成功 清時代 91多爾袞 92明亮 93楊遇春 94李長庚 95関天培 96僧格林沁 97李秀成 98石達開 99劉永福 100候補 趙雲 沈光 王式 劉キ 呉リン 宗望 李文忠 なんか見にくくてすいません… 45 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/16(木) 00 03 35 ID iuNqv0hS0 知り合いの中国人は断然安禄山って言ってた。あっちじゃ評価高いのか? 46 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/16(木) 00 06 33 ID lqij+qXT0 春秋戦国時代の戦争とはるか後代の戦争では形態が違う感じなので一概に比較できない気がするなあ。 47 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/16(木) 00 10 05 ID 9XAWhsQa0 46 その比較がそもそもナンセンス。昔の時代で上手くやった奴は今の時代でも適当に上手くやれるさ。 48 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/16(木) 00 19 35 ID AnPXP3PC0 いつ見ても、両晋南北朝期の異民族武将が少ない 石勒、石虎、王猛(あ、こいつは違う)、慕容恪、慕容垂、拓跋珪あたりは ガイエの大好きな韋叡と比較しても、何ら遜色ないのに…… 桓温、劉裕がいないのも違和感ある もしかして人格も選考項目に入ってたのかな? 上記数名は人格がブラックホールなみに暗黒空間だからそりゃ選考外になるな 49 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/16(木) 00 26 50 ID chwNDKJt0 48 田中の意見は聞いてない。 なぜそこで人物を挙げないんだ? 挙げたら紹介する、これ基本。 50 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/16(木) 01 03 45 ID koXVh3E50 冉閔もいれよう 51 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/16(木) 01 04 33 ID fOZOO/nn0 43-44 劉秀、劉裕、李世民、柴栄、朱元璋、朱棣あたりが入ってないってことは、皇帝は除外したのか? まあ親の遺産を受け継いだ皇帝はともかく、己の力で王朝を創始した武将は入れてもいいんじゃないかな。 52 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/16(木) 03 12 01 ID sPz0sb8O0 一応田中芳樹の百選では 皇帝は除く 軍事的業績より政治的業績が大きい人物を除く 清朝滅亡後の近代の人を除く あとは名将の条件として 異民族の侵略を退けた 現実に天下統一を成し遂げた(それに関わった) あと例外として 異民族であり制服王朝の樹立に功があった 独創的な軍事行動によって歴史を動かしたり時代を象徴する存在となった こんなところか。 ぱっと見でも、この条件から外れている人物がいるよなあ。 53 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/16(木) 03 12 02 ID 0gVNQWtkO 48 確か入れてたはずだな 51 君主や政治家は選外になってたはず 54 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/16(木) 09 11 23 ID I7l2r3sB0 三国志に置ける候補: 魏: ○曹操:同時代で言えば実績は他に比べ一歩リード。赤壁、その後の漢中戦で勝ちきれなかったため統一を逃す。 ○司馬懿:孟達、公孫淵討伐はお見事。が対蜀、対呉は意地悪い言い方をすれば現状維持が精一杯。 ○鄧艾:対蜀戦線で姜維を完封。征蜀戦においても姜維をくじき、本隊が足止め食ってる間に成都を陥とすなど功抜群。 △司馬師、司馬昭:それぞれ毋丘倹、諸葛誕を平定。対蜀・対呉戦線を含めての統括者としての能力は高し。 △曹仁:攻めて良し、守って良しの名将。ただ守りに入った時の粘りは特筆ものだが、江陵においても樊城においても独自に打開は出来てない。 △張遼:合肥だけでなくその勇猛さで何度も功を上げる。 ×他満寵、徐晃など候補多数。 呉: ○孫策:はじめ寡兵で持って他勢力を討ち、瞬く間に江南の地に孫呉の礎を築く。 ○周瑜:赤壁で曹操を挫き、曹仁守る江陵を陥とす。こいつがいなければ三国時代になってない。 △呂蒙:部将時代の勇猛さもさることながら2度に亘る荊州侵攻戦で見せた知略と実行力は一流。 △陸遜:夷陵で劉備を完封。対魏戦線においては可もなく不可もなし。 △陸抗:守成の時期の将軍だが、西陵鎮圧の手腕は名将の名に恥じない。しかし蜀降伏時に永安を抜けなかったのはなあ。 ×他孫堅など。 蜀: △劉備:一流どころに比べると戦績は落ちるが、歴戦の将としては蜀としては随一。 △諸葛亮:北伐は志半ばに終わるも、こと会戦に至った時の強さは特筆物。 △姜維:大勝を上げることがあるも多くは企図を果たせなかった。ただし、その機動力には目を見張るものがある。 △張嶷:馬忠の片腕として南蛮平定に尽力。蛮族相手とは言え知略に武勇に活躍。 ×他張飛、王平、魏延など。 その他勢力、後漢、晋は割愛。 ○が候補、△×は落選。 呉において周瑜が候補にあって呂蒙・陸遜が落選なのは対魏での功績による。 陸抗の西陵鎮圧については晋の侵攻を防ぎつつの鎮圧であることを考えれば候補に入れても良いかも。 雑なところもあるけど勘弁ね。 55 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/16(木) 10 22 38 ID d/LRvGyi0 ガイエの百選に光武帝陣営から鄧禹が入っているのに、呉漢と耿?が入っていないのが納得いきません。 この二人は光武帝陣営では間違いなくTOP2の名将だと思うのですが。 鄧禹は戦術戦略ではなく、むしろ人事担当の人で、到底百人の中に入る人とは思えません。 56 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/16(木) 10 28 14 ID HuT/SgV/0 田中芳樹マンセーでヨッシーとか呼ぶきもい奴の主張 『田中の本が気に入らないなら読まなければいい』 『田中を批判しているようなヤツラが作家になって、自分の言が正しいことを証明すればいいんだよ』 【隋唐演義】 田中芳樹 【徳間書店】 ttp //hobby8.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161872878/ 上のスレで集中砲火にあい、このスレに逃げこんでおります。 田中芳樹を批判すると脊髄反射のように上述のように喚くので注意。 57 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/16(木) 11 50 07 ID SiQqzkT90 43-44 春秋戦国以外は知らないが、まるでダメだというのはよくわかる 58 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/16(木) 12 30 53 ID chwNDKJt0 55 鄧禹は事実、大敗してるしねぇ。 名将に入りはしないが、光武帝陣営には欠くべからざる人物であることは間違いない。 そういう選定の仕方であればまだよかったかもしれないが、岑彭にならぶ名将とされると、勉強不足を指摘するしかない。 呉漢は所業においてゆずるとして、なぜに耿?が… 彼は若くして名将たるの手腕を発揮して、なおかつ第一線から退くという、どうみても田中ヨッシの好みのタイプなはずなのに。 ましてや、上谷太守の御曹司とくれば、美形であったのではなかろうかという妄想だって入る余地が大きい。 それ以外のところでも、唐末五代では周徳威と王彦章だけ? おいおい。 知らないというより、出し惜しみしていると曲解してしまう(自分が短編書いてる最中だから)。 五代に関しては、 38だけじゃなくて、もう少し足してみようかと思います。 それで、誰をランキングさせるかは、 56あたりの有識者にお任せしよう。 59 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/16(木) 12 57 03 ID XU+WJy990 田中芳樹は、神話の時代で不確定だからと春秋から開始したけど、 ここでは太公望を入れたい。 60 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/16(木) 13 05 22 ID zctZD3M5O 確かにヨッシーの言うとおり呉漢は何度か虐殺略奪を行ってるけど 他にランクインしてる白起、項羽、曹操だって虐殺をやってる 何故その三人はよくて呉漢はダメなんだろうか 基準がよく分からない 61 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/16(木) 13 29 26 ID 3NqHV1bh0 不確定ってことだったら、穆桂英もかなり不確定なんだけどなあ。 62 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/16(木) 14 16 04 ID chwNDKJt0 ヨッシー個人の好みと、中国ではこんなのが人気なんだぜ、お前ら知らんだろ、というのと、やはり中国人にとっての知名度… そのあたりなんでしょうよ。 45さんの言ったように、安録山なんかも入れてもいいのだけどな。 100人に絞ってしまうと、大方が武将列伝にかぶるのはしょうがない。 そこで、名将、名臣、あと帝王あたりでカテゴリーわけするのもいいかも? 63 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/16(木) 16 22 40 ID koXVh3E50 43 范蠡・趙奢・蒙恬・張良・周亜夫・トウ禹・関羽・蕭摩訶・李愬・姚広孝・鄭和・于謙・王守仁 十四人は確実に開いたな 64 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/16(木) 16 43 11 ID chwNDKJt0 開いたって? 65 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/16(木) 16 53 29 ID 0gVNQWtkO 64 こいつらは確実に選外になるって言いたいんでしょ 田中選の99人と殆ど同じになるとか言われてたから まあ名軍師や名参謀ではなく名将として張良入れるのは納得できないっていうのは同意だが 66 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/16(木) 17 31 12 ID chwNDKJt0 65 そういう意味ですか。。。 張良は、まぁそうだろう。 しかし、蒙恬、周亜夫、李愬もダメか… できれば、どうしてそう思うのか教えて欲しいところだが。 67 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/16(木) 18 26 21 ID UD5gw58wO 呉楚七国の乱はほぼ奴らの自壊だし周亜夫が外れんのに異論は無い 王守仁も寧王の一戦だけで百人に選ばれるにはつょっとな それこそ明には李文忠や藍玉、兪大南犬や胡宗憲いるんだし 68 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/16(木) 18 49 08 ID sPz0sb8O0 63ではないが、私もそのあたりが外れるのは同意。全部じゃないけど。 芳樹の百選は実績よりもその勢力を代表する人物として挙げられているのが多い。 すでに名前が出ている鄧禹がそうだし、関羽も実績をみるととても挙げられない。 范蠡、張良、姚広孝は参謀、于謙は名臣列伝の人でしょやっぱ。 蕭摩訶は十分つよいけど、この人は誰かに使われてなんぼだと思う。歴史的に何か 大きな影響を与えたわけでもないしね。呂布みたいなもん。 蒙恬は鄧禹と同じで、政権の重要人物であっても具体的な実績がねえ。 周亜夫、李愬は国家を安定させた功績を認めて入れてもいいと思う。 鄭和は…指揮統率力は文句なしだが、これを軍事活動とみるかどうか? 69 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/16(木) 18 53 10 ID sPz0sb8O0 追加 あと抜くべき人物としては 王玄策、穆桂英、虞允文、秦良玉、鄭成功、劉永福 このあたりか。 70 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/16(木) 19 21 59 ID chwNDKJt0 なるほど。 周亜夫はともかく、李愬あたりをどうするかは、もう少し藩鎮仕置きの経緯を眺めないとなんとも言えませんな。 今現在では、淮西平定の勲功をもってするが… で、結局、皇帝などは含まないことにするのだろうか? とすると、やはり唐末五代は選抜が難しくなるし、一段下がる観は否めないなぁ。 71 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/16(木) 19 40 10 ID sPz0sb8O0 皇帝はいれていいと思うけどねえ。唐末五代もそうだが、東晋末十六国の連中が。 72 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/16(木) 19 51 26 ID I7l2r3sB0 71 100選だと25史基準なら各時代4人くらいしか上げられない。 乱世の時代の皇帝に成り上がったヤツとか入れるとあっという間に100をオーバーしちゃうからなんらかの制限はやむを得ないんじゃないかな? 73 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/16(木) 19 55 30 ID 9PN2UtxG0 各時代4くらいとなるとここの住人がひけらかしたいマイナーな奴はほとんどアウトだな。 74 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/16(木) 20 04 54 ID 3NqHV1bh0 73 んじゃ、表の100人とマイナーな100人に分けるってのは?w 75 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/16(木) 20 05 09 ID 6hQtLBSM0 織田信長 チンギスハーンこと、テムジン。 他に中国の英雄って聞かないな…ってか、中国ってどこにあんの? 76 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/16(木) 20 57 28 ID zctZD3M5O 皇帝に即位した人物を除外ということになると 曹操や宇文泰みたいな事実上の創業者であっても皇帝に即位してない奴は有りなの? 77 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/16(木) 23 05 25 ID x454C0+E0 孫子って孫子の著書は高く評価されているけど、 武将として何かした人ではないよね? だから孫子は外すべき。 75 元朝を開いたクビライなら未だしもテムジンはモンゴル人だし、 元朝を開いた訳ですらない。 中国英雄にカウントするのは難しいのではないの? 78 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/16(木) 23 28 16 ID /owm887r0 皇帝は入れた方がいい気がするな。 77 でも、その元朝の前身を開いたわけだから、入れてもいいんじゃないの。 79 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/16(木) 23 44 06 ID 0oMTvrfI0 皇帝は皇帝で、10~20選していけばいいんじゃないか? 80 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/17(金) 01 12 36 ID BtxdAmoaO 77 名義的にはイェケ・モンゴル・ウルスがダイオン・イェケ・モンゴル・ウルスに変わっただけだぞ それにクビライだって間違いなくモンゴル人でモンゴル帝国の皇帝だし この場合モンゴル帝国が中華帝国を取り込んでいるだけだ 81 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/17(金) 01 17 13 ID QztdyMPq0 取り敢えず、ここら辺は確定だと思うもの 光武帝 李世民 朱元璋 永楽帝 康煕帝 (統一王朝の皇帝でかつ名将) 項羽 石虎 慕容垂 劉裕 蕭道成 宇文ユウ 李克用 柴栄 (分裂時代の強国の皇帝で名将) 韓信 呉漢 李勣 曹彬 徐達 洪承疇 (統一王朝建国の代表的名将) 祖逖 桓温 斛律光 郭子儀 宗沢 孟キョウ 戚継光 袁崇煥 左宗棠 (戦力差をはね除けて国を支えた名将) 宇宙大将軍 (2chで最も愛される名将w) 82 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/17(金) 01 23 58 ID Sh04GUhw0 78 テムジンは中国の英雄ではないよ。 この人、中原に王朝を開いた訳でも無いし モンゴルを中心に活躍した人だからテムジンは中華英雄ではない。 モンゴル帝国=中華帝国ではないし、また違う。 テムジンは外すべき。 あと名君と名将を混合するのは止めるべき。 83 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/17(金) 01 26 50 ID Sh04GUhw0 孫子とテムジンは外すべき。 孫子はあくまで名著作家であって名将とは違う。 テムジンはモンゴルの英雄であって元朝すら開いていないし 中国で活躍した訳でもない。 84 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/17(金) 01 30 21 ID Sh04GUhw0 三国からは周瑜と司馬懿だけでいいと思う。 三国時代の人間ばかり選んでいたら他の時代から人を選出できない。 それと曹操と諸葛亮は武将とは違うと思う。 曹操って名君か名政治家のどちらかであって、 諸葛亮も武将ではなくて名政治家であるのならば選んでいいと思うし。 85 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/17(金) 01 40 01 ID QztdyMPq0 三国志は 曹操は赤壁と漢中が痛すぎだし 周瑜・孫策はもうちょっと生きてもらわないとだし 陸遜はあれで領土を拡げててくれればだし 陸抗は西陵はスゴイんだけど……だし 司馬懿・鄧艾は基本的に国力で上だし と、主な候補が殆どケチが付くせいで、絶対に入るとまでは断言できない 86 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/17(金) 01 40 12 ID BtxdAmoaO 82-83 ぶっちゃけモンゴルはどこから含めるんだ? 中華地帯を領有したとき?中華地帯に首都が移ったとき?中華文化と同化したとき? 初めなら中華の範囲によるが、チンギスの時代の後半とするかオゴデイの時代からかのどちらか 二番目ならクビライの時代から。三番目ならモンゴルはなしになると思うが 87 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/17(金) 02 06 47 ID Sh04GUhw0 86 元朝を開いたクビライ以降だけを含めるべきだと思う。 モンゴルと元朝を同一に扱うべきではないし、 元朝とモンゴルは切り離して考えるべき。 88 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/17(金) 02 18 13 ID BtxdAmoaO 87 ようするにモンケの死後にモンゴル帝国が分裂(まだ連邦的だが)したときに モンゴリアと中華地方に直接的な影響力が限定してしまった大元ウルスは中華帝国にと言っても良いというわけ? (細かい話を語り出すと絶対に纏まらないから適当な定義作って適応させた方が楽だと思うんだけど) 89 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/17(金) 02 19 10 ID CHI7BtZZ0 81 康煕帝は世襲皇帝だからなぁ・・・実力で王朝創始or皇位を獲得した他の4人に比べると かなり見劣りする。 あと、光武二十八将から一人選ぶなら呉漢より耿?か岑彭にしたいな。 90 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/17(金) 02 27 08 ID Sh04GUhw0 元朝は中華王朝だけどモンゴル帝国は中華王朝とは別個の存在だからね。 中華王朝の創始者であるクビライとクビライ以降は中華英雄に含めるべきで、 モンゴル帝国の創始者でしかないテムジンを中華英雄に入れるべきではない。 91 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/17(金) 02 51 26 ID BtxdAmoaO 90 元朝(ダイオン・イェケ・モンゴル・ウルス)だって名目的にも性格的にもモンゴル帝国ですよ ただ政権交代時の政争で西側に大ハーンの直接的な影響力が及ばなくなり、地盤が中華地帯になったという事で (だがら異民族の政権では中華帝国の定義付けがややこしくなるから、 16みたいなルール作って適応させていった方が早いって) 92 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/17(金) 02 55 36 ID QztdyMPq0 89 ん、まぁソレを言ったら李世民だって世襲は世襲ですよ 有能な父と兄が居たからより活躍したけども 康煕帝はアレだけ外征してるんだから見劣りすることも無いと思うけどな どこぞの10勝皇帝とは違ってちゃんと勝ってるし 93 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/17(金) 03 50 45 ID erQng9E40 兵力3万の呉軍を率いて兵力20万の楚軍を破り、楚都を陥落させた 名将、孫武に対して武将として何かした人ではないとか名著作家であって名将ではないとかよく言えたものだな。 田中選から外すべきは政治家であって武将ではない伍員(子胥)だろ。 94 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/17(金) 07 12 27 ID MejN4BBU0 84 しかしそれでも、後漢末の動乱を一応治めた人物として、曹操の軍事的功績は 過小評価できるもんでもないでしょう。 95 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/17(金) 07 23 51 ID q996BlU10 85 それはそれでちょっと過小評価しすぎ。 96 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/17(金) 11 06 21 ID kfN7ayGBO 曹操は入れてもいいかもしれない 確かに負けは多いけど三国時代を代表する指揮官といえば曹操しか浮かばない 97 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/17(金) 12 00 03 ID xjaWDLbK0 オゴタイの代ですでに金を滅ぼしてるのにその部分まで除外するとかおかしいだろ。 98 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/17(金) 14 33 36 ID BtxdAmoaO 97 俺もそう思う オゴデイの時代で華北支配はなったんだから、その時点で中華の帝国になっていると言っていい 元という国号だってあれはモンゴル帝国が元という名前になったにすぎないんだから モンゴル帝国は華北支配の成立からそれを失うまでの期間を含めればいいかと (ただ、大ハーンからある程度分離したウルスは、その分離した時点で分けておくべきだろうが) 99 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/17(金) 15 23 47 ID Ih508dKX0 百人って結構多いよね。 100 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/17(金) 23 23 26 ID ohSXd1rj0 名将とすると、いろいろややこしい問題が出るんだな。 英雄百選にしたらどうなるだろう? もっとややこしくなるか・・・ 101 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/18(土) 03 46 50 ID ai7xtiDW0 100 そうかもしれんね、項籍なんか名将と呼ぶには先見性に乏しく度量が狭いように思えるもんな 范増の助言もことごとく退けていたし 102 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/18(土) 23 51 03 ID 2KVJZBJD0 いっそ、各人で百人のリスト作ってみるか? 103 奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. sage 2006/11/18(土) 23 58 47 ID pmvkUtfS0 各人ごとなら10人でいいって。 104 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/19(日) 00 10 25 ID 0rNQUyZBO 101 項羽は確かに組織のトップとしては難がありすぎるが、将としての能力は(戦術レベルまでは)確かだ 名将が必ずしも軍事以外の分野で活躍できて、英雄になれるとは限らないし 102-103 個人が中華通史から100人挙げるのは大変だし、10人だと少なすぎるでしょ どうせ10人挙げるなら、その人の詳しかったり好きだったりする王朝・時代から10人挙げた方が良くないか? 105 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/19(日) 00 51 24 ID 6DbIZCRc0 そうだね、一つの時代に5~10人くらいづつあげて紹介してもらえると、こんなヤツがいたのか なんてマイナーな人物も知ることができていいと思う。 106 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/19(日) 10 24 49 ID Wxz1vDO/0 100人に絞るスレだから小粒な奴を挙げてオナニーされても困るわけで。 107 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/19(日) 10 32 33 ID 9j3NaZkn0 マイナー≠小粒 108 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/19(日) 13 10 48 ID QktPeHmE0 106 小粒なら小粒であげてみて、どこがいけないか、論評すればいいんじゃないか。 小粒と思っていても、人によって大きく評価する者がいるかも知れないし。 109 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/19(日) 13 51 16 ID 0rNQUyZBO 106 ていうか100人以上挙げて貰わないと絞りようがない 110 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/19(日) 17 22 07 ID bHZW8t1e0 106 ほんと、手より口の動くタイプだよな… ま、言ってることはわからんでもないが、小粒と判断するのもこのスレの役割ということにしないか? で、だ。 皇帝などは省くという話を蒸し返しますが、例えば曹操を例にとってみよう。 仮に曹操が皇帝だったとして、その陣営で曹操を差し置いて誰か一人代表者を挙げよ、と言われたら結構迷うと思う。 これは田中ヨッシーも言ってたことだけど… しかし、10人くらいまでなら挙げることは可能だよね? 小粒かどうかは置いといて。 夏侯淵、夏侯惇、曹洪、曹仁、李典や張遼、あと曹彰あたりも入る余地も出てくる… とか。 なにが言いたいかというと、五代後周世宗の陣営で、代表者を挙げろと言われたら、これと同質の悩みが生じるのだ。 世宗の強烈なリーダーシップで覇業に邁進するわけだけど、その陣営の司令官たちが、時代に冠絶するような名将か? と言われれば自信がない。 じゃあ小粒か? と言われれば、当時では名将の類だ、と言えるそういう連中がいる。 以下、それら。 小粒かどうかの判断は他に委ねる。 自分では贔屓目が働いて、それこそ 106の格好のエジキにしかならないから。 【名前】李重進 【所属】後周 【理由】後周太祖の縁者。郭威の頃より作戦に参与し、幾つかの進言をしている。 世宗期には節度使を兼ねつつ、禁軍の大将を努め、第一次寿州攻めのとき南唐の劉彦貞を完膚なきまでに叩きのめす。 江北平定のおりは別働隊を任され、各州を次々と平定する勲功がある。 世宗北伐の折は、淮南節度使となり新領土の鎮撫を任された。 世宗亡き後、趙匡胤のために挙兵に追い込まれ家族もろとも火中に投じた。 【名前】韓通 【所属】後周 【理由】郭威の李守貞討伐に参加し、勇猛をもって鳴る。高平の戦いののち、北面の防備を担い一度ならず契丹軍を退ける。 対後蜀相手の秦・鳳奪還戦のとき向訓の援軍として参加。鳳州を取るなど武勲を立てる。 江北平定のときは開封府の防衛と外城の建設を任され果たす。 燕雲十六州奪回のための北伐のとき、ときの禁軍は趙匡胤と二分され、水軍の趙、陸軍の韓と目されるほどとなる。 世宗が没すると趙匡胤を容認せず、早まった王彦昇のために殺された。 【名前】向訓 【所属】後周 【理由】郭威のとき?州に配属され、北漢軍との戦いで勲功があり、高平の戦いにも参加した。精騎をもって陣中にあり崩れる味方を支えた。 勇猛さと剛毅さを世宗に買われ、対後蜀戦の大将として隴西に出兵した。 大散関に出て蜀軍と戦い膠着するも、蜀軍の糧道と退路を断って大勝した。 翻って江北平定戦に呼ばれ、淮南節度使として全軍の指揮を委ねられる。不利な状況の敵中にあって寿州城を1年ほど包囲し、再度世宗が親征するまで淮南へのくさびをゆるがせにしなかった。 世宗死後は趙匡胤に従い、李?の討伐などに従軍し、あと幾つかの節度使を歴任後75歳で倒れる。 【名前】符彦卿 【所属】後周 【理由】父は李克用の仮子、李存審。 五代を通じての重鎮で生粋の武人。 幼い頃から騎射に通じ「符第四」との渾名を持って親しまれる。 契丹南下のとき奮戦するも味方に足を引っ張られるかたちで捕らえられるが、人物の剛毅さによって許され、自鎮に還された。のち後漢、後周と仕えた。 主に契丹との戦いで武名を上げる。後周皇后符氏の父ということから、趙匡胤からも礼遇された。 五代十国って単純に15の国として、1国に1人目立つ武将を挙げると、それだけで15人に… かといって、一つの時代でみるには、世代交代もあるし… この辺の判断は難しいか。 これでは五胡十六国時代が思いやられるかもね。 111 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/19(日) 19 42 07 ID 9OQIosZb0 中国名将百選より東アジアの名将百選の方がいいと思うな。 112 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/19(日) 19 57 18 ID Ki586nPRO 111 それだと日本史の人物も入ることにならない? 113 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/19(日) 21 10 22 ID 9OQIosZb0 112 うん、当然入るよ。何せ東アジア名将百選なんだから。 東アジア全体から選抜すれば選びやすいと思うし。 114 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/19(日) 21 19 41 ID ZrkXNwMm0 適当な時代・勢力で区切って、それで100を等分してその枠内で絞るべき。 清(後金含む) 明 元(モンゴル帝国) 五代十国宋遼金 隋唐 魏晋南北朝 後漢 前漢 春秋戦国 神話~殷周 10等分して各時代に詳しい香具師が10人挙げて詳しい香具師同士で議論すればいい。 115 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/19(日) 21 45 48 ID HC3rwp8K0 http //money4.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1163202722/191 乱交パーティー開催!【関西地方】 116 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/19(日) 21 58 40 ID /m0nm0ym0 後漢から10人も選べるのか? 117 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/19(日) 22 14 24 ID 6DbIZCRc0 神話~殷周はさすがに外したら?と思う。 ただ、時代区分をもうけてそれぞれごとに議論していくというのは賛成。 で、10人に絞るんじゃなくて、10人枠に入れてもいい候補を挙げていくと。 118 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/19(日) 22 22 20 ID bHZW8t1e0 無秩序でもいいから、そろそろ挙げていこうよ。 なんなの、この平行線。 119 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/19(日) 22 40 47 ID LEtdPQjk0 神話~春秋戦国 秦・前漢 新・後漢 後漢末~西晋 南北朝 隋唐 五代十国宋遼金 元(モンゴル帝国) 明 清(後金含む) 10等分にこだわってやや苦しいところもあるけどこんな感じで。 120 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/19(日) 23 35 14 ID R9h/KX1G0 周代より前は、太公望一人でいいかな? 121 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/20(月) 00 05 00 ID Lsn3codY0 119 五胡十六国が消えてる……南北朝に入れろってことか? 【名前】石勒 【所属】羯族小部落-山東地方で家内奴隷-公師藩軍-前趙-後趙 【理由】西晋系軍閥の苟晞(青州)、劉昆(并州)、王浚(幽州)を悉く討ち平らげる 鮮卑段部、祖逖の北伐を撃退して関東に覇を唱えると、前趙のくびきを断ち切り自立 前趙帝劉曜と洛陽を巡り一進一退の攻防を繰り広げ、329年ついに前趙を滅ぼす 生涯に坑殺した兵卒、漢人官吏、匈奴部族、乞活集団は100万を越え、 300万人以上の漢人、胡人を強制移住させるなど、華北において暴虐の限りを尽くす その一方で仁政家の一面を持ち合わせ、評価が非常に難しい人物 軍人としてなら五胡最強、本人評では劉邦>劉秀=石勒>曹操、司馬懿 君主だが、どうしても名将にいれなきゃ気がすまん 122 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/20(月) 00 15 04 ID vTAQtGq80 というか 石勒、石虎、石閔で後趙から三名 慕容恪、慕容垂で前燕から二名 十六国もあるのに、二つの国で半分を独占してしまうw 123 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/20(月) 04 29 01 ID +opae4v10 太公望は政治家であって武将ではないと思う。 124 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/20(月) 05 59 23 ID XPxurIiN0 戦術レベルで軍隊を指揮したか否かで分ければいいんじゃない? ここの武将百選てのは単純な軍事能力だよな それなら張良のように主君の幕下で戦略レベルで活躍した人物は外せる 劉淵or劉聡 石勒 謝艾 慕容恪 慕容垂 赫連勃勃 苻堅 王猛 個人的に十六国から挙げてみた 叩き歓迎なんで意見よろ 125 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/20(月) 06 46 55 ID Xuwy/ECtO 韓信はナンバー1でおながいします 126 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/20(月) 15 01 21 ID n6HmCdud0 永楽帝なんかもいいの? 127 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/21(火) 00 11 22 ID b6r/E8hhO 石勒が一番高く評価した劉邦は百選に入れなくていいんだろうか 128 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/21(火) 00 27 16 ID +v5f23T10 とりあえず、どんな条件でも絶対入るってヤツ挙げていかね? 楽毅・白起・韓信・李靖・李勣・宗沢・岳飛・孟?・… 拙い知識故、偏った例えで申し訳無いが 129 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/21(火) 00 57 11 ID 1v/odRrT0 つ 81 130 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/21(火) 04 15 06 ID U5u5b7gyO 127 将の将としての評価だろうから、単なる名将としては入れなくても良いかと 131 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/21(火) 05 52 01 ID bPU4XNbx0 128 袁崇煥・郭侃・郭子儀・陳慶之・班超らへんもほぼ確定じゃね? 韋叔裕・斛律光・王猛は個人的に推薦したい 132 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/21(火) 07 06 16 ID s34TCRik0 田中の百撰を叩き台としてそこから外れるべき人物と替りに入れるべき人物を挙げていった方が話になりやすくない? 133 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/21(火) 08 05 30 ID CmHHV0oq0 田中氏の百選で明らかにおかしい人物は誰になるだろう? 134 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/21(火) 08 23 35 ID s34TCRik0 とりあえず32.関羽。 関羽は決して無能じゃないけど、劉備軍の中にあって独自に軍を動かして大功を上げたとかないから。 135 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/21(火) 08 56 10 ID b6r/E8hhO ところで君主はアリになったの? それと前の方で出てた日本史等からも選ぶという案はどうなったの? 136 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/21(火) 09 48 19 ID bPU4XNbx0 124で書いてるみたいなんでよくね? 自身が兵を率いて戦った将軍ってのを条件としたらわかりやすくないかい? 武将としての戦績のみでランクインするなら君主でもおk 例えば「皇帝になった」のを評価するのは評価対象外だが 皇帝になるまでの過程で「~の戦いで大勝」とかは評価する そうすれば劉裕やら永楽帝やらもランクインできるかも・・・と思うのだが そもそもガイエの皇帝になった人物は除外ってのが意味不明な分け方だし と、意見を出してみるがどうかな? 137 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/21(火) 11 21 24 ID s34TCRik0 135 それと前の方で出てた日本史等からも選ぶという案はどうなったの? どうなったかは知らんが、反応が薄いということはスルーされてるんじゃないの? 138 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/21(火) 12 54 31 ID b6r/E8hhO 136-137 ということは君主はアリで地域は中国に限定という事でいいのかな? だとすると長命王朝を創建した劉秀、李世民、趙匡胤、朱元璋の四人は確定でいいんじゃないかな 139 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/21(火) 13 33 42 ID bPU4XNbx0 138 俺 136だけど長命王朝の創始者というのは政治的業績だと思うんだ 136でもいってるけどそういう政治力は抜きであくまで将軍としての能力でつけないと 名将ではあっても粛清された人物などが不利じゃないかなと・・・ 俺一人の意見なんで、名将百選の定義を練る叩き台にでもしてくれたら光栄です まあ、その四人は将軍としても十分名将だと思うんで異論はないんたがw 140 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/21(火) 13 53 26 ID 1v/odRrT0 133 つ 63 138 趙匡胤って将軍としてはそれ程優秀だろうか? 劉邦と同じ将の将に見えるが 141 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/21(火) 16 42 17 ID /s6u8nvX0 139 その創業の4人は、軒並み超一流の戦術家でもあるから、名将に分類しても差し支えないよ。 140 趙匡胤は呂布に知恵がついておおらかになったような人物。 つまり、万夫不当の猛将でありながら、冷静さも兼ね備えた用兵家でもある。 皇帝になったあとは、劉邦のような人情家になったけど、一介の将軍のときは、それは凄まじい戦いぶりだった。 2千で3万やぶったりとか、一騎討ちしたりとか。 142 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/22(水) 00 18 01 ID lwp9gOS/O 今思い付く限りで統一は果たせなかったが名将と言える君主を挙げてみる 項羽、曹操、石勒、北魏の道武帝・太武帝、宇文泰、宇文ヨウ、 劉裕、蕭道成、陳覇先、後唐の荘宗、後周の世宗… 他には誰がいるかな? 143 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/22(水) 00 30 46 ID GL8xgk7S0 142 北宋の趙匡胤。意外だが、統一したのは弟の代。 144 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/22(水) 00 31 54 ID GL8xgk7S0 後金のヌルハチも追加。 145 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/22(水) 03 05 58 ID 9DlPkjh00 142 曹操は帝位にはついてないぞ。 魏になったのは曹丕から。 項羽も西楚覇王とはいえ王止まりで皇帝にはなってない 146 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/22(水) 03 10 22 ID DDIXYAe+O 145 そもそも項羽が皇帝制を良しと思ってたかは微妙だと思うけどね 147 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/22(水) 05 19 30 ID lwp9gOS/O 145 あと宇文泰もね そう言われるだろうと思って「君主」って表現にしたつもりだったんだけどダメかな 148 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/22(水) 06 08 46 ID 7APkT7MzO 金正日大将軍 149 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/22(水) 07 58 00 ID 7CIG5RwY0 143 どの範囲を制して統一かにもよると思う。 150 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/22(水) 17 31 29 ID uJssoiv50 147 曹操や宇文泰はその気になれば帝位に就けたのに敢えて臣下の立場を通したから、 君主扱いするのは本人が望まないだろう。 151 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/22(水) 17 34 22 ID H/jdHPnR0 142 後唐の李嗣源は忘れないでくれ。名将でもあり名君でもある。 152 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/22(水) 19 26 37 ID G4DYdvtx0 耶律休哥は如何だろう? 中華最強の騎馬軍団だと思う。 153 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/22(水) 20 12 04 ID DDIXYAe+O 152 別に100に入れることに反対する訳じゃないが、キタイを「中華」で「最強」かと言われると…… 154 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/22(水) 20 24 54 ID H/jdHPnR0 耶律休哥はふうつにランクインするだろう。 中華ではないが… 杉山センセに撲殺されかねん… 155 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/22(水) 23 43 24 ID lYP8weru0 153 あまりそういう細かいことはこだわらなくていいと思う。 お遊びみたいなものだし。 156 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/23(木) 00 00 49 ID MuJdUfyUO 名将の定義ってそもそも何なんですかね? 自分は「寡兵で以て多兵を制す」 という事が第一条件と思っとるんですが 157 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/23(木) 00 10 14 ID I+MVYV5bO 155 俺がモンゴル好きだから変に思っただけだ 他意はない 158 152 sage 2006/11/23(木) 00 23 59 ID 8NmFC1hT0 趣旨を理解できてなかった、すまん。 最強とかそういうのは言わない方がいいな。 159 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/23(木) 06 15 44 ID DRQZSx5n0 156 それを名将の定義にしたら一体どれだけの将軍が候補から外れるんだ? 確かに寡兵で大軍破るのは評価には大きくプラスされるだろうが 160 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/23(木) 16 46 31 ID LQHeYnTE0 60万の兵がいないと楚に勝てません って言った秦の王翦は真っ先に失格ですな 161 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/23(木) 17 03 37 ID cJLOjJ4M0 「寡兵で以て多兵を制す」のを、そういう状況を自ら作って実行するやつもいれば(後漢・耿?、晋・周徳威など)、相手の政治的不安や命令系統の不一致などを見越してやるやつもいる(梁・陳慶之など)。 高仙之のように、華麗な勝利を華々しい敗北でチャラにするのも存在するし。 だけど、「少数が大軍に勝った」という一事例だけなら、結構存在すると思う。 ただし、同じ将がそのまま勝ち続けることができているか、は別な話。 寡兵で大軍を破って、華々しい戦果を誇っても次には大敗、とかってよくあるパターン。 162 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/23(木) 18 34 36 ID 5rs75kiF0 とりあえず、勝ち続けることの出来る将軍、ていうのが一番でないかと。 戦場や戦況は多様なんですから、勝利を収め続けることが出来るというだけで偉大です。一回や二回の大敗も、玉に瑕程度だと思います。 それに、拘りすぎると百人いかない、てことになりかねないので、基準はほどほどが一番ですけどね。 それとも、政治的、戦略的にどう見ても勝てそうにない相手を戦場の采配だけで倒してのける、ていうそれこそ世界中探しても百人いきそうにないのでも探します? 163 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/23(木) 19 18 29 ID Rxa0WtZT0 敵地で平坦な地形での野戦で寡兵を持って大兵を破ったなら評価しようw 164 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/23(木) 20 40 47 ID I+MVYV5bO まあ数がすべてというわけではないし 極端な話だが、近代装備をした軍はそんな装備をしていない軍にはまず負けない(イタ公除く)ように 士気、練度、補給、装備、地の利などによっては寡兵でも戦略的優位に立ってる場合もある 165 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/23(木) 20 47 30 ID fKnUg09R0 状況が許さず仕方なく寡兵で戦うことはあっても 始めから寡兵で大軍に勝とうと思ってるやつは馬鹿 孫子にも「少なければ則ち能く之を逃れ、若かざれば則ち能く之を避く」とある 166 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/23(木) 20 52 54 ID fKnUg09R0 まぁ野球ではよく言われることだが本当の名手は始めから 打球の方向を予測してよいポジションをとってるから ファインプレーはしないということだ 167 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/23(木) 21 20 35 ID CLesudU10 兵法でも言う 良い将は平々凡々にやってりゃ勝てる状況を作り出せるので 見た目派手な活躍はあまり無い ってやつだ 168 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/23(木) 21 34 20 ID esbFkjV80 騎兵1万で歩兵10万に勝ったというのは中国の歴史でも10回ぐらいはあったような… 騎兵対策をとらずに平地で戦えば騎兵がこの戦力差でも勝つらしい。 169 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/23(木) 21 44 12 ID fKnUg09R0 168 長い歴史から見て10回という数字はかなり少ないと思うが、 まぁ武装が違えばね、武装が同じなら双方の被害はだいたいランチェスターの あの公式がほぼ正確な数字を出すらしい しかしまぁ俺の意見なら本当の名将は歴史的にスポットライトを浴びたことがない人物になるなw 君主と実戦の指揮官では立場も違うし、高度な戦術を用いて寡兵で大軍を倒した指揮官なら名将と呼べるのでは 170 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/23(木) 21 57 21 ID cJLOjJ4M0 163 柏郷の戦いはまさにそれだ。 8万の歩兵相手に1万の騎兵で勝つという、戦史に記された勝利。 百戦奇略で、劉基もとりあげている。 誰の戦いかは自分で調べような。 165 まったくそのとおりだ。 軍事ロマンを語るのはいいが、それはあくまで例外。 寡兵で大軍を破るのは、ふつう非常識と考えねばならない。 勝ち続けた将軍なんているのかな? 致命的な敗北を喫さなかった、というあたりならいるが、それは戦略で補っていると考えられよう。 171 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/23(木) 23 13 31 ID Veef+XQ+0 >本当の名将は歴史的にスポットライトを浴びたことがない人物 んなわかなかろう 確実な勝利でも勝利は勝利でちゃんと史書に残される訳だし それこそ戦国末の秦ってのは国力で他の国を圧倒してた訳で それでしっかり勝った秦の将の名前はちゃんと残ってるし、ここでも上げられてるじゃん 172 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/23(木) 23 30 06 ID uT7wtS330 そんなことよりもっと名前を挙げて、個別に論評していこう。 173 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/23(木) 23 38 30 ID cJLOjJ4M0 わたしゃ最初からずっと名前挙げてるのに、誰も追従しないのはなぜ? 174 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/24(金) 05 24 02 ID +v3YHYxZ0 170 田中はん?もしかして田中はんやおまへんか 175 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/24(金) 10 45 38 ID V7rHQYkj0 張弘範は? 一国を滅ぼした武将はやっぱり名将とすべきだと思う ……っと、実質滅ぼしたのは伯顔で亡宋の三傑が相手でも残敵掃討に過ぎないか? 176 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/24(金) 16 16 32 ID M+Rr1LWp0 174 いや… 田中なんて武将は知らないぞ? 冗談はおいといて。 沙陀騎兵の馳突は、あらゆる会戦のほとんどが敵より少数での勝利が多い。 李克用にしても、皇軍となって黄巣と戦ったおり、1万7千で15万を丸1日かけて撃砕したとか(五代史記-唐本紀荘宗上など)。 177 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/24(金) 17 01 41 ID 298gNi5/0 175 言っちゃ悪いが、三傑もモンゴルにとってはおまけみたいなものじゃないか? 当時は帝国西側が拙い事になってたし それにモンゴル帝国が屠って来た国・政権はかなりの量になるしね 176 あまり数だけ見るのもよくないけどね 数字が不正確なこともあるし、戦略的優位は別に数だけで決まるものでもないし 178 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/24(金) 17 39 15 ID 24eJS0wk0 時代で分けるよりは、1世紀に3人くらいの方が公平じゃないか? 179 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/24(金) 17 59 39 ID ZR5XNFEv0 178 同じ一世紀でも治世と乱世を一律には扱えんだろ。 180 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/24(金) 18 23 16 ID tvbUH3ce0 177 というより、三傑は本当に「名将」なのか? どうみても勝ち目がない国に殉じた、っていう情念の部分で有名になったけど。 劣勢を挽回したわけでもなく負けるべくして負けたわけで。 皇帝が降伏しちゃったのに戦争を継続して結果死人を増やしただけではないか 181 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/24(金) 18 26 36 ID aFoe9IfI0 180 最後の一行は蛇足だと思うが、そのとおりだと思う 名臣ではあっても名将ではないな なぜかガイエは張世傑を百人にいれていたが 182 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/24(金) 18 26 51 ID N9GGpCSa0 騎兵1万に何も対策もせずに平地でぶつかれば10倍いてもひとたまりも無い。 まして斥候も出さずに行軍しているところを騎兵に襲われたら20倍いても負けるだろう… 少数で多数を破ったとしても対戦相手が無能なら凡将でも大勝利できる。 名将とはお互いに相手を察知して不意打ちではなく正面から戦いその時代の代表的な敵国の将を相手に完膚なきまでに叩きのめすぐらいの戦果がないとだめだろう。 183 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/24(金) 18 52 36 ID +v3YHYxZ0 あんまりハードルを挙げすぎると100人集まらないよ まず文句なく名将を決めて次にかなり名将、やや名将、ちょっとだけ名将と ハードルを下げていくのもいいかもね 184 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/24(金) 19 17 08 ID M+Rr1LWp0 182 たとえば誰? ちなみに、柏郷での戦いは、王景仁率いる梁軍を、大軍のゆえに怯懦せず、その質がさほどではないことを見抜いた周徳威が3千ほどの歩騎で攻撃を仕掛けたけど、王景仁はこのときとばかりに一気に総攻撃をしかけた。 周徳威は8万の梁軍と戦いつつも後退し、やがて広大な平野部に誘い込み、しかも戦い続けていたので、敵兵の腹が減っていることも見越し、待機させてきた残りの騎兵をもって、完膚なきまでに叩きのめしている。 最初から恵まれた地形にあったわけでもないし、統率者である王景仁が無能でもない。こういう戦史に残される鮮やかな勝利を演出した周徳威も、後の胡柳陂の戦いでは、混乱する味方を抑えられず乱戦の中に沈んでしまった。 185 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/24(金) 19 20 32 ID M+Rr1LWp0 177 数字は誇大表記が基本だしね。 五代史では、趙匡胤率いる部隊2千(うろ覚え)が、南唐李景達の2万と戦ったとき、斬首5千なのに宋書太祖本紀では1万余に水増しされているというワロス記述もある。 186 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/24(金) 20 52 24 ID 298gNi5/0 172-173 単純に今誰が出てるかよくわからないから語りにくいだけだろう という事で既出人物のリストを作ってみた ・神話~春秋戦国 呂尚(西周、斉) 孫武(斉、呉) 墨?(墨家) 呉起(魯、魏、楚) 楽毅(燕) 田単(斉) 白起(秦) ・秦・前漢 楚:項籍 前漢:韓信、周亜夫 ・新・後漢 後漢:劉秀、耿?、呉漢、岑彭、班超 ・後漢末~西晋 魏:曹操、鄧艾 呉:孫策、周瑜 司馬懿(魏、晋) ・南北朝 前涼:謝艾 前趙:劉淵、劉聡 東晋:祖逖、桓温、謝玄 後趙:石勒、石虎 前燕・後燕:慕容恪、慕容垂 冉魏:冉閔 前秦:苻堅、王猛 北魏:拓跋珪、拓跋燾 侯景(北魏、東魏、梁) 大夏:赫連勃勃 劉宋:劉裕 南斉:蕭道成 梁:陳慶之 北斉:斛律光 韋叔裕(?) 北周:宇文泰、宇文? 宇文ユウ(北周?) 陳:陳覇先 ・隋唐 唐:李世民、李靖、李勣、郭子儀、李愬 ・五代十国宋遼金 晋・後唐:李克用、李存孝、李存勗、李嗣源、郭崇韜 南唐:劉仁贍 後周:柴栄、李重進、韓通、向訓、符彦卿 北宋・南宋:趙匡胤、曹彬、范仲淹、狄青、宗沢、岳飛、孟? 遼:耶律休哥 ・元(モンゴル帝国) トゥルイ、スブタイ、ウリャンハタイ、郭侃、張弘範、バヤン ・明 朱元璋、徐達、李文忠、藍玉、兪大南犬、朱棣、于謙、胡宗憲、袁祟煥 ・清(後金含む) ヌルハチ、康煕帝、左宗棠 洪承疇(明、清) 時代区分は 119に従ったが、複数の勢力に在籍した奴や事実上の建国者やその部下なんかは 勢力の分類に困ったんで適当だw ところで、韋叔裕、宇文ユウ、兪大南犬ってよく知らないんで誰だかわからなかったんだが 187 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/24(金) 21 07 49 ID +Ir5WLM80 186 兪大南犬 じゃなくて、兪大「猷」のことじゃないかな? ttp //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AA%E5%A4%A7%E7%8C%B7 188 186(携帯) sage 2006/11/24(金) 21 53 28 ID 3D0YGq2uO 187 そりゃいくら検索しても見つからないわけだorz 189 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/24(金) 22 27 35 ID 2cNyWYaOO 100か 50毎に確定リストを更新していった方がいいと思う 名前があがってるリストじゃなくて ほぼ確定だろ?リストが何回かでてるから それがまずテンプレ で、次の 100か 50レスまでに2~5人ぐらいづつ増やしていこう 190 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/24(金) 23 29 35 ID Ie5xHdgTO 宋の李顕忠 秦の王翦 191 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/24(金) 23 42 39 ID EGMyDZUi0 狄青 192 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/24(金) 23 49 37 ID Z+3QIUdNO 186 個人的には好きな人物だけど符堅は外してもいいんじゃなかろうか 彼の軍事的成功は王猛の力に依る所が大きいしなによりヒ水の敗戦が痛過ぎる 193 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/25(土) 02 27 34 ID jsisnWo/0 五胡十六国・南北朝に偏りすぎてるな。 194 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/25(土) 02 35 47 ID 4BifWSnJ0 秦の王翦 前漢の衛青 北斉の高長恭 金の宗望、宗弼 明の常遇春 あたりは? 195 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/25(土) 02 37 32 ID 4BifWSnJ0 とりあえず、今は候補者をガンガンだしていって数を揃えるべきかと。 んで後になって削っていくでいいんでない? 196 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/25(土) 02 38 20 ID mdViCXj60 高長恭は戦績が少なすぎるとオモ 蘭陵王の話で過大補正がかかってるかと 名将には違いないが 197 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/25(土) 02 42 03 ID jsisnWo/0 金の完顔陳和尚も入れてやれよ。 おまいらの好きな寡兵で大兵のモンゴル軍を破った武将だお。 198 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/25(土) 07 06 24 ID PBHUP4WG0 歩兵で10倍の騎兵を破った人とかいない? いたら名将確定だけど 199 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/25(土) 14 32 31 ID 6ELxZNZq0 史上最強の宇宙大将軍は当然当確だよな。 200 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/25(土) 16 42 26 ID WTJAOlZO0 192 ヒ水を理由に符堅外すなら 赤壁を理由に曹操外すべき 201 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/25(土) 16 48 30 ID a64clY1X0 200 いやぁ… 苻堅はまさに?水のあと転落するように退場したろ。 曹操はその後も最大勢力を保ったじゃないか。 202 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/25(土) 17 25 38 ID O+t4uNTE0 赤壁の戦い自体が胡散臭いのだが 大敗したはずの魏の主だった武将が全然死んでないし 203 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/25(土) 17 32 15 ID a64clY1X0 そういう天下分け目の戦いというわけでもなかったろうが、曹操自身その後大軍をもっての南征をしてない以上、南北統一の機会といえば赤壁の河下りということになるのだろう。 204 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/25(土) 18 30 55 ID FO5X8KYBO 武将の仕事はもちろん戦いに勝つことだが、春秋戦国以降の武将の最終目的はやはり天下統一 建国の名将は実績的な面で最大評価をするべき 建国のための戦いで数多く勝利をおさめ、功績の大きい人物は外すべからず 205 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/25(土) 20 05 01 ID RJlXylR30 話題が散漫になるから、時代毎に議論していった方がよくないか? その時代時代に得意な人と苦手な人もいるだろうし。 最初は春秋戦国からで、大体の候補を決めてく感じで 206 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/25(土) 20 40 34 ID mdViCXj60 それは自分の詳しい時代に差し掛かるまではROMってろと? 207 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/26(日) 00 25 30 ID iN7+lkg5O 王翦を超える統一貢献度の高い名将などいない といってみる 208 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/26(日) 00 35 19 ID aYuH8mUGO 王翦の時は秦が他の六国を圧倒してたからなぁ 個人的には長平の戦いを勝利に導き秦の絶対的優位を決定付けた白起の方が凄いと思う 209 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/26(日) 00 36 46 ID PjYcxhT50 ?政は除外? 210 奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. sage 2006/11/26(日) 00 39 05 ID TRtUvO3j0 名将の定義に依るかと。 211 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/26(日) 00 40 49 ID h9FmfRDt0 209 ?政って親征してたっけ? 212 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/26(日) 00 54 39 ID yucqavKU0 王翦の凄いところは、水陸両面でオールマイティに采配を揮い、 君主の軍事的行動の要求に必ず応え、それでいて自らの生を 全うさせたことだね。 213 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/26(日) 01 02 38 ID tMZdmYLG0 211 してないよ。 214 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/26(日) 01 04 32 ID h9FmfRDt0 213 だよね。 上の方で「自分で軍を率いた」というのを条件としようというレスがあったので、それに従うんなら?政は除外されるべきだね。 215 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/26(日) 02 46 30 ID iN7+lkg5O 信陵君が救援に駆けつけた趙、魏、楚連合軍に負けた (白起はこのへんで処刑されてる) その後も魏の救援に駆けつけた信陵君率いる連合軍に負け 春申君率いる楚、趙、魏、韓連合軍が秦地に侵入、函谷関まで迫った 趙では李牧に惨敗 (このへんまで六国全て残ってる) 楚では項燕に大敗 確かに秦一国抜きんでたけど予断は許されない状況 白起は確かに名将だが長平の大勝利は現実には趙括が無様な負け方をしただけ 王翦の活躍は国を、一つのまとまった勢力そのものをきちんと倒した 征服戦争をも遂行したという点で注目される この結果、中国という領域を確立させた秦帝国の登場をみる 216 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/26(日) 03 01 46 ID siZxMZWd0 そういや、リストに李牧がいないな。さすがにこいつは外せないだろう。 あと個人的には宋のチュウ師道と金の僕散忠義を推す。 217 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/26(日) 05 16 30 ID AVEMiy6a0 白起が処刑されてるとか 長平の戦いを趙括が無様な負け方をしただけとか 物凄くバイアスを感じる 218 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/26(日) 05 51 26 ID PjYcxhT50 その鬱憤を日本にぶつけられても困るよな 219 ↑ sage 2006/11/26(日) 05 51 57 ID PjYcxhT50 すまん。誤爆だ 220 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/26(日) 06 18 17 ID d1YGtSzc0 215 後半のまとめはガイエの武将列伝まんまじゃないか・・・ 確かに王翦は秦代随一の名将だと思うが・・・ 戦国時代で楽起・白起・王翦・魏無忌・李牧あたりはほぼ確定かな? 田単を推す声もあるけど俺的には百人に絞るとランクインは苦しいと思うんだがどう思う? 221 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/26(日) 08 46 38 ID qhzh+sRx0 212 戚継光 222 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/26(日) 08 52 35 ID siZxMZWd0 220 いいたいことは判る。 田単こそ、田中芳樹がいう「平均点が出しにくい」武将だと思いますよ。 陸遜を削る理由にあげたような。 223 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/26(日) 09 13 56 ID D//XtrXV0 田単は楽毅とワンセット扱いでいいんじゃね? 楽毅無しで語れないし、一発屋感強いし 224 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/26(日) 10 46 07 ID lUKgVANzO 一応ちょっと名前がでてた墨子と孫武は? あと個人的に管仲はどうなのか聞いてみたい 225 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/26(日) 11 54 35 ID yucqavKU0 墨子は、戦術家に徹してたから、戦略面の評価が出来ない という点で微妙かと。 孫武は、実戦指揮官としても優秀だし名将で良いと思う。 君主が交代しなければ、もっと戦績を残していたはず。 管仲は、将として斉領土内でなら抜けた存在であったけど、 強力な将帥と戦っていない点で評価を下げて良いかも。 226 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/26(日) 13 51 12 ID inVAQlXj0 孫武が軍を率いて敵を倒した話なんて知らんぞ 愛妾を斬った話と郢を攻めるのを時期尚早と諌めた話しか知らん 227 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/26(日) 14 33 28 ID lUKgVANzO 93によるとあるらしいが 228 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/26(日) 15 44 43 ID inVAQlXj0 227 >兵力3万の呉軍を率いて兵力20万の楚軍を破り、楚都を陥落させた これの出典は何?楚都郢を陥落させた話は簡潔にしか書かれてないんだが 3万、20万の数字はどこから出てきたの? 229 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/26(日) 16 02 42 ID lUKgVANzO 227 俺に言われても困るが、93が電波飛ばしてたって事でいいんだよな 一応93が言ったあとに誰も反論しなかったんで一応ほじくり返してみたんだが 230 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/26(日) 16 19 54 ID inVAQlXj0 229 いや、単に俺が知らないだけでデムパと決め付けるのもあれだと思うが 自らの著書「孫子」通りの戦い方をしたのなら普通に勝つべくして勝つ戦いをして 勝ったわけだから特に記述するようなこともなく簡潔に書かれるわけで 3万で20万と戦うという戦い方は「孫子」に矛盾するし、なにより楚都郢を 攻めたいという呉王闔盧に時期尚早と再三再四慎重論を唱えてきた それまでの行動と矛盾するのだが まぁ寡兵で大軍を撃破するような華々しい軍功がなくても孫武は名将に違いないと思うが 231 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/26(日) 16 32 13 ID iN7+lkg5O 217 仕方ないやん、事実やん 長平の戦いで趙括がとった行動は三流もいいとこ 220 王翦をどうしても残したかったので頑張ってみた 俺が頑張らなくとも残っただろうけどね 232 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/26(日) 16 38 52 ID iN7+lkg5O 逆に四十万もの捕虜を与えた趙括を感心すらするわ 233 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/26(日) 17 31 01 ID AVEMiy6a0 白起のあれを処刑とは言わんでしょ、少なくとも中国感覚では 長平の戦いで白起のとった戦略、戦術がが平凡もいいとこだったら 趙括が無様な負け方をしただけとも言えるかもしれないけど、自分にはそうだとはとても思えないんだ 40万の兵士を40日以上にわたって封じ込め続けるなど、名将ならとるに足らないことなんだろうか 234 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/26(日) 19 32 19 ID iN7+lkg5O 233 処刑は言い方が悪かったかもね 長平の戦いは白起だからあれほど鮮やかに勝ったってのは確かにあるかもね 235 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/26(日) 23 15 09 ID aYuH8mUGO 白起はもう確定でいいんじゃないかな 春秋戦国時代に白起を超える将軍はそうそういないと思われる 236 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/26(日) 23 36 33 ID yucqavKU0 孫武について分かるだけ書いてみる(長文すまん) 呉王闔閭(在位前514~前496)は春秋五覇の一人に数えられることもあ る。呉は新興の小国で、楚は中原を狙うことも可能な大国であり、それ 以外にも斉という大国とも隣接していた。 その代、伍子胥・孫武の両将を主力として、紀元前506年には楚の首都・ 郢を陥落させた。 伍子胥・孫武は、闔閭の即位後に呉に仕え8年間の間に、これらの大国 と対抗できる軍備を整備し、その大国を滅ぼすだけの軍事的な成功を収 めている。 闔閭の太子・夫差が即位し、伍子胥が誅殺(前484)されるのと前後し て孫武は呉国から姿を消す。なお、呉国はほどなくして滅亡する。 ここからは推測が混ざります 伍子胥は、郢の陥落後に闔閭の政治的補佐役として宰相を務める。孫武 は、軍事の中枢にあったと思われる。よって、当時の呉国で軍事的に最 も優れていたのたのは、孫武でしょう。 237 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/27(月) 00 01 11 ID Ku2AkQqc0 236 他の春秋戦国の名将と比べても、際立って強そうじゃないな。 リストから外していいかも。 238 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/27(月) 00 26 23 ID K9wU4VUH0 237 楽毅と同じレベルのことはしてると思うんだがな 239 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/27(月) 06 02 44 ID xlFKxEyi0 確かに戦功だけで言うと100人入りは難しそうだな 中国史の中でもかなり古い時代だから資料も史記オンリーだしな 孫子の兵法書を書いたネームバリューのが上だろうな 俺的には外したいところ 240 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/27(月) 06 16 09 ID /aMHH+wq0 後の世の名将たちに与えた影響がでかい、ってことで評価したいなあ 241 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/27(月) 06 26 39 ID pZ0Y872aO 春秋戦国から十人出すんなら入れてもいいんじゃないか 242 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/27(月) 08 09 14 ID QkWuDOXb0 春秋戦国時代は500年を超える期間だから10人は入れてもいいんじゃない 243 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/27(月) 08 40 58 ID JQ5ysuUDO 119の時代区分なら西周春秋戦国から10人は出せるよ (他の時代との兼ね合いから削られる可能性もあるけど) 補欠を加えて12人位は出しておいて良いんじゃない? 244 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/27(月) 10 10 02 ID rtP8fock0 つーかね、一人名前を挙げてはゴチャゴチャ言ってうやむやになったまま 次の武将の話題に移ってまたゴチャゴチャ言って、って全然前に進んでないな とりあえず暫定的に100人前後名前を挙げて そこから武将を足したり引いたりする方法をとらない? 245 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/27(月) 10 21 08 ID pqfV9W4L0 10等分10人枠のなかで調整してった方がいいだろ 白起 呉起 王セン 李牧 楽毅 孫武 田単 墨子 呂尚 管仲 とりあえず神話~春秋戦国は今までに10人候補あがった。 補欠入りやリスト外しするなら今のうち。 246 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/27(月) 11 20 58 ID OE/Lc3tCO 墨子は外してもいいんじゃないだろうか 代わりに伍員を推す 247 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/27(月) 11 25 20 ID XWrjbjEY0 GOOD! 248 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/27(月) 11 25 31 ID wghAKR4O0 しかし… 史料を漢籍に頼らざるを得ない時代でも、ここまで熱く語れるだろうか。 正史全編もってる人いる? あるいは特定の時代でもいいけど。 自分は猫に小判ながらあるにはあるが… 全史に精通した人がいればなぁ 249 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/27(月) 11 45 48 ID 1ygseA6i0 廉頗は? 蘭相如と両名が健在なうちの趙は、秦に侵攻されなかったということでも、 相当な将帥なのでは? 250 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/27(月) 13 56 08 ID JQ5ysuUDO 245 魏無忌忘れてやるなよ あと王翦は戦国秦と統一秦のどっちに入れる? 251 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/27(月) 15 02 42 ID pZ0Y872aO ところで芸術的な戦術を披露してくれた孫ピンは? 252 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/27(月) 15 39 37 ID aOv3jnhCO 管仲は将軍じゃねーよ 253 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/27(月) 20 27 30 ID K9wU4VUH0 孫?は田忌の軍師的なイメージが強いな。 孫?自身は、彼の前歴からして将として実戦の 指揮を執ったことは無いと思われる。 254 253 sage 2006/11/27(月) 20 28 32 ID K9wU4VUH0 文字化けした。 孫?=孫ピンです 255 奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. sage 2006/11/27(月) 21 16 58 ID mOAfqCHc0 245から李牧と管仲を抜いて、孫賓と楚の子文を入れたいな。 256 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/27(月) 22 28 24 ID bgKvXvCS0 245 孫武と田単を上下逆にして孫武以下は除外してもいいような。 一応、自分で兵を率いて戦ったか?を基準にしてみた。 呉が楚を討ち斉や晋に対して威勢を示したのが、孫武は自分で実際に率いてのものなのか微妙。 実際のところどうなんでしょう? 257 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/27(月) 22 38 10 ID K9wU4VUH0 伍子胥や孫武以上に優秀な実戦指揮官が、当時の呉に居たのなら それなりに名を残しているはずなんだよね。 258 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/27(月) 22 39 19 ID Nf/cbDrG0 245 春秋と戦国も分けた方がいいんじゃないか?と思いつつ 管仲と墨子を外して、范蠡を挙げてみる 259 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/27(月) 22 41 17 ID bgKvXvCS0 257 ああ、そういう考え方もあるか。 でも斉の桓公の時代の将軍って誰になるの? 桓公の親征だっけ? 260 奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. sage 2006/11/27(月) 22 44 24 ID mOAfqCHc0 257 夫概王がいるよ。 261 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/27(月) 22 44 31 ID OvwqCoPD0 255 管仲を抜くのには賛成。李牧は実績があるので、候補に入れとくべきでは。 262 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/27(月) 23 11 54 ID JQ5ysuUDO 春秋組はやっぱり五覇の関係者が候補になるのか? 263 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/27(月) 23 57 17 ID K9wU4VUH0 春秋五覇で、将により軍事的に他国を攻める等で中原に 覇を唱えたのは呉王闔閭と越王句践の関係者だけじゃね。 260 夫概ってのは、兄に対して謀反を起こして速攻で鎮圧され た人間だし、勇将くらいには評価できても、名将として名を 残すに値しないだろ。 264 奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. sage 2006/11/27(月) 23 59 31 ID mOAfqCHc0 263 伍子胥や孫武よりは実戦では上かと思うよ( 257)。 265 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/28(火) 01 25 55 ID 3GTJUfgz0 夫概ってでも、柏挙で手勢五千だったと聞く。 優秀な前線指揮官だったかもしれないけども、 その程度の兵数しか(勿論五千は大した数ですが)持てなかったのは、 やっぱり前線指揮官どまりじゃね? 266 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/28(火) 01 42 02 ID BjglAgeEO 263 斉の桓公:多くの近隣小国を併合、魯・楚・夷狄を撃破 秦の穆公:晋の恵公を破り捕虜にする。西戎を伐ちそこに覇を唱える 宋の襄公:桓公死後の内乱中の斉には勝てたが、楚相手に馬鹿をしでかし惨敗 晋の文公:秦の援助を受け、兄を破り政権奪取。周の内紛を納め、楚を破る 楚の荘王:陳を併呑、鄭を下し、文公死後の晋に大勝し、宋も下す 襄公を除いて、みんな一通りの軍事的功績は残せてると思うが 267 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/28(火) 02 11 41 ID VNEPvAGX0 まあ「宋襄の仁」はこのスレのテーマとは対極でしょうなあ 268 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/28(火) 02 34 41 ID pkOs6iMI0 士会は? なんか凄い武将なイメージがあるんだが。 269 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/28(火) 03 02 23 ID 8XlMsvDu0 257 なんたって孫武自身が著作の中で「勝って後に戦う」と述べてるくらいだから 彼と伍子胥が軍事に携わってた頃の呉があれだけ勝ってるにもかかわらず エピソードに残るような印象的な戦いが少ないのは当然と言えば当然なんだろうな。 270 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/28(火) 04 10 42 ID P9kVmqPxO 趙奢が入っとらんじゃないかああぁあ 271 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/28(火) 06 05 42 ID Fq8Q7FQ40 孫武・孫ピンは名参謀100選なら文句なしにランクインだろうけど 他に十人適当な候補がいるなら削るでいいと思う 楽毅 魏無忌 白起 李牧 王翦 スレの流れ的にここらへんはほぼ当確枠かな? 個人的には(ガイエもあげてたけど)実質、春秋時代の扉を開いた趙無恤はどうだろうか? 272 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/28(火) 12 50 41 ID SwIfbbtC0 266 富国強兵で自領土内を統一し、近隣の小勢力を破ったまでの 軍事功績だと思われるのだが、その中で最大の功績を挙げたは ずの管仲でさえ、このスレでは候補から外そうという意見が出てい るのだし、呉王闔閭と越王句践の関係者以外は対象外でしょ。 273 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/28(火) 13 27 57 ID MsEZ/WQ20 このスレの住人は戦争が強い奴より戦闘が強い奴の方が好きみたいだからな 274 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/28(火) 13 45 02 ID BjglAgeEO 272 ぶっちゃけあいつ等、他の五覇と比べて軍事的功績そんなに大きいか? 275 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/28(火) 14 34 22 ID SwIfbbtC0 274 この勢力図を見れば、呉王闔閭の代の軍事功績が 大きいのは分かると思うのだがな。 ttp //www.topqd.com/pj/mapchunqiu.gif 276 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/28(火) 17 36 58 ID BjglAgeEO 確かに五覇クラスの首都を陥落させたのは闔閭と句践だけだな 他は五覇クラスに勝ってもそこまで攻め込んでいない 277 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/28(火) 19 41 00 ID UnZyaTkw0 272 管仲は政治家であって、将軍ではないだろ。 政治家と将軍を混同してる奴は消えろ。 278 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/28(火) 19 53 31 ID UnZyaTkw0 ちなみに管仲の時代の斉の名将は王子成父(王子城父ともいう)。 評価対象にするとしたら、こっちじゃないかなあ。 279 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/28(火) 20 40 03 ID Njt/C1F70 277 伍子胥や呉起なんかは宰相と将の両方で実績を残してるんだ けど。 五覇になると王か宰相が直接指揮を執ったのか、将が指揮を 執ったのかが不明な場合が多いな。 それで、王子成父はどの程度の戦功を挙げてるの? 評価するならその辺りを書いて欲しいけどな。 280 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/28(火) 20 51 11 ID UnZyaTkw0 279 伍子胥や呉起は入れてもいいと思うよ。 二人とも、政治家であると同時に将軍だ。 管仲のように政治家であるだけなのに、 候補にあがるのがおかしいってだけ。 王子成父は「軍令を明らかにして、賞罰を正しく行い、王を諸侯の覇者とした」とあるが、 歴史書に記された軍功は、たった一つ。 攻め入ってきた異民族を撃退し、敵将を殺したのみ。 孫武と同じく、具体的な戦功を欠いてる点で、候補とするには弱いな。 281 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/28(火) 21 30 49 ID Njt/C1F70 280 桓公自身は軍に明るい人物というわけではないという評価だし、 そうすると斉国の軍権を握っていたのは、管仲と王子成父のどち らになるの? 管仲だとすれば純粋な政治家ではないということだし、王子成父 ならば彼を相応の将として評価してもよくないかね。 282 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/28(火) 22 47 16 ID UnZyaTkw0 281 管仲は軍を率いたという記録さえない。 王子成父が全軍の軍権を握っていたのか、 一将軍に過ぎなかったのかは不明だが、 当時の斉を代表する名将であったことは確からしい。 283 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/28(火) 23 20 01 ID Rc/klTjX0 日本や欧州での知名度からして孫武をはずすわけにはいかない。 実績?知らんけど 284 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/28(火) 23 23 55 ID VNEPvAGX0 軍を率いて稲刈りに行った 285 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/29(水) 00 25 39 ID reVV498U0 283 史記の孫子呉起列伝より 原文 於是闔廬知孫子能用兵,卒以為將。西破彊楚,入郢,北威齊晉, 顯名諸侯,孫子與有力焉 いい加減に訳すと 闔廬は孫武が用兵に優れていることを知り、これにより将に任命した。 西に楚を破り郢の都に入り、北では斉や晋に威勢を示し諸侯の間に呉が 名を現したのは、孫武が有力な将であったから。 286 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/29(水) 00 34 22 ID i+IIY8eG0 1.神話~春秋・戦国 ← 今ココ 2.秦・前漢 3.新・後漢 4.五胡十六国 5.南北朝・隋 6.唐・五代十国 7.宋・遼・金 8.元(モンゴル帝国) 9.明 10.清(後金含む) 先が長いんだし、そろそろ春秋戦国の10傑決めよう 楽毅 魏無忌 白起 李牧 王翦 この辺当確? その他名前の挙がった候補者 呉起・孫武・田単・墨子・呂尚・管仲・伍子胥・廉頗・句践・范蠡・闔閭 287 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/29(水) 00 46 44 ID AYkOeapjO 晋の先シンなんてどうだろう 文公重耳に仕えて城僕の戦いで大将となり楚を破り晋を覇者にし、 コウ山で秦軍を破り秦の穆公の東進を防ぐなどなかなかの戦績を残してると思う 288 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/29(水) 01 06 23 ID o5nwn/FQ0 先越された感があるけどまとめ 西周春秋戦国の初案は 245 「…」以後はレスからの要約 入れるかどうか再考中の武将 ・墨子…外してもいい? ・王セン…戦国秦の統一秦どっちに入れる? ・管仲…将軍なくて政治家? ・呂尚 ・孫武…「勝って後に戦う」だから印象的な戦いが少ないのは当然? 名将ではなく明参謀? ・李牧…実績があるから候補に入れとくべき? 追加を検討中の武将 ・伍員(子胥) ・廉頗 ・魏無忌(信陵君)(ほぼ確定か?) ・孫ビン…田忌の軍師的イメージが強い?実践の指揮を執ったことは無い?名将ではなく名参謀? ・夫概…伍子胥や孫武より実践では上?前線指揮官どまり? ・士会 ・趙奢 ・趙無恤 ・王子成父…具体的な戦功を欠いている? ・先軫 流れ的に確定っぽい武将は 271 289 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/29(水) 01 13 13 ID 9jRcAjTiO 趙奢は閼与の戦いで名将らしさを発揮したよ 290 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/29(水) 01 25 03 ID o5nwn/FQ0 重耳前後の晋の将軍はあんまり話題に上らないねえ 286 この段階で十傑と無理に縛ると決定が延びるから とりあえず十人前後ぐらいを決めておくのが吉 個人的には初案からまだ2,3日しか経ってないんだから もうちょっと様子を見てもいいような希ガスるが… 291 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/29(水) 02 04 18 ID ey5SslPaO 春秋戦国時代の戦闘に関する記述は抽象的なものが多くてなんとも判断がしにくいんだよね 挙がっている候補の中では白起や楽毅といった有名どころは確定でいいと思うよ 292 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/29(水) 03 17 01 ID lkh9T50QO 291 戦国はまだしも春秋は指揮官なんかの細かい情報がな…… 293 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/29(水) 18 51 46 ID lkh9T50QO で、左氏伝なんかも読んでみたけど楚の荘王(熊侶)はどう? 主な戦いは親征してるし(ヒツの戦いで孫叔敖が突撃命令出してるのが気になるが) 294 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/29(水) 19 05 46 ID +CIBgLdt0 士会ってどうなんだろう。宮城谷小説読む前は名前なんて聞いたことなかったし。 春秋戦国好きの方には割りとメジャーなの? 295 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/29(水) 21 21 32 ID 21OgvoVJ0 実績、という点をみるのなら、呂尚はどうしたって外すしかなくなると思うが。 あと推薦としては 秦の昭王の征服戦争を支えたもう一人の名将、蒙ゴウ。 それから蜀征服を行い対魏、対楚戦で戦功を挙げた司馬錯、五カ国連合軍を破って 常勝を誇った樗里疾。 しかしこのあたりは、戦国なのか秦なのか。 296 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/29(水) 21 32 32 ID reVV498U0 ひとつの目安として、その将が居なくなった後に、その国が どうなったかで判断できるような。 白起→王翦や廉頗→李牧みたいに、後継の主将が非常 に優秀であったり、秦のような人材が豊富であった国では例 外もあるだろうけど。 297 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/29(水) 21 58 11 ID lkh9T50QO しかし西周だとあいつしか思いつかないというのが…… 298 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/29(水) 22 15 21 ID 5L5FY+Cr0 白起と李牧はいるいないで戦果が露骨に違ってたな 299 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/29(水) 23 15 13 ID ey5SslPaO 秦は兵も優秀だからなぁ 300 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/30(木) 02 07 27 ID GhQBWBFpO もう春秋戦国を語ってだいたい100レスだ決まってなくてもいいから次の秦~前漢時代にするぞ! ここも十人ぐらいか 301 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/30(木) 02 51 06 ID QwC+Jg2q0 そう順番にやっていっても三国以降どんどん議論が成立しなくなる気がする(話せる人が少なくて) 302 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/30(木) 08 40 44 ID DjPTCiTM0 それは三戦板の住人だけだろww 303 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/30(木) 13 27 20 ID qmT2Dms50 とりあえず、衛青どうする? 304 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/30(木) 15 48 38 ID pY4Ltlll0 むしろ早く異民族達を語りたいぜ? 305 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/30(木) 15 58 12 ID /waIZHOL0 ここって世界史の人も多いと思うし、話せなくなることはないんじゃないの? 306 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/30(木) 16 40 41 ID BfjNOMCa0 自分としては宋末や元末時代を語りたいのでそれまで待機中。 秦~前漢だと楚漢戦争に偏りそうなのでパス。 307 まとめ sage 2006/11/30(木) 16 57 32 ID J0+WcsAj0 とりあえず楽毅、魏無忌(信陵君)、白起、李牧、王翦は確定、 以下を候補として統一秦~前漢に話題を移すか。 「…」以後はレスからの要約 ・墨子 ・王セン…戦国秦と統一秦どっちに入れる? ・管仲…将軍ではなくて政治家? ・呂尚…実績が無い? ・孫武…「勝って後に戦う」だから印象的な戦いが少ないのは当然? 名将ではなく明参謀? ・伍員(子胥) ・廉頗 ・孫ビン…田忌の軍師的イメージが強い?実践の指揮を執ったことは無い?名将ではなく名参謀? ・夫概…伍子胥や孫武より実践では上?前線指揮官どまり? ・士会…メジャーなのか? ・趙奢…閼与の戦いで名将らしさを発揮? ・趙無恤 ・王子成父…具体的な戦功を欠いている? ・先軫…戦功はある( 287参照)? ・楚の荘王(熊侶) ・蒙ゴウ、司馬錯、樗里疾( 295参照) 308 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/30(木) 17 15 49 ID SalJAk9+O 確定しているのは5人か 田単はまだ候補に挙がってないの? 309 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/30(木) 17 17 45 ID pY4Ltlll0 次の時代は秦末(始皇帝の死)~前漢末(王莽の簒奪)くらいまででおk? まあ、まず外れないだろうというのは 項籍 韓信 霍去病 (衛青) 班超 ここらへんはほぼ確定じゃね? 冒頓はありかな? 匈奴オッケーならランクインは確実だろうね 個人的には霍去病(対匈奴戦争で活躍した人物)入れるなら匈奴側からも入れたいが 310 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/30(木) 17 23 36 ID SalJAk9+O 309 班超好きとして一言言わせてもらうと 班超は後漢代の人物です 311 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/30(木) 17 28 17 ID o6HX56Ad0 307 呉起・闔閭・句践・范蠡・田単とか抜けてるな 312 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/30(木) 17 29 49 ID GhQBWBFpO 307 まとめ乙です 韓信は確定だとオモ 313 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/30(木) 17 39 35 ID QwC+Jg2q0 蒙恬、章邯、英布、彭越辺りは入るのかどうか 彭越は入るかな 314 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/30(木) 17 42 10 ID JkzELdGc0 309 匈奴の冒頓はさすがに外国人扱いじゃないか? 315 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/30(木) 17 48 07 ID o6HX56Ad0 周文を挙げてみたい 戦国時代、誰も抜けなかった函谷関を抜いた事実は大きいのでは… その後章邯に敗れ、その章邯も項羽に降ったから百人の内に入れるのは厳しいと思うけど 316 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/30(木) 18 03 05 ID pY4Ltlll0 310 正直すまんかった 勘違いしてますた 俺も班超好きだぜ 314 冒頓はさすがにアウトか これ以後の時代はは異民族の将軍もランクイン候補が増えるだろうから定義決めてたほうがいいかもな 中国式の王朝名・元号を用いている政権に所属する人物に限定するとかどうかね? それだと阿骨打や陳和尚・郭侃などは条件に該当するが冒頓・スブタイやチンギスらは除外できる 317 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/30(木) 18 05 20 ID GmtqJ+gU0 314 この後非漢民族の政権が大量に出てくるし、一概に匈奴だからといって排除は出来ないぞ (まあさすがにこの時代の匈奴を入れるのは俺も違和感があるんだが) 318 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/30(木) 18 23 31 ID GmtqJ+gU0 316 ってそうなると大越がアリにならないか? 319 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/30(木) 18 24 32 ID BfjNOMCa0 華北を支配した遊牧民族国家の人物に限定しようや。 五胡や契丹、モンゴルは含めるという事でいいんじゃない? 冒頓及び彼の時代の匈奴はそれに該当しないので却下。 320 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/30(木) 18 26 23 ID dxrGym9/0 もう全部中華みたいな思想って世界帝国の唐からじゃないかな? 321 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/30(木) 18 43 31 ID pY4Ltlll0 319 それだとオゴタイハーンの時代も包括してしまうがありなのか? 322 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/30(木) 18 50 01 ID J0+WcsAj0 非漢民族の政権、武将については 7-15あたりも参考にしてね 318 うろおぼえですまんが 大越はいわゆる中国本土に領土をもってなかったからアウトじゃない? 323 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/30(木) 19 06 56 ID GmtqJ+gU0 321 二十四史の一つの元史で扱われていて、金を滅ぼし華北を制圧したのに何か問題が? 322 一応あれだけで当てはめようとすると出てくる矛盾点だったので 後、西夏もそうだね ていうかモンゴルで何回議論になってるのやら お互いに譲る気無さそうなのが問題か?(俺を含めて) 324 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/30(木) 19 14 09 ID lfUMpfJA0 候補だけなら、匈奴からもだしたらいいじゃないか。 それで誰をランキングすればいいかもあとで議論するし。 ま、匈奴の英雄ってどんなのがいるか、単于以外に知らんけどね。 325 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/30(木) 19 17 36 ID pY4Ltlll0 323 確かにモンゴル関係はちゃんと決めとかないと後で荒れそうだな 俺はモンゴルスキーなので大歓迎なんだけど元の時代がモンゴル武将にほとんど占領されないか? 異民族関連については中国本土で兵を率いて戦ったってのを条件にするのはどうだろうか? 326 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/30(木) 19 51 20 ID JnkYMfnmO 325 俺もモンゴルスキーだから色々と言ってたりしたが、逆に大元に国号が決まった後(1271~)に限定されると、 モンゴル十八番の大征服に関わった有名モンゴル人武将がかなり少なくなるという問題が…… (こと軍事力に限定するとクビライ政権発足してからは衰退期に入っちゃってるし 東西で政権自体は分裂した形になったんだから当たり前なんですけどね) まあ時代の長さ自体はあまり長くないから贅沢言えないんだけどね…… 327 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/30(木) 20 09 06 ID pY4Ltlll0 中国本土内で戦ったのを条件とすれば スブタイ トゥルイ フビライ モンケ ウリャンハタイ アジュ バヤン 郭侃 張弘範 チャガンティムール ココティムール 元代のモンゴル武将で百選には入らない奴もいるけど武功立てた奴はこんな感じ? けっこういい加減な記憶力で列挙したから抜けとか多そうだ 328 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/30(木) 20 19 06 ID 6ma4CxPj0 リデル・ハートがスブタイをべた褒めしたお蔭で、マンシュタインやグーデリアン、ロンメルまでがスブタイファンにw 329 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/30(木) 20 34 15 ID BfjNOMCa0 327 史天沢と張柔が抜けてるよ。 330 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/30(木) 22 56 21 ID 8RlptyqW0 張柔って張弘範の親父だっけ? 331 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/30(木) 23 10 25 ID JkzELdGc0 異民族に関しては、長城を越えて中原に国家を建ててからとか決めてなかったか? 332 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/30(木) 23 11 16 ID lfUMpfJA0 つか、漢代の話しようよ。 で、条件は中華本土で戦ったことのある遊牧民はいれるということで。 つまり攻めて側かな。 333 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/30(木) 23 13 35 ID SalJAk9+O ていうか暫定でもいいから春秋戦国時代の十選を決めておいたほうが良くない? 334 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/30(木) 23 19 21 ID hlJGKiGc0 春秋と戦国では戦い方、考え方が全然違うので違う時代として分けた方が いいのでは? 335 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/30(木) 23 27 57 ID DKDXY5GD0 今皿な発言で申し訳ないんだが、 語れる人(厨含)が多くて喧々諤々になる春秋戦国~三国時代あたりは、 むしろ後に回した方が良くないか? 語れる人が少ない清代から遡る形式の方が逆に決まりやすい気がするが。 336 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/30(木) 23 40 49 ID DjPTCiTM0 おまいら自分が好きな時代を語りたいのは解るが、ここはじっとガマンしてくれ。 俺も早く南北朝を語りたいが・・・ という訳で、春秋戦国組みは早く10傑決めてくれ。 皆ガマン出来なくなってきてるぞ! 337 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/01(金) 00 02 17 ID LuispmUo0 では私の推薦は。 307でいくと確定5人にプラスして ・廉頗 秦の統一征服戦争に抵抗した武将達の代表格として。 ・伍員(子胥) 呉による対楚戦争の代表。 ・樗里疾 実際の戦功で。司馬錯は征蜀論など、戦略方面かな。蒙ゴウは白起がいるから譲った。 あとは ・王子成父 ・先軫 この二人はそれぞれの主君を覇者に押し上げた軍事功績の代表として。 338 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/01(金) 00 39 00 ID FaHSbwRy0 307の確定5人以外の推薦ね 廉頗 和氏の壁の故事の契機となる秦の侵攻を撃退するなどの 軍功があり、李牧の先任の趙国の主将であるから。 伍子胥 呉による対楚戦争は、楽毅の燕による対斉戦争と対等の 評価で良いと思う。 孫武 同上であり、史記の記載では、将とされているため。 呉起 在命時の魏・楚の隆盛と死語の楚の凋落から。 残り1名は、范蠡・樗里疾・趙無恤のいずれか一人ってことで 339 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/02(土) 00 22 10 ID ULpBpjkz0 突然書き込みが無くなったねえ。 十傑を決めるなら、 307にプラスして 樗里疾、廉頗、先軫、伍子胥 あと呉起、孫武、田単のどれか一人 ただ、どうせ全時代をピックアップしてから 「この時代は他と比べると10人も名将はいない」 とか「この時代は10人では足りない」とかで 各時代10人となることは無いだろうから、 今から又ゴチャゴチャもめて十傑決めるより、 このあたりで一旦切り上げて次の時代に行ってもいいと思ふよ。 まとめはあるんだから。 340 奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. sage 2006/12/02(土) 00 29 08 ID V/0X7UGr0 趙無恤 これは要らんでそ。 341 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/02(土) 00 53 27 ID s4bGYVCv0 禾中世コウを入れたい 342 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/02(土) 12 17 12 ID PMzNdt7zO 341 それはどんな人物? 343 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/02(土) 15 59 19 ID vgDQhBIa0 呉起は外せんだろう。 七十六戦六十四勝十二引き分け無敗の実績は素晴らしい。 344 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/02(土) 17 22 18 ID LFygDYu80 相手がy 345 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/02(土) 23 59 30 ID Ya/v3a4d0 うーむ動きがない。ここは>307で一時保留にして、次の時代に移りますか? 346 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/03(日) 00 04 40 ID ZB0I44Gu0 345 307に呉起も入れよう。 347 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/03(日) 00 38 41 ID XKO/MwFf0 では 楽毅、魏無忌(信陵君)、白起、李牧、王翦を確定。 以下、候補者 ・墨子 ・管仲…将軍ではなくて政治家? ・呂尚…実績が無い? ・孫武…「勝って後に戦う」だから印象的な戦いが少ないのは当然?名将ではなく明参謀? ・呉起 ・伍員(子胥) ・廉頗 ・孫?…田忌の軍師的イメージが強い?実践の指揮を執ったことは無い?名将ではなく名参謀? ・夫概…伍子胥や孫武より実践では上?前線指揮官どまり? ・士会…メジャーなのか? ・趙奢…閼与の戦いで名将らしさを発揮? ・趙無恤 ・王子成父…具体的な戦功を欠いている? ・先軫…戦功はある? ・楚の荘王(熊侶) ・蒙? ・司馬錯 ・樗里疾 で「統一秦~前漢」に移行と。 ところで>341の「禾中世コウ」がどんな人物なのか判らん。 348 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/03(日) 02 11 12 ID U8A2p6Bk0 統一秦~前漢か・・・・ とりあえず、確定っぽい人 項羽・韓信・衛青・霍去病・班超 候補者 ・蒙恬 統一秦でいいのか疑問だが ・章邯 囚人軍での戦功という事を考慮すれば、確定でいいかも ・項梁 ・彭越 ゲリラ戦のプロ ・英布 ・曹参 ・田横 英雄と称えられた。項羽相手に善戦 ・周亜夫 呉楚七国の乱平定 ・李広 不運の将軍。実力はちょい疑問 ・李陵 囮の軍五千で匈奴精鋭3万と戦った。まさに獅子奮迅 とりあえず、書いてみた。叩き台にしてくれれば幸いです。 349 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/03(日) 02 13 28 ID 06cUC0QZ0 「統一秦~前漢」 韓信、衛青、霍去病は確実だと思うが 項羽、劉邦、章邯、彭越、周亜夫は微妙かな あと、冒頓単于は入れるのか? 350 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/03(日) 03 05 04 ID YMMrq7tC0 冒頓は当時中華じゃないだろう 351 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/03(日) 03 50 16 ID BsW7Tiv4O 348 班超は後漢じゃなかったけか? 352 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/03(日) 06 13 42 ID qU+MdgyJ0 348 そこに班超を入れてるのは 309でミスって班超入れた俺への嫌がらせですか? そうだね冒頓は入れたいけど中国名将百選としては不都合かな 前漢の名将といえば陳湯はどうだろ? 当時、強盛を誇った匈奴を破ってシツ支単于を討ち取っている 353 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/03(日) 09 16 31 ID g5gmsaEl0 灌嬰 楚の本拠の彭城を降伏させ、亥下で敗れた項羽を追跡して斬っている 他戦功多数 周文 戦国時代、誰も破れなかった函谷関を撃破 直後、戯水で章邯に敗れる 354 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/03(日) 09 43 46 ID dOKa2VJO0 田中ヨッシ 355 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/03(日) 09 52 32 ID U8A2p6Bk0 352 ごめん・・・・・ (/ω\) 班超と張騫を間違えた。 ホラ、何となく西で頑張ったって事で勘弁してくれ 356 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/03(日) 13 47 48 ID SXO5hFXt0 347 ごめん、まだ春秋戦国の人物選びだったのね。 宋代の人、水滸伝で老〔禾+中〕相公と呼ばれたりした、槍で地面を突き立てたら水を噴出したとかいう伝説を残す 西夏討伐の名将、子も孫も北宋末に活躍した 357 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/03(日) 16 26 22 ID BDauPCMb0 趙充国:宣帝期の匈奴戦の英雄。百聞は一見に如かずの故事で知られる。 屯田の創始者。 范明友:霍光専制期の名将。対北方民族戦で活躍 358 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/03(日) 21 00 23 ID gyRT6Jdb0 岳飛 金軍を恐れさせた 359 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/03(日) 21 12 41 ID QFRY3/ZqO 三国時代は後漢と一緒に語るの? それとも南北朝と一緒に語るの? 360 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/03(日) 21 23 11 ID PmPQ2Xeb0 おおよその業績が黄巾討伐までだったら後漢の将。 それ以降も戦歴を重ねていたら三国志の将。 蜀・呉の将は三国志の将。 蜀滅亡以前にあまり業績のない将は晋の将。 蜀滅亡以前にも業績のある晋の将は三国志の将。 こんなんでどう? 361 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/03(日) 21 36 28 ID QFRY3/ZqO 360 このスレの流れでは一定の時代ごとに区切ってそこから10人ずつ選んでくって方針みたいなんだけど 三国志はどの時代に分けるのかなと思って。 まあどの時代に分けてもそれほど多くはノミネートはしないかもしれないけどね。 362 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/03(日) 21 48 02 ID dIRSDW7n0 356 春秋戦国は 347で一旦休止、現在は統一秦~前漢なんだが 363 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/03(日) 21 53 33 ID PmPQ2Xeb0 361 まあねw お聞きの件に関しては おおよその業績が黄巾討伐までだったら後漢の将。 それ以降も戦歴を重ねていたら三国志の将。 で良くない? 362 大筋は大筋としていいけど、脱線は認めないというのは行きすぎじゃない? 364 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/03(日) 21 58 33 ID K3j/CdUKO 前漢の名将というと 韓信 劉邦 灌嬰 周亜夫 衛青 霍去病 趙充国 陳湯 こんなとこじゃね 365 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/03(日) 21 59 54 ID up4Non1C0 項羽は当然のごとく当確でいいんじゃないかと思うんだが… 366 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/03(日) 22 13 45 ID XKO/MwFf0 364 劉邦を入れるのなら(入れていいと思うが)、灌嬰は抜くべきじゃないか? あとは范明友。李広は…たしかに微妙だよなあ。才能も功績もあるけど、 結局衛青が出るまでは匈奴に強く出られなかったのだし、霍去病ほどの 目覚しい功績を挙げたわけでもなし。 あと項籍は外せないでしょ。欠点も多いが、将としての強さは文句の つけようがない。 367 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/03(日) 22 29 47 ID K3j/CdUKO 366 俺が挙げたのに対して言ってるなら、項羽と章邯は「前漢」から外しただけ 減らせというならまず灌嬰だろうね 368 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/03(日) 23 00 49 ID z0cozBnwO 横山「項羽と劉邦」と「史記」しか読んだことないけど、灌嬰入るのなら曹参、周勃とか入るんじゃないかな~と思ったんだけど、だめ? 369 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/03(日) 23 21 11 ID K3j/CdUKO 368 灌嬰は別格 秦以来の騎兵隊を任され、項羽追撃などの大役を務めた 実力、功績とも随一だろう 370 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/03(日) 23 21 51 ID XKO/MwFf0 367 それは失礼しました。 この時代区分で10人だったら自分は 章邯 項籍 韓信 劉邦 周亜夫 衛青 霍去病 趙充国 范明友 陳湯 あえて十人枠に拘らないのなら、章邯、劉邦を抜くかな。 371 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/03(日) 23 49 41 ID z0cozBnwO 369それは知りませんでした。灌嬰スゲー 372 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/03(日) 23 52 26 ID PmPQ2Xeb0 たしか項劉記では統率?の数値が項羽・韓信に次いで高かったような?>灌嬰 373 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/04(月) 02 07 55 ID 4I590vu10 項劉記では軍を指揮する能力は用兵で 韓信>張良>范増>章邯>彭越>灌嬰 374 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/04(月) 11 59 18 ID 8slVRdeh0 調べてみたら灌嬰密かに名将だな 匈奴とも戦ってるとは調べるまで知らなかったわ 名前挙げてくれた人に感謝 375 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/04(月) 12 46 22 ID OOYqVsQ4O 劉邦子飼いの武将の中では灌嬰が最強かもね 376 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/04(月) 17 42 54 ID Rz1nA0DB0 灌嬰が配下になったのは劉邦が漢王になってからだから 子飼いとは違うのではないか? 377 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/04(月) 17 48 11 ID 9K6J+lzQ0 376 確認の為にぐぐって見たが灌嬰は漢中王になる以前から臣従してるみたいだけど? 378 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/04(月) 18 00 14 ID MfhNTDey0 項羽は俺の中では名将ではないな、猛将という言葉の方がしっくりくる 戦が強かったばかりに戦略的思考が欠けていたように思える 戦略での失敗を戦術で覆すのは常識的には不可能だからな 項羽が誰かの配下の一将軍なら名将と言っても差し支えないが 立場によって名将のあり方は変わってくると思う このスレが戦に強い将を単に名将と呼ぶスレなら名将なんだろうが 379 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/04(月) 18 16 13 ID 9K6J+lzQ0 配下に信仰に近い感情を抱かせる人が「名将」。 芳樹が「銀英伝」で、司馬遼が「世に棲む日々」で言っている。 と厨臭いことを言ってみるw 380 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/04(月) 19 18 55 ID OBQujGmvO 378 逆に戦略も部下の扱いもアレだったのに、あそこまでやれたというのは名将の証とも言えないか? 381 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/04(月) 19 35 40 ID vkJA3CZ00 378 戦略的思考まで考慮に入れると、審査基準がかなり辛くなっちゃうんだよな。 それだと多分100人どころか、50人も選べないと思う。 第一、戦略って言うのも誰が立てたのか立証が難しい場合もあるし。 そもそも、ここで名の上がってるほとんどの将軍が、自分の戦略というよりも、 君主の命令に従ってなんらかの戦略的要地に赴き、作戦を行った人ばかりだろうし、 そういう人に関してはそもそも戦略眼の有無に関する検証からして難しいと思う。 382 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/04(月) 20 48 29 ID viadxE9v0 378 余計な一言だが、戦略の劣勢を戦術で覆したという例は実は戦史上それなりにある。 もちろん統計をとれば極少数の希少例ではあるが。そしてその奇跡を成し遂げた武将 なら名将としてもよいだろうと思う。 383 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/04(月) 21 01 35 ID OH7kJAi+0 382 思いつくのをあげてお。 384 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/04(月) 21 16 10 ID /RV05jNG0 ?水の戦いなんかは、それに該当するかね? 陳慶之なんかも該当するかも。 あと、南宋初期の金軍が怒涛の南征を敢行したとき、その後方で六戦連勝して金軍をビビらせた岳飛も、戦術上の勝利で南宋の命脈を保ったと言えなくもないと思う。 385 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/04(月) 21 41 42 ID 4Suo+TEf0 383 項羽の彭城の戦いもそれに当たると思う。 諸侯はみんな劉邦に味方し、兵力でも圧倒的に不利だったのに、 一戦して戦略的に追い詰められた状況を打破した。 386 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/04(月) 21 57 46 ID MfhNTDey0 なにやら劣勢・不利を失敗と混同している人がいる悪寒 387 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/04(月) 22 06 58 ID xCSmJgdi0 鉅鹿包囲戦で5倍強の秦軍を破ってるし 項籍は名将でいいんでないか? この時代の名将リストにあがってる人物でも、あの戦いは項籍以外は勝てないんじゃないかな? 多分、ほかのメンバーだったら、5倍強の秦軍に戦いを挑まないww 388 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/05(火) 01 16 40 ID XJrlgGUK0 387 無謀だからそんなことができるのさ。 389 馬万里 sage 2006/12/05(火) 02 57 08 ID fJFESHTPO マジレスだと陳慶之、指揮官としては項籍とは真逆だがあの戦果 390 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/05(火) 08 27 41 ID hz0j3vAd0 無謀っていうかイデオロギーじゃねーのかな。 例え3戸と成っても、秦を滅ぼすのは楚なりっていう ナショナリズムの成せる業 391 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 19 15 54 ID pqBOFSFC0 いきなり人減ったね… 唐宋まで続くんかいな。 この際、次ぎ行ったほうがよくないか? 392 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 19 24 04 ID NsOu2mdy0 語りようがないってことかなあ?あんまり異論もなさそうだし。 これまでの候補者は 章邯 項籍 韓信 劉邦 灌嬰 田黄 周亜夫 衛青 霍去病 趙充国 范明友 陳湯 十二人か。これで今は十分かな? 393 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/05(火) 19 27 08 ID Bq1/q2k10 実績の無い田横は外してもいいんじゃないかなあ。 394 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/05(火) 19 45 37 ID hz0j3vAd0 後漢・三国・西晋は同じカテゴリーでいいよね 395 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 20 00 22 ID eAI6Tt50O 周亜夫は呉楚七国の乱以外に何か功績があるの? 396 馬万里 sage 2006/12/05(火) 20 23 43 ID fJFESHTPO 田横、召喚も外れんだろ? 上記二人よりか彭越の方がまだ上だろうが、100傑には彭越すら厳しいかと。 俺の生息した宗まではまだ道程が長いなぁ・・ 397 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 20 34 07 ID IxkjTJf/0 後漢・三国・西晋 曹操 司馬尉 張遼 張コウ 楽進 孔明 関羽 法正 趙雲 周喩 陸遜 孫策 呂蒙 等ガイ 鐘会 羊コ 王シュン 杜預 398 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 20 38 38 ID PgQeIHtT0 英雄百選にした方がよかったかもな 399 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 20 41 37 ID Bq1/q2k10 395 匈奴に備えて駐屯し、 その軍の整備された様子を見た文帝に、 真の将軍と称えられた。 400 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 20 45 41 ID pqBOFSFC0 まぁ、なんというか… 397よ。 光武の将も入れようや。 401 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/05(火) 20 50 15 ID wpuhjUh7O 397 後漢末~三国だけじゃんか 曹操 劉備 周瑜 陸遜 諸葛亮 司馬懿 姜維 トウガイ このくらいだろ、いいとこ 下二人は微妙だし 402 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/05(火) 20 53 11 ID wpuhjUh7O ああ、後漢末~三国で選ぶなら、ね 403 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 21 02 57 ID a2CaYwRN0 後漢前半 劉秀・呉漢・耿?・岑彭・馮異・馬援・班超 404 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/05(火) 21 03 43 ID hz0j3vAd0 つうかそんな短い期間で10人選んでもしょうがないじゃん。 405 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 21 17 34 ID q7VgoIKnO 新~西晋 呉漢 耿エン 馬援 班超 曹操 司馬懿 周瑜 陸遜 陸坑 杜預 406 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/05(火) 21 19 02 ID wpuhjUh7O 荘尤と劉備も入れてよくね? 407 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/05(火) 21 23 09 ID Bq1/q2k10 後漢後期 対異民族船の英雄たち 皇甫規 張奐 段頃 この三人の中では、段頃が頭一つ抜けているか。 反乱鎮圧に活躍した武将 皇甫嵩 朱儁は対黄巾戦以外の戦績が今ひとつなので省いた。 408 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 21 28 14 ID NsOu2mdy0 劉備の十傑入りは無理でしょさすがに。 推薦としては 405から陸坑を抜いて皇甫スウ、トウガイを推す。 409 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 21 29 17 ID 1cUsr32r0 三国志関係なら 54をもう一度推してみる。 410 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/05(火) 21 30 37 ID hz0j3vAd0 劉コンも入れたい 411 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 21 35 24 ID Bq1/q2k10 405 馬援がいるなら、どうして岑彭・馮異を外すんだ? 二人とも、馬援より功績大きいぞ。 勝率もたびたび負けてる呉漢よりも高い。 412 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 21 43 34 ID m5we+Eei0 三国時代なら曹操と司馬尉だけで良くないか? 413 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 21 48 34 ID q7VgoIKnO 411 もちろんその二人も入れたかったけどあまりにも劉秀配下の人物が多くなりすぎるかなと思って… そんなこと気にしなくていいなら賈復とかゾウ宮や馬武も入れたいんだけどね 414 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 21 53 18 ID ga/7+MN40 396 お前はフィクションでの登場人物の上、名将でも何でもないだろw 415 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 21 56 37 ID Bq1/q2k10 西晋なら馬隆も入るかと。 三千人で数万の羌族を撃破し、敵の総大将を斬っている。 その後も晋の西境の守りとして重きをなした。 416 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 22 02 59 ID 1cUsr32r0 412 入れるんなら司馬懿よりは周瑜の方だと思うな。 理由は 54で挙げたとおり。 417 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 22 09 01 ID q7VgoIKnO 415 ああ確かに馬隆も有力な候補だね 昔光栄三国志やってた時馬隆のあまりの低評価に驚いた事あったなw 418 まとめ sage 2006/12/05(火) 22 09 15 ID fQPDb5EQ0 歴史区分は 119 春秋戦国の確定者及び候補者は 347 尚、考慮する武将は、 中国式の王朝名・元号を用いて、所謂中国本土に存在した政権に所属する武将とする。 統一秦~前漢(…以降はレスからの要約) ほぼ確定 ・韓信 ・霍去病 ・衛青 ・灌嬰 候補 ・項籍(羽)…名将ではなく猛将?戦術面では申し分ないが戦略的思考が欠けていた? 王ではなく、誰かの配下の一将軍なら名将? 鉅鹿包囲戦は同時代の他の武将では勝てなかった? ・周文…(詳細は 315) ・蒙恬…統一秦でいいのか? ・章邯…囚人軍での戦功という事を考慮すれば、確定でいい? ・項梁 ・彭越…100傑に選ばれる程でもない? ・英布 ・曹参 ・田横(以下四名 348参照)…実績が無い?彭越の方が上? ・周亜夫 ・李広 ・李陵 ・趙充国(以下二名 357参照) ・范明友 ・陳湯 ・劉邦 というわけで次は新・後漢なんだけど… 419 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 22 29 40 ID wpuhjUh7O 408 本来まだ先の話だしあまり強く言わんが、むしろ劉備が入らない理由が知りたい 420 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 22 30 20 ID yGMZn3wC0 419 どう考えてもはいらん むしろ入る理由を教えてくれ 421 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 22 37 35 ID pqBOFSFC0 三国時代で蜀漢陣営から候補といえば、劉備と諸葛亮しかいないと思うが… そもそも関羽とかはおまえら入れる気さらさらないだろうし。 422 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 22 38 04 ID I5Di7N5W0 まぁまぁ、いろいろ言いたいことはあるだろうが話がクロスすると ややこしいから後にしようぜ 423 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 22 39 55 ID wpuhjUh7O 420 小規模な戦いから大会戦まで、侵攻から堅守まで 歩、騎両方に通じた万能の将 北東の端から南西の端まで、負けつつも勢力は維持しながら戦い続けた 曹操を長江流域から退けた一方の立役者 この時代なら曹操に次ぐ将は劉備だと思うのだがね 後漢を語り尽したらまた考えてくれ 424 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 22 49 16 ID gGA20Xlg0 負けつつも勢力は維持しながら戦い続けた 逃げ足の早いだけのような気がするなぁ。 425 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 22 51 25 ID NsOu2mdy0 その、負けつつってのがすでに問題があると思うが。だいたい勢力を維持できなかったから 流浪の軍だったのだろうに。 426 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 22 52 41 ID Bq1/q2k10 424 諦めの良さ、逃げ足の速さも名将の条件。 だからといって、劉備の戦績で100人に入れるとは思わないが。 427 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 22 52 42 ID wQMyX4ey0 423 「名将百選」に入れるには、やっぱりちょっと、負けすぎな感じがするんだよな・・・。 「中華ど根性列伝」なら玄奘三蔵や鄭成功あたりと一緒に並べてもいいんだろうけどね。 428 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 22 54 22 ID IxkjTJf/0 関羽は? 429 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 22 54 43 ID Bq1/q2k10 428 論外 430 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 22 58 25 ID I5Di7N5W0 後にしようと書いておいてすまんが 劉備はほとんどが戦って負けて逃げているからなぁ 自軍と敵軍の力量を天秤にかけて戦って被害が出る前に逃げるのなら 決断力、判断力という点で一定の評価はできるが それといりょう(←なぜか変換がめんどい)の戦いが致命的だと思うが 431 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 22 59 34 ID wQMyX4ey0 426 諦めの良さ、逃げ足の速さも名将の条件。 たくさんある条件の中の一つではあるかもしれないけど、諦めが良くて 逃げ足が早いだけじゃ、やっぱり名将とは言いづらいなあ 「美男子の条件は眉がキリリと整ってる事」と言いながら、眉がキリリとした ひょっとこを推薦してるようなもんだよ 426が挙げる名将の条件が眉で、劉備はひょっとこね 432 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 23 07 55 ID q7VgoIKnO >諦めの良さ、逃げ足の速さも名将の条件 ということになると劉邦とかも名将ってことにならない? 433 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 23 10 30 ID pqBOFSFC0 とはいえ、存立する必然もない蜀漢をたちあげたのは、まさに曹操がいたからであって、その好敵手ということで入れる余地があってもいいと思うが… 陸抗入れるくらいなら、劉備いれたほうがいいかと思う。 434 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 23 14 40 ID Bq1/q2k10 432 100人には入れないだろうけど、劉邦も名将だと思うぞ。 項羽を河南に釘付けに出来たのは、 劉邦の軍事能力あってこそ。 435 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 23 20 10 ID 1cUsr32r0 430 まともな状態で戦って負けたのは夷陵くらいで、それ以外はほとんど戦う前に逃げてる。 三六計逃げるに如かずを地で行ってるとは誉めすぎだけど。 436 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 23 22 20 ID 8J8Vq7V10 劉邦は負けて逃げるからあまり評価できん、てか負けすぎ 彭越みたいなヒットアンドアウェイのゲリラ戦法こそ評価できる 437 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 23 31 31 ID wQMyX4ey0 劉邦にせよ劉備にせよ、結局は配下の才能を最大限に使いこなした、ってのが凄いのであって 単独の武将として高く評価するのはやっぱり難しいだろう 438 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 23 39 32 ID m5we+Eei0 劉備は徐庶や法正などの参謀が居てこそ、 戦勝出来てると思うのだがな。 劉邦は、張良の助言と配下を使いこなし たからこそだな。 439 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 23 40 02 ID fJFESHTPO 三国時代は実際曹操と周瑜位しか厳しいのが現実だろうよ。 劉備のケースは小粒ながらも一時期の配下達(ずば抜けた存在はやはり歴史的に見るといない)の活躍だろう。戦略も劉備が練ったものではないし陣頭指揮を採っての賛美出来る戦もない。 劉邦も同様になるが、統一したって部分が明らかに大きく違うから候補位には上がっても異論はないかなぁ・・まぁ微妙だが。 440 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 23 41 29 ID I5Di7N5W0 435 そうだっけ? でも夷陵の用兵のまずさは致命的だと思うが 名将に推す人はあれを弘法も筆の誤まりと取るのだろうか 441 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 23 43 20 ID wpuhjUh7O 440 曹操を赤壁の失態と漢中でのgdgdで名将から外すようなものだよ 442 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 23 45 45 ID 1cUsr32r0 438 徐庶が劉備に臣従したのは諸葛亮が臣従する少し前の事で、 劉備が博望坡で夏侯惇を破ったのはさらにその数年前。 少なくとも徐庶が戦争に参加して功を上げた記録はない。 443 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 23 48 45 ID I5Di7N5W0 441 曹操はそれを差し引いてもかんと(←なぜかry)を始め多くの功績があると思うが 劉備には夷陵を挽回できるほどの功績があったっけ? 444 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 23 50 09 ID 1cUsr32r0 440 441のは言い過ぎw 夷陵の戦役は陸遜が持久戦に持ち込んだため、劉備の行軍が止まり地形的に不利な状態に追い込まれた。 進むに易く戻るに難しの状況に追い込まれたわけで、これを用兵のまずさと見るか戦略の失敗と見るかでちょっと違ってくると思う。 445 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/05(火) 23 51 23 ID wpuhjUh7O 劉備は王忠、蔡陽、夏侯惇、夏侯淵といった二戦級の相手ならあまり苦にしてない 二戦級だからだけどな 446 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 23 55 23 ID Bq1/q2k10 夏侯淵は一線級だと思うぞ。 魏の西方領土のほとんどを一人で切り取っている。 447 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 23 55 34 ID fJFESHTPO 曹は赤壁やら漢中の敗戦を補ってあまりある結果を幾つも出してるだろ。 劉備にはそこが足りないから外れんだろうに 逆に劉備の采配やら指揮で夷リョウの敗戦及び数多ある敗走を補える華々しい戦果は何があんだ? 候補に挙がる連中は神掛かった勝戦や抗戦をしたり、結果的な大戦果を得ている連中だ。 448 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/05(火) 23 55 53 ID 1cUsr32r0 445 劉備は歴戦の将で経験も豊富。 また大軍の統率にも実績を残してる。 とはいえ戦術能力的には二流の上or一流の下といったところで、 このスレで言う名将候補からは残念ながら外れると思う。 449 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/06(水) 00 01 11 ID I5Di7N5W0 444 両方だと思う、戦略的見込みが甘く持久戦に持ち込まれた 地形を把握しきれていなかったが故に不利な状態に追い込まれた これはまずい用兵とは言えないだろうか? 450 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/06(水) 00 01 40 ID wpuhjUh7O 447 荊州で孤立した状態から巧妙な行軍で自軍を温存、曹操に強行軍を強いながら長江に誘い込んだ 益州を奪い、更に(俺は過大評価だと思うが)一戦級の夏侯淵を破り漢中を占領 自らやってきた曹操を撃退し漢中を確保 451 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/06(水) 00 06 14 ID fJFESHTPO 夷リョウはアクシデントや天災、上官などのマイナス要素があっての敗北とかじゃなく何人にも諫言され反対もされていたり、戦術眼がある将達数人が危険を察知していた。 それすら退けての進軍故に劉備の用兵はまず過ぎたと思うがなぁー そのまま死んでいるのもマイナスだし。 452 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/06(水) 00 11 58 ID rJd73Rhp0 449 地形を把握してなかったってことはないだろう。 荊州からその道を通って荊州入りしてるんだから。 あと戦術的には高所を占め守りも堅くしたり、別働隊が孫桓を包囲し、さらに黄権が魏への牽制として動いてる。 そういった状況の中で呉側の総大将が陸遜以外で持久戦を選択してなかったら勢いを生かしての進軍が成功した可能性もある。 用兵に戦略を含めればまずかったと評することもできるかもしれないが、そこは高いレベルでの優劣の差だったと思う。 453 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/06(水) 00 15 13 ID rJd73Rhp0 451 そのままは死んでないよ。 白帝城まで戻り呉軍に備えつつ、魏が呉に侵攻してくると呉に援軍となってやるよという使者を送ってる。 この抜けぬけとした言動も劉備のたまらない魅力。 結局、病を得て1年と経たないうちに死んでしまったけどね。 454 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/06(水) 00 17 13 ID G5nAiJYjO 連書きすまん 450 作戦立案は諸葛亮+ホウ統+法正 現場指揮官は五虎やらの武将達だろ。 曹操や周瑜は作戦立案にも絡むし(無論全ての戦ではないが)策を武将に授ける事もあったようだ。 それに漢中では準備万全の侵攻だし、それ以外は相手三流じゃないの。戦力も同等以下が大半。 ショク結構好きだけど贔屓に見ても厳しいなー 455 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/06(水) 00 18 46 ID cT9EN6LdO 正直五虎とか言われてしまうと何を言っても説得力ない 456 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/06(水) 00 19 01 ID 1uztjEI90 452 じゃあなんで地形的に不利な状態に追い込まれたの? 知っていると把握しているの間には大きな開きがあるよ 457 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/06(水) 00 26 12 ID rJd73Rhp0 454 益州入りの具体的な作戦立案には諸葛亮は関わってないと思うよ。 法正も進言は当然してるが主な仕事は案内や使者くらいで、軍事参謀はほぼ?統一人。 現場指揮官は五虎やらの武将達だろ。 これにはなんとレスしていいかわからない…… 458 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/06(水) 00 31 47 ID rJd73Rhp0 456 陸遜が挑発に乗ってくれなかったため、劉備軍の進軍の勢いが止まってしまった。 そのため劉備軍が持っていた戦術的有利が生かされず、かえって不利な面をあぶりだされてしまった。 戦略レベルでの用兵と戦術レベルでの用兵は違うでしょ? 459 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/06(水) 00 38 40 ID G5nAiJYjO 457 作戦立案の話は益州入りだけの話じゃなくて漢中や荊州南部等も含めた話でね。 五虎は素で引かれると反応にこちらも困るが・・・まぁ一人一人名前挙げるの面倒だったから出しただけ。 460 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/06(水) 00 44 37 ID rJd73Rhp0 459 荊州南部に関してはただ結果のみの記述があるだけで誰がどのように動いたのかはまったくの不明。 漢中に関しても対夏侯淵ということでは法正の進言も見られるが、対曹操での戦略を打ち出したのは劉備。 五虎云々は置いといても配下の将を使う普通のことでだから何?としか言い様がない。 461 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/06(水) 00 49 33 ID cT9EN6LdO 傀儡でない以上、誰が作戦立案だろうがそれは第一には将たる人物の功績でしょ 462 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/06(水) 02 46 07 ID hd/bQ7D30 蜀漢ばっかり議論してるが、孫堅は? 史実的な観点で見るとこの人、呂布より強いよ、間違いなく。 まぁ呂布より強いってんなら史実の張遼も負けてないけど。 463 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/06(水) 03 55 09 ID FZbiR8r/0 てかさ、三国時代より先に新~後漢の候補十人前後決めようぜ 劉秀・班超・耿?は確定だと思うな 後、 462よ 三国時代は荒れやすいんだから明らかに百傑に入らない奴の名前をあげるのはやめれ 呂布が史実でどれほど強かったというんだ・・・・ 464 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/06(水) 06 29 30 ID QbwtVlou0 450 それ、劉備擁護でよく聞かされるけど、まったく結果論から導かれたひいきのヒキ倒しだから。 赤壁当時の劉備にはまったく計画も見通しもなくいきあたりばったりにとにかく生き延びる事 を考えての行動しかない。 465 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/06(水) 07 49 14 ID DtQuFnik0 劉備が100傑に入るとか議論するのもアホらしい 入るわけねーだろ 466 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/06(水) 08 28 12 ID cT9EN6LdO 464 曹操もただ行き当たりばったりに逃げるだけの劉備を追いながらいたずらに兵を疲弊させ、大敗の原因を招いたように見えてしまうんだよね、それだと。 ついでに言うとその程度の人物を高く評価した曹操をはじめとする当時の人達もみんな間抜けに見えてしまう。 467 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/06(水) 09 01 39 ID DVkEWrEmO 班超は確定でもいいと思う 468 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/06(水) 09 48 48 ID lf2vRNeC0 とりあえず後漢書ざっと斜め読みして一通り。 劉秀 耿? 馮異 岑彭 呉漢 賈復または馬援 廉范 班超 張奐 虞? このへんが妥当ではないかと。まあ光武がらみが多すぎるが。 三国時代は西晋と一括りでいいと思う。三国から真面目に選んだら 曹操、周瑜、司馬懿(←この人西晋か?)ぐらいしか見当たらんし。 469 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/06(水) 11 23 00 ID 1gWuAzFj0 まぁ、元朝末期の名将 拡廓帖木児は間違いなく入るわな。 政治的にはダメダメやったけど、小勢で明の大軍を撃破し、 朱元璋から天下第一の奇子と畏れられ、 死ぬまで枕を高くして眠らせなかった実力は申し分ない。 470 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/06(水) 11 39 05 ID FZbiR8r/0 祭遵も候補に入れたいな 471 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/06(水) 11 59 18 ID yX/U/YgnO 468 三国志と西晋は前につけるか後につけるかが問題 472 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/06(水) 18 39 22 ID DVkEWrEmO 三国時代は後漢と一緒に語った方がいいと思うけどな 473 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/06(水) 19 38 12 ID TNQ5NkCj0 本当は魏晋南北朝という1まとまりなんだけどね。 474 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/06(水) 20 00 09 ID rJd73Rhp0 473 オレもそういう括りの方がいいと思う。 西晋で一時的に統一をみたが、基本的には動乱の時代でこの時期の江南の発展が後の世に大きな影響を与えたというのがその理由。 変則的に曹丕が即位する以前に華北・中原で活躍した将は後漢に組み込んでもいいかも。 475 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/06(水) 20 27 42 ID QbwtVlou0 466 将として優れているかと、君主(一勢力の頭領)としてどうかは別。 それから赤壁時に曹操の軍が疲弊していたってどうして?また疲弊していたとして、 それは江南の異なる風土環境からくるものでなく、劉備追撃の疲労がその後何ヶ月も 続いたとどうして言える? 476 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/06(水) 23 01 01 ID cT9EN6LdO 後漢に微妙を承知で皇甫嵩を挙げてみゆ 477 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/06(水) 23 31 11 ID kVCkWZRI0 119の時代区分って、極端に後漢末~西晋だけ短くないか? 神話~春秋戦国 紀元前2000年 ~ 紀元前221年 1780年間 秦・前漢 紀元前221年 ~ 8年 229年間 新・後漢 8年 ~ 220年 212年間 後漢末~西晋 220年 ~ 316年 96年間 ← 南北朝 304年 ~ 589年 285年間 隋唐 581年 ~ 907年 326年間 五代十国宋遼金 907年 ~ 1279年 372年間 元(モンゴル帝国) 1206年 ~ 1368年 162年間 明 1368年 ~ 1644年 276年間 清(後金含む) 1636年 ~ 1912年 276年間 478 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/06(水) 23 33 17 ID TDgYZ/Yz0 陶 やあ 劉裕どの また手がらを立てたそうですね 劉 わしのように 家柄のよくない者は 軍人として名をあげるしか 出世の道はないからな きみだって出世したいだろう? 陶淵明君 陶 わたしは家族を養うために 仕方なく役人をしているんです できることなら ふるさとの田園でのんびりとくらしたい 479 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/07(木) 00 18 30 ID zcM4D6vcO 477 まあ10人というのはあくまで目安だから、はみ出したり削ったりしたりしても良いんじゃないか? 480 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/07(木) 00 39 04 ID xIAGYD/T0 神話~春秋戦国なんて年数だけだと50~100人くらい 選んでもいいなw 481 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/07(木) 01 13 52 ID ecjL7l990 ではいまさらだが時代区分の案として 後漢末~西晋を→後漢末(黄巾の乱以降)~両晋・十六国にして 次の時代を南北朝(北魏と劉宋の成立)~隋まで で隋末(第一次高麗遠征以降)~唐まで というのはどうだろうか? 482 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/07(木) 02 01 43 ID 54nHWYu+0 後漢末が220年からですかそうですか 483 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/07(木) 07 39 52 ID rHGaqzM/0 482 それ「三国」のほうがよさげね。 でもさ、なんで後漢は末があるのに、唐は晩唐がないわけ? 差別だ、差別ぅ! 484 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/07(木) 09 11 29 ID r+7alwgf0 叩かれ覚悟で書き込む。 自分でリスト挙げといてなんだが、 後漢に賈復入れるなら三国・両晋に関羽が入ってもよくなる気がする。両者ともにプライドの高い暴れ者。 それに一応、関羽は「万人の敵」と恐れられたわけだし。 賈復は生死に関わる大怪我の後は劉秀の目の届く範囲でしか戦ってないし、一応荊州を任されてた関羽が下手すると上? まぁ、だから「あるいは馬援」って予防線張ったわけだが。 485 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/07(木) 09 31 36 ID The72PCO0 袁紹・高順は? 486 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/07(木) 09 36 01 ID FEMw5NZl0 481 後漢末は別に無理して一時代として扱わなくてもいいんじゃないかな 曹丕による魏王朝建国までを後漢時代(220年) 以後は魏晋南北朝でまとめた方がいいと思う 484 確かに賈復は猛将・豪傑の類の気がする 光武配下の人材は優秀なの多いからどれを入れるかは好みも入ってくるよな 劉秀 耿エン 馮異 岑彭 呉漢 祭遵 班超 曹操 周瑜 司馬懿 上で書いた時代区分で新~後漢とすると俺ならこんなかんじにするかな すまん、ほとんど 484のあげた人物ばかりだ・・・ 487 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/07(木) 09 38 34 ID FEMw5NZl0 連投申し訳ない 俺の提案する時代区分だと司馬懿は西晋に入れたほうがよさそうだorz 488 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/07(木) 09 49 32 ID 54nHWYu+0 10等分にしないなら魏晋南北朝でもいいが。 489 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/07(木) 09 51 30 ID FEMw5NZl0 488 十等分にするのに魏晋南北朝だと問題ある? 490 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/07(木) 09 56 42 ID 54nHWYu+0 489 それで綺麗に10等分してみなさいよ。 491 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/07(木) 10 23 14 ID r+7alwgf0 光武配下の武将が5、6人入ってしまう以上、 三国でも曹操麾下で独立行動して活躍している武将も (第一級からは一段落ちるとして) 張遼、張?、徐晃、あとはお情けで関羽も三国~両晋に入れたらどうよ? と思うのだが、甘いかな? あと両晋の武将としては祖逖を推したい。 これで 曹操(言わずと知れた“超世の傑”) 張遼(800人で呉軍10万を撃退。曹丕から古の召虎なりといわれた) 張?(曹操曰く韓信の再来。劉備は夏候淵より彼を恐れた) 徐晃(樊城の曹仁を救援、関羽を倒してその功、孫武に勝ると言われた) 司馬懿(ボケたふりで曹爽を油断させ、追い落とした) 関羽(まぁ、両晋・南北朝でも“万人の敵”って表現される人多いし) 周瑜(赤壁の勝者。天下二分の計を構想するも夭折。韓信・英布をしのぐと称えられたイケメン) 祖逖(故地回復を悲願に義勇軍を率いて北上、連戦連勝するも回復した領土を奪われた悲運の将軍) 8人か。10人じゃ絶対収まらんなぁ。それともやっぱ張遼クラスは切り捨て? 492 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/07(木) 10 42 51 ID r+7alwgf0 悪い、間違えた。 関羽の項、“万人の敵”じゃなくて“関羽・張飛の再来”多いな、と。 493 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/07(木) 11 19 40 ID FEMw5NZl0 490 期間が長すぎるってこと? とりあえず候補あげてる段階だからいいんじゃないか? 春秋~秦の統一まででも候補は20人超えてるわけだし 不要なのは最終的な議論のときに削られるだろう 今やってる時代分けはあくまで議論しやすくするためのもんだしさ 494 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/07(木) 11 58 36 ID tDnhuGU60 漢末・三国時代は、西晋と同じくくりにした方がいいんじゃないか? でないと、後漢中期以降の武将がランク入りできなくなる。 477を支持する。 495 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/07(木) 12 07 00 ID tDnhuGU60 491 光武配下の将は独立行動で敵の主力を撃破したり、 広大な地域を切り取ったりしている。 曹操配下でそれほど目覚ましい活躍をした将はいないと思う。 484 賈復は前線の猛将であり、名将とは言い難い気がする。 武功も他に名前が挙がっている将ほどではないし。 関羽は名声だけで実績に乏しい。 共に入れる必要を感じない。 496 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/07(木) 12 08 28 ID WAbQww+dO 張遼や張コウクラスを入れるとなると到底100人じゃ収まりきれなくなると思う。 王朝創業期にはそれ位の活躍をした武将はゴロゴロいると思うし。 497 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/07(木) 13 29 16 ID 1c2ddYD/0 周瑜も正直微妙だとおもうけどな 赤壁の戦い自体疑問視されてるみたいだし 曹操を撃退した将は他にもいるし 三国志(黄巾~統一)で百選に入るのは、曹操・司馬懿・鄧艾・王濬ぐらいか? ここでも三戦板でも三国志名将十選なんてスレたてたら 延々と議論してくれそうだw 498 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/07(木) 14 04 29 ID du809GHW0 497 司馬懿好きだが百選からは外して良いと思う。 統一に貢献したわけでもないし大領土を切り取ったわけでもない。 彼の持ち味は政治・軍事ともバランスが取れてそつのない所だと思うので。 499 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/07(木) 14 16 30 ID 1c2ddYD/0 ついでに言えば、 鄧艾・王濬と張遼・張?を比べれば後者の方が優れているかもしれないが、 実績では前者の方が上になってしまう 才能と実績は別物、廻り合わせみたいなモノ 勿論、才能が無ければ実績を上げる事は出来ないけど (才能があっても実績を上げられるとは限らないけどね…) 500 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/12/07(木) 14 31 35 ID /kf1QtFxO 才能があって実績を残さないと少なくともここでの百傑には入れないんじゃないかな? それに有利過ぎる戦力、国力での勝利等もこれまた微妙な訳だし。
https://w.atwiki.jp/pam-iwate/pages/4107.html
滝沢モンゴル村 滝沢モンゴル村は、モンゴル遊牧民の移動式住居「ゲル」に宿泊し、モンゴルの伝統的文化を体験することができる施設です。 「南部片富士」の名で知られる岩手県の最高峰、標高2,038メートルの秀峰「岩手山」。そして、岩手山の南麓にそそり立つ標高897メートルの「鞍掛山」。 宮沢賢治もこよなく愛し、文学作品にも数多く登場するこの美しい風景は、大草原の国モンゴルを連想する土地でもあるのです。 滝沢モンゴル村は、相の沢温泉『お山の湯』の敷地内にあります。よく温まると評判で、皮膚に塩分がつき発汗をおさえるので保湿効果も高い温泉です。モンゴル村への宿泊者は温泉もご利用いただくことができます。 周辺には、新緑の季節から雪上ハイクまで楽しめる親しみやすさが人気の『鞍掛山』や、全国的にも有名な『小岩井農場』などがあります。 〈滝沢モンゴル村サイトより引用〉 滝沢モンゴル村 岩手山悠久の里 〒020ー0685 岩手県滝沢市鵜飼安達114ー3(お山の湯内) TEL:019ー613ー2712 FAX: パンフレット ※画像をクリックするとパンフレットが開きます。 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 ホームページ http //takimon.com/ 《ブログ等》 滝沢モンゴル村 お知らせ http //takimon.com/news/ 岩手IYEO総会@滝沢市 モンゴル村ゲル! http //blogs.yahoo.co.jp/iwate_iyeo/18415299.html 岩手のモンゴル http //blogs.yahoo.co.jp/henachoko32nori/64749833.html NO13 お山の湯 岩手県滝沢市 http //blogs.yahoo.co.jp/jo78823/67036321.html 携帯サイト 最新のチラシ imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 《周辺情報》 盛岡劇場…演劇や舞踏、古典芸能などに対応したホール http //www.mfca.jp/institution/morigeki/index.html 姫神ホール…音楽、演劇、舞踊、式典など対応したホール http //www.mfca.jp/institution/himekami/index.html 原敬記念館…原敬の資料や日記、遺品を展示 http //www.mfca.jp/institution/harakei/index.html 盛岡てがみ館…先人の書簡(てがみ)を中心に原稿・日記等を収蔵・展示 http //www.mfca.jp/institution/tegamikan/index.html キャラホール…音楽を中心とした多目的ホール http //www.mfca.jp/institution/kyarahall/index.html 盛岡市民文化ホール…盛岡駅と直結するパイプオルガンを設置したホール http //www.mfca.jp/institution/shiminBunka/index.html 盛岡市先人記念館…盛岡ゆかりの先人130人を紹介 http //www.mfca.jp/institution/senjin/index.html #blogsearch /
https://w.atwiki.jp/ntsh/pages/30.html
中国东方电气集团公司 中国東方電気集団公司 企業HP 【主要業務】 発電ユニット設備、モーター製造 発電所工事請負、設備ユニット及び技術研究、サービス 電力自動制御設備、環境保護・省エネ設備製造及び貿易 【所在地】 【歴史】 【提携先】 【傘下企業】 【業績・事件】
https://w.atwiki.jp/mongolhugjim/pages/190.html
J.エネビシ 芸術学博士、音楽学者、評論家。この20年間に、伝統音楽および現代音楽の歴史、理論の諸問題に関して、『音楽の伝統の革新』1991年、『モンゴル人の歴史文化事典』共著2004年、『チンギス・ハーン辞典』共著2006年、『遊牧民の音楽概念における潜在意識』共著2006年、『モンゴル音楽の口承と記譜の相互関係』2007年、『芸能評論、すなわち精霊を喚起するイラクサなり』2007年、『20世紀モンゴル音楽芸術評論の思想概観』2008年、『20世紀モンゴル音楽研究論文選集』監修2008年、『音楽学(科学アカデミー叢書22)』共著2010年、『文化芸術研究』共著2010年など、単著および共著による本を出し、30以上の修士、博士論文を指導し、無形文化財保護を主題とした10本以上のドキュメンタリー番組の制作に携わった。馬頭琴、オルティン・ドー、ホーミー、民族楽器オーケストラに関する大統領令の発案の発起人の一人を務めた。彼の研究はロシア、中国、韓国、アメリカでも出版されている。現在遊牧文明国際研究所研究員。
https://w.atwiki.jp/world-history/pages/5.html
中国 中国という言葉はいつ頃からありますか? 『太公望』なる人物は実在したのですか? 「帝なんて知ったこっちゃねー」みたいな歌を聞いて自信喪失したみたいな話って、なんでしたっけ? 孔子がもう人肉の塩漬けは食べないと言ったのは、本当のことなのですか? 儒教って前漢の武帝の時代に国教化されたんですか? 吐蕃、柔然とかについておしえて。読み方もわかんね。 中国の王朝名ってどうやって決まるんですか? 中国王朝はそれぞれその色があるって本当ですか? 「春」「秋」「冬」という王朝がないのは何故ですか? 万里の長城は実戦では役に立たなかったんでしょうか? 中書令という役職は具体的にはどういう役割だったのでしょうか? 司馬遷が中書令を拝命したのは宮刑を受けて後の事でしょうか? 後漢の福建省のあたりについて 科挙に受かって王族に仕えた場合は去勢しなくてもいいのか? 「三跪九叩頭礼」ってどういう動作なんでしか? 残酷なことをした支配者がいますか? めっちゃ残酷な皇帝の名前教えてください。 呉楚七国の発生原因とその影響 三国時代に銀で代金を支払うということはありえたのでしょうか? 北方の騎馬民族の生活は南の農耕民族の交易なしでは成り立たなかったとの文章を見かけましたが 隋や唐の時代では租庸調のほかに雑徭は免除されたのでしょうか? 李淵の後継者争いで李元吉はなんで太子健成の側についてたの? 中国で10C頃から全体的に都が北に移動した理由って何? 何が起こって前奏は敗北してしまったのですか? 徽宗皇帝って、連行された後どうなったんですか? 岳飛廟の秦檜像にツバ吐きつけ 科挙に監視員はいないのでしょうか? 宋景詩という人について教えてください 清朝は日本をどのようにみていたのでしょうか 江戸幕府と清は貿易してませんでしたっけ? 冊封体制が長期にわたって維持されたのはなぜですか? ネルチンスク条約でロシア~清が対等な立場で臨んだのは何故ですか? 「清末売春事情」 「清末廣東売春事情」 大学設立援助とか、鉄道建設とかは列強が善意でやっているんでしょうか?。 絶対勝てるわけないとわかってるのにどうして西太后まで列強に宣戦布告したのですか? 義和団事変について質問です。 西太后が崩御したときに、口に突っ込まれた黒真珠は何でしょうか? 李鴻章の北洋艦隊の戦力は日本海軍よりもまさっていたのですか? いつになったら『清史』は編纂されるのでしょうか? 三国干渉後、日清間で改めて講和条約を改正したのでしょうか。 袁世凱の家族って袁世凱の死後皆殺しにされたって本当? 辛亥革命のとき欧米列強はなんで清につかなかったの? 孫文って結局は勢力を維持するために袁世凱に革命を売り渡した張本人じゃないのですか? 現代中国で孫文はどういう扱いになっているのでしょうか? 洪秀全の最後を教えてください。 中国内戦っていうのは米ソの代理戦争じゃないよね? 蒋介石ってなんであんなに比較的簡単に北伐を成功できたの? 南京国民政府時代、北京はどういう存在だったのですか? 上海の租界に「犬と中国人は入るべからず」という看板があったのは本当? 毛沢東ってめっちゃ人民死なせまくってなんで中国のお札になるほど偉大に扱われてるんですか? 日中国交回復したときに中国が賠償金を求めなかったのはどうしてですか?? それ相当の金額を支那に与えるのは当然っちゃ当然じゃないか なんで中国はチベットの独立を認めないんですか? 中華圏ではなぜ奴隷制が発達しなかったの? 中国史を知るにあたって日本側の資料の価値は? 中国という言葉はいつ頃からありますか? 中国は、古くは「中國」さらに古くは「中或」と表記し、その使用例としては西周時代の青銅器に金文として刻まれているものがあります。ですから、中国という単語の起源は紀元前に溯ります。 ただし、古代における中国は現在の意味とは異なり、各王朝の時代の領域の中心地を意味する漠然とした概念であって、領土全体を示すものではなかったのです。 現在の中国という国境で区切られた国家の領域を意味する用法は、中華民国以降の単語と考えてよいでしょう。 : ど~でもいいけど 投稿日: 01/09/28 23 13 『漢書』の師古注にあるので唐初期には「中国」はあった。 『後漢書』の注釈に易経引きの部分にもあるが、『周易』は読んだ事がないので、詳細は知らない。 :02/06/14 02 33 漏れもあまりコメントしたくないのだが、周代の金石文に中国の用例は存在する。 「中或」という表記であるが、「或」は「國」の古形(国がまえがない)と考えられている。 ただし、近代にいたるまで「中国」にはいわゆる地域としての支那全体を示す意味はなく、国の中心地域という意味である。 これを国名ないしは支那全体を示す意味に使うようになったのは、近代、清末頃からのことと考えてよい。 02/06/14 23 51 『太公望』なる人物は実在したのですか?『封神演義』の最後にあった太公望が朝鮮半島辺りに国を作った、というのもホントの事なのでしょうか……? 仙人である事はフィクションだとしても、どこまでが事実やらさっぱりで。。。 『史記』斉世家、『呂氏春秋』などに太公望の名は見られますから、 歴史的に実在する人物といってよいでしょう。 ただ、本名はよく分かっていません。 :02/09/30 01 25 斉国には太公と呼ばれる 羌姓で呂(甫)氏の望という名の創始者がいました。 :02/09/30 01 29 太公望は武帝が周を建てた後、封建されて斉の国の開祖となってます。 春秋戦国時代の諸国に名を連ね、春秋五覇の一人斉の桓公を出した斉です。 遼東半島を含む中国東部の国ですが、朝鮮半島あたりとは言わんでしょう。 地図参照。 ttp //www.d2.dion.ne.jp/~nob_o/map_syunzyu.htm :02/09/30 01 39 朝鮮辺りに国を造ったのは殷の王族の箕子 :02/09/30 01 51 太公望の本名や名前の来歴は諸説あり真相は謎に包まれている。 本名は羌・子牙であとから呂・尚という名前に改めたとか、もとから太公氏の望という名前であったとか。 : 03/01/20 16 54 夏王朝の誰かがお忍びで町をブラブラしてる時、「帝なんて知ったこっちゃねー」みたいな歌を老人が歌っているのを聞いて、自信喪失したみたいな話って、なんでしたっけ? それは帝堯の話では? それに自信喪失したというのは全く逆。 堯は民衆の気持ちを知るために街中をお忍びで歩き、白髪の老人が「帝力われに何かあらんや!」と楽しげに歌っているのを聞いてこれこそ自分の理想とする「為すなくして天下を治める」政治が実現したと言って喜んだという話のはず。 03/04/20 19 29 孔子がもう人肉の塩漬けは食べないと言ったのは、本当のことなのですか? 微妙にネタなんだよ。 孔子の好物が塩漬け(塩辛)で、弟子が人肉塩辛にされたから、塩辛はもう食わんと言った。 :02/06/04 06 11 儒教って前漢の武帝の時代に国教化されたんですか? それと、武帝の時代までに儒教って民間では定着してたのでしょうか? >儒教って前漢の武帝の時代に国教化されたんですか? そうです。それ以前は黄老学派が国教とは言わないまでも、漢朝の政策決定に、絶大な影響を与えていました。儒学者は、あくまで儀典係に留まっていました。武帝の時代に儒教が国教化されたのは、黄老学派の影響を受けた旧政権の要人を排除し、独裁権を確立しようとした武帝の意向によるものです。 >それと、武帝の時代までに儒教って民間では定着してたのでしょうか?儒教は、戦国時代の時点で既に大学派の一つとして定着していました。儒家のイメージとはほど遠い楚の宰相呉起は、孔子の魯における後継者である曾子から、秦の丞相李斯は、性悪論の荀子から儒学を学んでいます。 永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/14 00 16 吐蕃、柔然とかについておしえて。読み方もわかんね。 「吐蕃」=「とばん」 「柔然」=「じゅうぜん」 ただし中国語(あるいは騎馬民族の言語)での読み方はわかりません。 この辺の歴史については、 『遊牧民から見た世界史』(97年、日本経済新聞社 杉山正明 著) という名著があります。 : 02/02/11 16 56 柔然の滅亡は6世紀の半ば、新興の突厥に滅ぼされました。 吐蕃はどうも「チベット」の地名の音訳だったらしく9世紀にソンツェンガンポ王の王朝が衰えた(絶えた?)のちも吐蕃って呼ばれているみたいですね。 だいたい11世紀ごろから13世紀にモンゴルに服属するまで、チベット各地に仏教の教団と氏族が結びついた地方権力が乱立していたようです。 山川の「中央ユーラシア史」やその旧版「北アジア史」などが中国の周辺地域を扱う手ごろな通史ですから、まず図書館で探して読んでみると良いでしょう。 : 02/02/11 23 54 中国の王朝名ってどうやって決まるんですか? 漢や魏や唐は、建国者の封号(地名)からですよね? 宋・明・清はどうなんでしょう…? 大元・大明・大清は地名からではなく抽象名詞からの王朝名です。 大元なら「おおいなる根元」という意味で古典から取って付けたらしい。 金はたしか完頭氏の出身地が砂金の採れる川だったことからだから、元から王朝の命名法が変化したということになりますね。李自成が一時的に国を建てたときの「大順」も地名じゃないっぽいな。 宋は趙氏の出身地の地名だったかな? : 01/11/25 01 23 支那歴代の国号の称え方について書きます。 古代の唐虞から近代の明清に至るまで概ね固有名詞的な1字を用いるのが基本になっていますが、上に冠する字と下に履く字がありますので併せて説くことにします。 本体部分の文字はその国の発生の基礎となった地名によって名称が定まるのが普通です。観念を国号に用いるようになったのは元朝からと言われていますが後に言及します。経書の注釈などに堯の「唐」は広大平易の意味の「蕩」から来たものだとか、舜の「虞」は安楽の義に原づくものだとか見えていますが根拠のないこじつけです。 劉淵が「漢」李存勗が「唐」を郭威が「周」を国号としたように家系の源流に命名の由来を求めた例もありますが、劉裕も趙匡胤も「宋」を国号としたのは受禅当時の封國または領鎮に因んだものです。 清の趙翼は「廿二史剳記」の「元は國號を建て始めて文義を用ちゆ」の項に「『新』や『成』などの字を用いた王莽や公孫述も、根拠地に因んだもので文字自体の意味を採用したわけではない、『金』の場合は金が変質しないところから命名したそうだが、物質の名称であってまだ抽象的な意味から取ったものではなかった、金末に蒲鮮萬奴が遼東に拠って『大眞』と号したのが抽象観念を用いた最初の例だ、元の太祖のころは単に『蒙古』と称していたが世祖の至元八年に『大なる哉、乾元』の句から取って『大元』とした」という趣旨の記述があります。金については前代の「遼」が銀と同義の「鐐」と同音なのでランクアップしたものだという説がありますが、「金史」の「地理志」には根拠地にある川の名で女真語の金という意味ののアルチュカ(金源水)に因るものであるとあり、また蒲鮮萬奴の「大眞」については岩井大慧さんはやはり金という意味であると解釈しています。あやめは萬奴が所属民族の女真を意識して命名したものではないかと考えています。 元が「周易」の「乾」の卦の「彖傳」に「大なるかな乾元、萬物資りて始まる」の句から2字を取って国号としたのは、元号の選び方に倣ったもので紛れもなく文義から取ったものと言えます。ただ趙氏が唐末に南詔王の世隆が帝を称して国号を「大禮」としたこと、以後も雲南の国家は「大封民」「大長和」「大天興」「大義寧」「大理」などと称していて、これらはいずれも文義に因んだ国号といえるものなのに言及していないのは物足りないものがあります。 それはともかく元が文義によって国号を定める例を開いてから以後の各朝もこれに倣うこととなりました。「大明」は「禮記」の「禮器」に「大明は東に生じ、月は西に生ず」や「詩経」の「大雅」の「大明、文王に明徳あり、故に天は命を武王に復す」などに因ったものでしょう。ただし一説によると朱元璋が最初に所属していた紅巾軍では白蓮教の一派でマニ教も混えた明教を奉じていましたが、弥勒の下生と明王の出世による世直しを信じて反乱を起こしたもので、その二代目の教主の韓林児は「小明王」と号しており元璋も彼から呉王に封じられていたところ、元璋が天下を得た時点で「小明」ではなく「大明」と号したものだというのです。説の当否はともかく中華の朝号がゾロアスター思想に由来するというトピックは面白いと思います。また朱元璋は当初は「大中」という国号にしたかったのだということが、清の王士の「池北偶談」に出ていますが実現したら「大中國」となるわけです。なお元末の群雄が建てた国号は「大金」「大宋」「大漢」「大夏」などと地名由来型に復帰してしまっていますが、振るっているのは徐壽輝の「天完」で「大元」の上に画を加えて押さえつけたつもりにしているのです。 ヌルハチは「大金」と号していましたがホンタイジに至って「大清」と改めたのは天下の混一を志向したものでしょうか。その典拠は恐らく「管子」の「内業」の「大清に鑑がみ、大明に視る」だろうと考えます。李自成の「大順」については彼の部下には碌な読書人がおらず古典から引用できなくて、博打の用語にある「大順」という手の名が景気がいいからと採用したのだそうです。眉唾な話ですが清代の随筆に出ていました(書名失念)。張献忠の「大西」も智慧のないネーミングですが「大西洋」という単語が意識にあったかどうか。 清末の金石学者として知られている葉昌熾の「語石」に「王昶の『金石萃編』に『保寧寺鐘款』を挙げているが冒頭に『大宋國』と題しており、後世の『大元國』『大明國』もここから始まったと思われる、私が見たものでは『蒋舒行修六和塔記』にも冒頭に『大宋國』と題しており、私の出身地の江蘇の『郭市橋北井欄』の文中にも『大宋國兩節浙路平江府』などと書かれており、同様の事例はこの二石に止まらない」という趣旨の記述があります。国号の本体部分に対してこの「大」の字のように上に付く字と「國」のように下につく字があります。 上に冠せられる字として「語石」には上文に続けて「『有』『維』『皇』『聖』などの字があるが、『大』の字が通用されており変じて『巨』や『鉅』の字が用いられている、宋碑に『炎宋』とあるのは火徳であったからで劉氏の『炎漢』と称しているようなものだ、また『神宋』としたものもあるが漢の『周憬碑額』は『神漢桂陽太守』と題しており、これもやはり漢碑の例を用いたものである」と述べています。 「有」字は「有窮」「有扈」「有虞」など古代の国家の名に多く付けられていますが、いずれも一字の国名の語呂を安定させるために用いられたようです。しかし後世でも「有明一代の文章」とか「有清創業の基」とかいうように屡しば使用されています。「維」字も古代から発語の辞として甲骨文などにも頻見しており、ことに「維十祀」のように年月表記などには用いられることが多く、当初は「維れ王の廿又三年九月、王は宗周に在り」 (周の「克鼎」)のように王の名すらも記載されていなかったのに、後世では「維唐貞元元年仲冬十一月十有七日」(唐の「聞喜令楊夫人裴氏墓誌」)のように朝代を明記するのが普通になりました。但し「維唐」の句は「維れ唐の」のように読むべきもので「維」は以下の年月表記全体に係り、葉氏の理解のように国号表記の一部になっているわけではありません。 その他の文字は国号の美称として添えられたものとして常用されていますが、システマティックな意味を持つのは「大」字だけです。 李自成の「大順」という国号が博打の手の名に由来するという話の出所が、分らなくなってしまったと書きましたが、その後に見つかりましたので紹介します。 清初の呉偉業の「綏寇紀略」の「言妖」に「萬暦年間に民間は葉子戯を好み、趙宋時の山東の群盗の姓名を牌に圖して之を鬪かはす、崇禎時に至って大いに盛んなり、其の法は百貫の滅活を以て勝負と爲す、闖と曰ふ有り、獻と曰ひ大順と曰ふ有り、初め自りて起こる所を知らず、後に皆な驗す」とあります。「葉子戯」というのは麻雀の源流とされている紙牌の遊びです。そこに「水滸傳」の好漢の絵が画かれていて、また何貫という銅銭の額も表示されていました。 清初の陳瑚の編になる「頑潭詩話」に収められている王育の「戳讖謡序」には葉子戯の手役を解説しています。「千生は闖を用ゆ、鬪の險也」と「百老は獻を用ゆ、戰の捷也」そして「百千萬馬皆な到る、則はち順風旗にして勝の烈也」という3種です。 明末の諸賊(起義農民と呼んでる人もいる)もこの博打にはまってて、彼らの名号にこれらの文字が出てくるのは偶合ではなく、意識して使っていたのだというのが清初の人の認識のようです。 ことに「順」という字は好まれたようで李自成は崇禎十六年には「新順王」と自称し、翌年には西安で「大順」の国号を定めており、また張獻忠も成都で「大西國」を建てた際に元号を「大順」としています。 ということで李自成の国号が賭け麻雀から取ったというのも満更のヨタ話じゃないみたいです。 : あやめ : 01/11/26 17 46 >ヌルハチは「大金国」ではなく「後金国」を自称したのでは? ヌルハチの建てた国名は満州語でアイシン・グルン(金国)、漢字で「大金国」だよ。 「後金」はあくまで区別のための歴史用語。 : 01/11/26 07 50 >大元はモンゴル語のダヤンに当て字しただけときいたが? 「ダヤンの語源が大元」が正しいのでは? ダヤンって人名でしょ。 : 01/11/26 19 54 「ダヤン・ハーン」は称号で「大元汗」の謂。 十六世紀にモンゴルを再統一した「ダヤン・ハーン」の諱は場とモンケ。 : 01/11/27 06 41 「後魏」「後周」「後漢」などは確かに区別のための後世の呼び方だが、「後金」は確かに自称(金の後裔の意味)。満洲語でアイシン・グルン。漢語で後金国。 : 01/11/27 03 58 「後金」の国号が確認されるのは「李朝實録」(最近では「朝鮮王朝実録」と言わないと叱られるらしいです)にヌルハチが朝鮮國王に寄越した国書には年号を「天命二年」とし、「後金國汗」が朝鮮國王に諭すとして「七宗悩恨」(いわゆる七大恨)が書かれていまして、そこに押捺されていた篆印を解読すると満文で「後金天命皇帝」と顕出されたとの記述があります。なおこの「胡書」が朝鮮に致送されたのは天命四年のことなので、清朝文献が伝える天命建元の年次は後年になって遡らせたものと疑われることになりました。 この後も後金國汗の称号で文書を発出していたことは翌年六月の「神宗實録」に熊廷弼の奏文を引いた中にも見え、その他「三朝遼事實録」「東夷考略」「建州私志」「皇朝從信録」など多くの書籍に見えています。 その後に天命六年の寧遠の攻囲戦ころから改めて「金國汗」と称するようになったようで、天聰年間の朝鮮や毛文龍との文書の往来には全て「金國汗」が用いられています。 そういうことで少なくとも公式に「大金」の国号が用いられたことはなさそうで、御指摘のようにうっかりミスでした(A^^;;ただヌルハチの領域内では一般に「大金」が用いられていたような証跡は残ってはいて、「燃藜室記述」に引かれた「朝野鮮聞」に朝鮮と金國の誓文を載せた中に「朝鮮國王と大金國王子と誓を立て」云々とあり、また遼陽城の南門外から発見された「喇嘛法師寶塔」には「大金天聰四年歳次庚午孟夏吉旦」とあるそうです。 : あやめ : 01/11/28 18 02 漢~宋の中華王朝の国号は、基本的には、その創始者が受封された土地にちなみます。 たとえば、三国時代の魏なら、前王朝の漢から、曹操がまず魏公に封じられ、やがて形式的な禅譲で国を譲り受けました。 まあ、乱暴なたとえをするなら、たとえば、フランス王が実力のある家臣をノルマンディー公に封じ、そのノルマンディー公が下克上でフランスを乗っ取って王になったとします。以降、その国全体がフランスではなく、ノルマンディーと呼ばれるようになる、と、そのようなルールが中国にはあったのだと考えてください。 ちなみに、満州族の金・清、モンゴル人の元、創始者が農民出身の明、太平天国などは、前王朝に受封されたことがないので、縁起のよい字を勝手に国号にしています。また、「劉」姓の人間が国を建てると、国号を漢にしたがる傾向があります。 03/05/05 03 36 中国王朝は、陰陽五行説によって、それぞれその国の色があるって本当ですか? 確かに、黄帝や、蒼天すでに死すとか、あるんですがほんとのところはどうなんでしょうか? 五行交代理論には相勝説と相生説があることは御存じかと思います。前者は戦国末の鄒衍が唱えたもので木金火水土の排列で、後者は漢の劉向・劉キン(音+欠)の父子が唱えたもので木火土金水の順序です。配色の対応は木青・火赤・土黄・金白・水黒となっています。 五行を歴史上の王朝に配当するようになったのは鄒衍が五帝に五行を割り当てたのから始まったようです。この際に彼が基準としたのは同時代の周を火徳とした点です。これについて京大儒学の開祖というべき狩野君山は当時においては周が火徳であることは当時の通念となっていたので、鄒衍もこれを原点とせざるを得なかったものであろうと論じています。そして前代の殷は金徳で夏は木徳で虞(舜の国家)としたもののようです。周が火徳ということであればこれを打倒した秦は自ずから相勝説により水徳ということになります。「史記」にもそう書いてありますし大方の学者もこれを支持しています。ただ栗原朋信さんは始皇帝は周を継承したとの意識は持っておらず、水徳の採用は疑わしいと主張していますが少数説たるを免れません。 漢になってから文帝の時に賈誼は上書して土徳の採用を提案していますが、当時はまだ秦の制度の変革に着手できずに経過していました。武帝の時代になると丞相の張蒼は秦を無視して直接に周を継承して水徳を採用すべしと提議し、民間人の公孫臣はやはり土徳を採用すべしと主張し対立しました。結局は武帝により土徳説に従い服色を黄とすることに決定を見ました。前漢の末になると劉向は相生説を提唱し始め漢は火徳となるべきものと説きました。この説の背景として考えられるのは漢の高祖の先祖は堯であるとする情報が一般化したことです。高祖の先祖については下記のスレッド「春秋戦国を語ろう」のあやめのレス34を参照してください。 http //mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis key=978123589 ls=50 「禮記」の「月令」は古書中では相生説の順序に対応しているので、これにより周木徳・殷水徳・夏金徳・舜土徳と遡っていくと堯は火徳となり、漢と徳運が一致することとなり、高祖を白帝の子である大蛇を斬った赤帝の子とする伝説とも照応し好都合であったのです。 こうして漢は火徳とするアイデアが提唱されることになりましたが、この説を推進したのは劉向の子で王莽のブレインとして活躍した劉キン(音+欠)です。王莽はかねてから舜の子孫という系図をひけらかしていた人で、舜が土徳ということであれば漢の天下を簒奪するのに好都合なわけです。彼は万事こういった迷信じみた理念が好きな人物で、意識的に利用したのか本気の思い込みか政権の獲得維持に積極的に持ち込んでいました。これに対し王莽打倒に反乱を起こした勢力が眉を赤く塗っていたのは、漢の復興を表向きのスローガンにしていたためでしょう。相生説は急速に定着していったと言えるでしょう。 後漢末になると今度は反乱勢力が土徳説を利用するようになりました。言うまでもなく「黄巾の乱」です。また漢に代わって皇帝になろうとした袁術も黄帝の子孫と称し、その国号を「仲家」としたのも土徳に属する方位が「中」であったからかと想像されます。漢に代わって建国した魏が「黄初」呉が「黄武」の元号を用いたのも土徳を意識したためです。一方で蜀では「炎興」の元号を採用しているのは火徳の再興を祈念したものです。王莽や曹丕が武力による政権の奪取ではなく、古の聖帝のように平和裏に易姓を実現したかのように偽装する禅譲プロセスのためには、相生説は絶大な効用を発揮しました。そして相勝説は政治手段としては顧みられなくなってしまったのです。 以下の各王朝の徳運と服色を摘記しておきます。 魏・呉=土黄、晋=金白、後趙・北魏・宋=水黒、前燕・南斉・北斉・北周=木青、前秦・梁・隋=火赤、陳・唐=土黄 なお北魏は当初は黄帝の後裔と称していたため土徳を採用していましたが、孝文帝の時に前秦を継承して土徳とすべしという説と晋を継承して水徳とすべしという、両説が対立しましたがやはり統一政権である晋の金徳を継承することに落着しました。また唐でも玄宗の時に当初は漢の火徳を継承したものとしていましたが、5年後にはやはり隋を継承したものと決定しました。 五代になると後梁は金徳ですが次の後唐はこれを無視して唐の土徳を維持することとし、後晋が金徳で後漢は水徳となり後周は木徳で宋は火徳という徳運となっています。以後の王朝では五行の徳運については全く廃棄されてしまったようです。その事情としては禅譲という手続きが顧みられなくなり、剥き出しの武力で天下の奪権が実行されるようになったという歴史の様相の変化からかと思われます。 王朝の称号もそれまでは政権獲得の前段階の封号に由来するものであったのが、「大元」からは易経から取義することになり「大明」「大清」も古典籍から嘉字を選ぶようになりました。国家の観念も天子の家族の私産という意識から脱却したものへと変化していったように見えます。 あやめ :2001/01/24(水) 19 46 中国史上には、「夏」という国号の王朝はいくつかありますが、「春」「秋」「冬」という王朝がないのは何故ですか? 「夏」を国号とする2つ、五胡「大夏」と「西夏」は、現在の陝西省の黄河流域にあった「夏州」の地縁による国号の命名。季節の「夏」ではない。 :04/04/05 16 21 まあ、よく知らんけど、白川静の「字統」を見てみたら、「春」「秋」「冬」は元々季節に関わる文字だったが、「夏」だけは、転義として四季の名に使われるようになったらしいな。 「夏」というのは、本来、「儀容を整えて舞う人の形」から得られた象形文字だったが、舞踊・舞楽こそが文化の精髄だということで、「文化・文明」をも表すようになり、さらにそれが転じて、「蛮」に対する「中華」、さらにはそれを体現するとされる特定王朝に対しても用いられた、と。 04/04/05 17 30 「夏」とは、盛ん、大きい、というのが元々の意味。 そこから、盛んな季節:summer → 「夏」の字を当てる。 「禹夏」は夏州由来かどうか、どこにあったか不明。そもそも存在自体が不明。 「夏州」はどうしてそういうのかは不明。 04/04/05 17 35 万里の長城は実戦では役に立たなかったんでしょうか? 万里の長城が実戦にそんなに役に立たなかったのは本当。始皇帝が作った奴は馬が飛び越えられない程度の物だから。現在のレンガ造りの奴はそれなりに役に立ったようだが、それでもエセンに英宗が捕縛されるようなこともあった。ただ、万里の長城の建造理由が実際の防衛のためよりも国境線の明確な主張をするための意味があると言う説もある。 04/08/22 23 25 長城は防壁というよりは、レーダー網のような使い方をされていた。敵が来たら警備兵が烽火を上げ、援軍を呼ぶ。壁部分は敵の進軍を遅らせるのが主な目的で、完全に敵を防ぐことまでは期待されてなかった。 04/08/23 01 15 長城は援軍を呼び出す&時間稼ぎが主な目的なんで、やってきた援軍が弱かったらどうにもならない。土木の変の敗北は呼び出されてきた援軍がアフォの英宗だったからで、長城がどうこうという問題ではない。 04/08/23 01 21 騎馬民族だって、簡単な壁ぐらいなら壊せるし、明代の立派な長城は壊すことは無理でも、壁に登るスロープを作る程度のことはできるよ。土を掘って壁際にどんどん積んで固めりゃいいだけなんだから。ただ、工事に時間をくわれて、その間に反撃の態勢を整えられる。特に、長城の南に侵入する時より、帰りが危険。あちこち転戦してると来るときに確保した侵入ポイントに戻れるとは限らない。そうなると、逃げるに逃げられず、工事をしている間に全滅する危険もある。長城は侵入自体を防ぐよりも、侵入後の敵を本国と分断し、戦いやすくする効果が大きい。 04/08/23 02 33 耶律楚材について聞きたいんですが、彼の中書令という役職は具体的にはどういう役割だったのでしょうか? 主に修史を担当する役職です。上位に大書令がありまして、修史と暦法を担当していました。中書令として有名な歴史人物としては、司馬遷が上げられますね。 357 :03/07/27 00 46 ただ、楚材は漢族の統治と、モンゴル帝国の立法関連にも関わっていたとされていますが、杉村氏が主張されるように宰相としての楚材像は誤りではないかとする異説もあるようですね。 357での回答はとりあえず漢代の中書令の職務という事で・・・・。 :03/07/27 00 54 補足すると漢の中書令は宦官ぞよ。後世は違うけど。 :ハナアルキ ◆NRtIkON8C2 :03/07/27 00 57 中書省は枢密院、御史台と共に百官を統轄し、政治を行う機関とされています。枢密院は軍事、御史台は監察を担当そ、中書省は行政を担当します。この3つの国権の最高機関の中で最も格上なのが、中書省。その長官が中書令ですが、通常臣下が就く事はありません。 だいたい、中書令は皇太子が務め、その副官である中書右丞相、中書左丞相が事実上の帝国宰相となります。モンゴル・元の歴史を通じて、臣下でありながら中書令になったのは、耶律楚材だけです。 ただ、この時期は帝国の官制が定まっていた時期ではなかったので、中書省の長官というよりは、彼の中書令は皇帝の秘書官長といった方が適切だったかもしれません。あるいは、漢土における中書省の代表という役割で、漢土の行政を担当していたのかもしれません。そう考えれば、彼の政治家としての活躍が漢土に偏っていることや、イスラム系の史書で彼の名前が出てこないというミステリーも解決できます。 耶律楚材の中書令が、モンゴル帝国の帝国宰相職なら、イスラム系知識人も、彼の動向には強い関心を払うでしょうから、史書に彼の名前を残さないということは考えにくいです。 :永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/07/27 02 24 司馬談が太史令を拝命していたのにもかかわらず、子の司馬遷が一段劣る中書令を拝命したのは宮刑を受けて後の事でしょうか?宮刑を受ける以前は世襲の面が見受けられた太史令の任についていたのでしょうか? 太史令は太常の下の一部門の長でしかありませんよ。 「司馬親子が就いたから偉いはずだ」という思い込みからか、太史令がすごくエライ官職として捉える説も昔から確かにあったのですが。 むしろ司馬遷は宦官にされ中書令になって出世したのです。前漢の中書令は政府から上がって来る文書、皇帝が出す詔を管理し、時には詔書起草などにも関与したらしい官です。しかし後宮内が仕事場であり、宦官しか就任出来ませんでした。 司馬遷は太史令→切断→中書令ですね。 :ハナアルキor怨霊 ◆NRtIkON8C2 :03/07/27 01 40 今月号のナショナルジオグラフィクスでは漢王朝特集でしたが、掲載されていた後漢の地図では、福建省のあたりが支配領域に入っていませんでした。 ビン越が歴代王朝の支配地になったのは三国時代。吉川弘文館の歴史地図でも西漢(前漢)時代は属国、東漢(後漢)は白色となっている。 ?越=福建省は今でも中国では一番の多雨多湿気候で、中原の乾燥気候になれた人にとっては苦手な地域。中国共産党がこの近く(瑞金)に最初の根拠地をつくったが、ほどなく長征に出発したのもここの気候に耐えられなかったからという説もあるくらい。 04/02/20 10 10 それと福建省の地形的な理由。 地図を見てもわかるとおり、小規模な山や山脈がたくさんあってそれらの間に細かく分かれた土族をことごとく支配するのは容易ではない。 清滅亡~辛亥革命期に日本が福建省を勢力下にしたのも、日本領台湾の対岸であったのと、列強のぶんどりから取り残された地域であったため。 04/02/20 10 23 以前泉州市に梅雨の頃に行ったことがありますが、もう日本の梅雨の比じゃありません。 最悪です。内陸には行きませんでしたが、地元の人でもこの山また山の地形はなかなか覚えられないそうです。二千年前のビン越がどうだったか、詳しい知識はありませんが、中国世界の一員になったのは三国の呉が南方を平定してからだと言ってました。おそらく「虫」と見られるような人々がいたのでしょう。 吉川弘文館の歴史地図によりますと、広東省~海南島~ベトナム北部一帯は前111年に平定、とあります。 宦官は去勢して王族に仕えたらしいですけど科挙に受かって王族に仕えた場合は去勢しなくてもいいのか? 支那の皇帝の臣下は、内臣と外臣にわかれます。宮廷も外廷と内廷とあって、日本で言えば、内廷が大奥に相当します。内廷にあって、皇帝のプライベートな事項について仕えるのが内臣で、これが宦官でなければならないということでした。 逆に、公的な政治や行政、軍事を行う臣下は外臣で、中心となるのは科挙によって選抜された官僚でした。こちらは、去勢とは関係ありません。 本来のルールでは、内臣である宦官は政治に口出しをしてはいけないということになっていましたが、常に皇帝の側にいることから、しばしば宦官が政治的な権力をも手中にすることがあったということです。 01/09/10 19 26 「三跪九叩頭礼」ってどういう動作なんでしか? ベルトルッチ監督「ラストエンペラー」によれば 号令係のかけ声 大臣たちの動作 「跪!(ホイ!)」 気を付け姿勢から土下座 「一叩頭!(イーコートーゥ!)」 おでこを地べたにゴッチンこ。 「再叩頭!(ツァイコートーゥ!)」 おでこを地べたにゴッチンこ。 「三叩頭!(サンコートーゥ!)」 おでこを地べたにゴッチンこ。 「起!(チー!)」 」 立ち上がって気を付け! これを三セット。 :ドドンガ :02/10/09 05 00 中国の皇帝の正妻が皇帝の死後、お妾さんの目、耳、鼻、腕、足を斬って、人間便器にしたそうです。あまりに残酷ですが、他にそのような残酷なことをした支配者がいますか? この話は漢の高祖、劉邦の正妻、呂后についてですよね? たしか第二夫人の戚夫人を両手両足切断、目玉をくりぬいて耳を切り取る(焼くだっけ?)喉をつぶして便所に落とすというとんでもないことをやった人物(鼻は切り落としたっけ?)これで生きていた戚夫人もすごいといえばすごいかもw 03/05/10 21 18 めっちゃ残酷な皇帝の名前教えてください。 朱元璋 数々の疑獄事件をでっち上げて数万単位で官僚・功臣を殺した。 当時の官僚は出勤に際して、これが今生の別れかもと、妻子と抱き合ってから出勤した、という逸話が残っている。 皇帝を褒め立てる上奏文をある人が出したところ、そのなかに「光」という字があるのを見つけて「おれが貧乏時代に坊主をやってたのを皮肉ってる」といって上奏者を死刑に。 などなど。 2005/05/29(日) 22 22 02 0 永楽帝とかも酷いが、後趙の石虎は残虐だぞ。 太子を殺した別の息子の手足切断、舌抜いて目を潰して殺してるぞ。 息子も猟奇趣味(宮女の首を飾って眺める、比丘尼を犯して殺す)だし、養子の冉閔もそうとうな虐殺者だ。 2005/05/30(月) 01 12 52 金の海陵王亮も。 2005/05/30(月) 06 59 11 呉楚七国の発生原因とその影響 マグロな見方をすると、旧秦VS旧六国(戦国の秦以外)の最後の決戦と言えないことも無いでしょう。秦の統一がすぐに敗れたように、始皇帝の時点では秦には真の意味で中国全土を征服・支配するほどの力は無かったのです。しかし秦の覇業は漢へ形を変えて受け継がれました。漢は全土を郡として直轄するのではなく、経過措置として半独立政権としての諸侯王を認め、争いを避けつつ再度征服するだけの力を蓄えたのです。と同時に諸侯王の領土を細切れにするといった諸侯王対策を施し、来るべき決戦に備えたのです。 旧六国側の勢力では、元々強国だった斉や、直接漢王に攻め込まれはしなかった楚・呉方面がかろうじて漢に対抗しうる力を持っていたと思われますが、斉は漢によってバラバラに分解されて対抗勢力としては虫の息でした。楚王、淮南三王、呉王は漢から離れている事もあってそれぞれ真の独立を勝ち取るために富国強兵に勤めましたが、結局のところ漢もまた同じように力を蓄えてゆくワケで、走っても追いつけないアキレスと亀。 漢が皇帝権力の伸長と経済力回復を進めてゆくのを見た旧六国サイドは、もはや待てぬとばかりに文帝死後の不安定な時期を狙って兵を挙げたのです。 殆ど破れかぶれだった旧六国に勝ち目はなく、これによって漢は旧六国の未征服地域を支配化に置くようになりました。 かくして漢は秦代の領地を回復し、名実共に統一王朝となったのです。 匈奴や域外への攻勢、封禅、政治制度の変革といった後の諸政策は、この乱によって国内を統一した事が基盤となっていたのです。 03/07/02 00 08 中国の三国時代に銀(銀貨ではありません。銀の塊です)で代金を支払うということはありえたのでしょうか? ふぉ。支那の貨幣史ではの、三国時代から隋代は貨幣鋳造が低迷した時代とされておってな、貴金属が不足し、まともな銅貨もそろえられんで鉄銭が鋳造されたような時代じゃ。じゃから、日常的に銀貨で支払いをするという描写があれば、それはちと怪しげな記述ということじゃな。 しかし、漢代には金貨銀貨も鋳造されておったのじゃから、いかに国外に流出し退蔵されたからと言ってもな、いつの世にも、ほれ、ある所にはあるというやつじゃ。特別の場合に取引の対価として銀塊が出てきても、それがありえないというほどのことでもないじゃろの。 :03/08/17 22 28 明代に中国で銀が主な貨幣として流通するようになったのは、新大陸の銀をヨーロッパ商人が持ち込んだのと、日本の銀を大量に輸入するようになって、銀の流通量が急増したからでした。そのため貴金属扱いだった銀の相場が急落して、春秋戦国時代以来の主な貨幣だった銅銭に変わり、普通に通貨として流通するようになったのです。 三国時代の史書にも、銀に関しては恩賞として賜ったいう記録が大半を占めますが、魏書甄皇后伝に飢饉でみんなが金銀珠玉を売りに出して食糧を手に入れようとした時、穀物をたくさん持っていた甄皇后の実家が大儲けしたという記事、蜀書麋竺伝に麋竺が金銀貨幣を供出して軍資金にしたという記事、蜀書李恢伝に異民族叟族が納めた牛や馬や金銀や犀の革を軍資金としたので、軍事費に困らなくなったという記事があります。 おそらく、牛や馬や犀の革は軍資金と言うよりは軍需物資に使ったのでしょうが、銀が支払いに直接使われたのが確実なのは甄皇后伝だけで、蜀書の二つの記事では銀を直接軍事費の支払いに使ったのか、それとも銀を売って銅銭、あるいは布や穀物に換えて支払ったのかは分かりません。この時代は貨幣経済が弱体化して現物交換が盛んになった時代と言われています。布や穀物が通貨として流通するようになった時代ですが、それでも銅銭は流通していたようです。 :永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/08/17 22 33 北方の騎馬民族は歴代の中国王朝の脅威になっていますよね。でも彼らの生活は南の農耕民族の交易なしでは成り立たなかったとの文章を見かけましたがこれはどういうことなんでしょうか 「南の農耕民族(漢民族)との交易」と思います。遊牧民は、漢民族から、彼らの優れた文化・生産物を交易により入手することで、自らの文化と生活を向上させていったということだと思います。また、漢民族より、北方に生活しているため、天候不順のとき食料を強奪していくこともありました。 :03/08/24 16 17 中国の優れた生産物ってこともありますが、そもそも遊牧の生産物だけではどうしても栄養が偏るので交易が必須です。中央アジアやイラン・アフガニスタンのように遊牧民と定住民が接して暮らしている地域では遊牧民が農耕民と付かず離れずの様がより顕著に見られます。 :03/08/24 19 06 つーか、騎馬民族で間違いとは言わないけど、普通は匈奴なんかは遊牧民と呼ばないかな。 んで、南方の農耕民との貿易がなければ成り立たないという根拠がよく解らないな。確かに、喫茶の習慣が入ってからは茶を入手するための交易が必要になったと言えるだろうが、漢代あたりでは交易が必要ということもないだろ。少量の交易ならば、ずっと継続していただろうが、基礎的な食料などを交易に頼っていたわけではないし、むしろ漢族との交流によって文明化というか中華風に染まった連中が、もともとの質実剛健な遊牧民にとってかわられるというパターンが多かったように思うが。 :03/08/24 19 54 遊牧文化というのは、農耕文化よりも新しく出現し、動物の乳製品や肉類を摂取し、畜獣とともに移動して生活するという自給型の生活文化ですから、衣食住のすべてが一応は自給可能です。 ただ、理解できないのは普段は分散して生活している遊牧民が歴史上、突然のように集結して農耕民というか、この場合は中華帝国に侵攻するのですが、そのきっかけはなんなんでしょうね。人口増圧力によるものなんでしょうか。 :03/08/25 21 23 府兵制についてですが、隋や唐の時代では租庸調のほかに雑徭は免除されたのでしょうか? 「在郷期間は農閑期に軍事訓練を受けた」ってあるから雑徭は不可能では? :03/06/05 11 53 レポートで隋唐演義について調べてたんだが、李淵の後継者争いで李元吉はなんで太子健成の側についてたの?単純に太子健成と仲良しさんだったから? 李世民のほうが、切れ者過ぎたということらしい。 この三人兄弟は仲がよくて、かなり年をとってからも、いっしょのベッドで寝ることも合ったらしいが。ただ、世民が切れ物過ぎて不気味という感じを受けたらしい。 04/06/27 15 11 中国で10C頃から全体的に都が北に移動した理由って何? その質問には大きな事実誤認があります。10世紀頃の中華の統一王朝北宋の帝都開封は、現在の河南省です。秦の帝都咸陽(現在の陝西省)、前漢や唐の帝都長安(現在の陝西省)、後漢や西晋の帝都洛陽(現在の河南省)など、過去の統一王朝の首都と比べても、特に北に寄っているということはありません。 初めて中華の統一王朝の首都が北方に置かれたのは、13世紀の元帝国の大都(現在の北京直轄市)が最初です。 :永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/07/20 22 06 ヒスイの戦い(383年、東晋と前奏の戦い)で前奏が約90万の軍隊だったのに対し、東晋はわずか7万人ほどで勝利したらしいです。いったいどんな戦い方、または何が起こって前奏は敗北してしまったのですか? 簡単に言うと、滅ぼした異民族を信用し、重用してきたが、肝心なときに裏切られた。東晋は漢族の正統な王朝でもあるし、そういう意味でも士気が上がらない部分があった。 簡単な説明なら ttp //members.jcom.home.ne.jp/collonnade/china/china03s.html この辺にもある。 04/09/20 19 22 32 徽宗皇帝って、連行された後どうなったんですか? 徽宗皇帝はね、満州の奥地に連行され、そこで自給自足に近い俘虜生活を強いられた。そして失意のうちに五十代で亡くなった。息子の欽宗も、やはり捕虜のままで数十年後、失意のうちに亡くなった。 04/07/03 23 10 岳飛廟の秦檜像にツバ吐きつけ 実利追求に徹している支那の一般民衆が急に忠君愛国思想に目覚めるかしら?やっぱり御利益があるって迷信が存在するので皆ながやるようになったらしいわよ。そうじゃなきゃ岳飛廟の秦檜像にツバ吐きつけないでしょう : 01/11/05 17 23 この習俗の背景には支那人の「痰吐き文化伝統」というべきものが存在します。何年前でしたか清朝の宮廷文化に関する展覧会があって、乾隆帝の書斎が復元展示されていました。そして豪奢を極める調度の中に立派な痰壷が帝のお机の傍わらに麗々しく置かれておりました。 「日中国交回復交渉」の際に小平だったかが田中角栄首相とやりあってる最中、むづかしい局面にさしかかったら突然と氏が立ち上がって部屋の隅までゆくと、「カーッペッ」という喉音高く盛大に痰を吐きつけたそうな。さすがに負けない角栄氏これまた別の隅に「カーッペッ」 : あやめ : 01/11/07 20 36 科挙に監視員はいないのでしょうか? カンニングは見つかれば罰せられたんでしょうか? 監視員はいませんが、答案のチェックは大変厳重だったようです。誰の答案かわからないように名前に封をしたりしてます。それでも、はじめのほうに名前のわかるような書き方をして、試験官とグルになっていたのは結構いたとか。清の末期にバレて試験官も受験生も何人も死刑になりました。 :アマノウヅメ ◆2atuWPtiaQ :03/07/27 15 52 ちなみに、科挙の主席合格者を「状元」と呼ぶが、横浜中華街の「状元楼」の名はこれに由来する。まぁこれはどうでもいいな。んで、主席合格者の答案はほかの受験者の答案の上に置かれたことから、優れた文章や業績の形容として「圧巻」という言葉が出来た。 :03/07/27 16 29 宋景詩という人について教えてください 宋景詩は山東の堂邑の出身で豆腐屋をやっていた貧民でしたが、白蓮教系の八卦教に参加していたようです。咸豐十一年に地租増税反対一揆を起こし、白蓮教軍の一翼として「黒旗軍」と呼ばれて活躍していましたが、形勢が不利になると清の討伐軍に投降し、勝保の下で安徽・河南の捻軍や陝西の回民の反乱の鎮圧に従事していました。 翌年には脱走して表面上だけ清軍に協力するふりをして、白蓮教軍の鎮圧に差し向けられると白蓮教軍や太平軍の残兵を収容し、自軍の隊伍を強化拡大し地主の民團勢力と衝突を反復していました。当初は山東や河南の民乱に牽制されて武力対応の余裕がなかった清側も、同治二年四月には僧格林沁の軍を動員して九月には開州で宋軍を撃破しました。その後は安徽で捻の苗沛霖や湖北で太平軍の張宗禹の軍に参加して活動を継続し、四年には曹州で僧格林沁を戦死させたのは彼だということになっています。 その後の消息はやや曖昧で亳州で捕縛され安徽省城で処刑された、許連升という拝み屋の男が実は宋景詩であったとも、それは別人で光緒二十六年に故郷に姿を見せたとも色んな伝説が語られているようです。 彼の名は「清史稿」の「文宗本紀」や「勝保傳」などに断片的に出てきますが、余り注目されない人物でした。一躍有名になったのは「武訓批判運動」に関連したキャンペーンからです。当初は山東地方で乞食から富農になり慈善事業を行った武訓という人物の顕彰運動があり、実は彼は偽善者で農民の抑圧に狂奔していた「悪覇地主」の典型だという暴露キャンペーンに変わっていきました。その中で武訓の後援者の揚樹坊の一族が中心となっていた柳林鎮の民團が、宋景詩と最も激しく対立していたことが明らかにされ、毛主席のお声がかりで「農民起義英雄」として宋がクローズアップされることになったのです。当時の編纂に係る「宋景詩史料」という本があったと記憶します。 : あやめ : 01/11/12 13 56 清王朝は江戸幕府(当時の日本の意で)に対して属国支配あるいは従属支配冊封朝貢体制に組み入れていたのでしょうか? 清朝は日本に対してどのようにみていたのでしょうか 日本は確かサンポ事件以来中国締め出しだったと思う。中国側にとって見たら冊封体制に入っていたのは戦国中期まで。 でも琉球台湾や東南アジアで出会い貿易をしていたから中国との密貿易はあった。 04/02/09 01 08 江戸期の日清関係は民間交易のみであり、朝貢・冊封関係は存在しません。江戸日本は清を中心とする国際秩序の外側にいます。徳川将軍が対朝鮮外交で「日本国源○」とのみ称したのもそのためです。 清朝から見て日本は朝貢国でも属国でもありませんが、対等とは見ていません。単に礼儀知らずの野蛮国という扱いですw 04/02/09 01 11 江戸幕府と清は貿易してませんでしたっけ? 幕府は、オランダと清だけ公認で貿易できるみたいな。やはり幕府認定の清との貿易となると、朝貢体制に組みこまれないでできるんですか? それと、鄭成功が日本に援軍を依頼した件に対して清朝は江戸幕府に何も言わなかったですか? ふぉ。明清代の中華帝国の貿易関係はの、朝貢と交市という二種類があったのじゃ。朝貢貿易というのは良く知られておるとおり、形式的には貢物を持っていくと中華皇帝から見返りとして下賜される品々があり、遠隔の地から朝貢すると大きな利益を得ることが出来たというものじゃな。 もうひとつの貿易形態としては、交市というものがあって、これは単なる交易関係を結ぶもので、朝貢は儀礼をつかさどる礼部が対応したのに対して、交市は蛮族を相手にする理藩院が対応したのじゃよ。 朝貢国はその実態として、実際には清の軍事力の及ばない遠隔の地から貿易にくる者を「中華帝国の繁栄を慕って蛮夷が服属してきた」ということにして利益を与える場合と、朝鮮などのように実際に清の軍事力の及ぶ範囲の従属国が混在しておっての、すべての朝貢国が有利な貿易関係にあったわけでもないのじゃ。 で、日本は室町時代の足利義満が明に対して有利な貿易を求めて朝貢関係を結んだが、これを次の代の将軍が破棄しておるので、江戸幕府の代では朝貢ではなく、交市という位置付けでの交易が行なわれたということじゃ。 本来、朝貢関係を結んでこれを破棄すれば、中華帝国から膺懲の師といって、軍事的介入を受けてもしかたがないのじゃが、明からすれば、元寇の失敗の故事もあることで、 「野蛮人はしょうがない」ということでそのままとなったということじゃな。 495 :世界@名無史さん:04/02/09 22 15 495 「理藩院」を持たなかった宋代・明代において、「交市」を管轄していたのがいかなる機関なのか、解説してください。 04/02/09 23 19 中国と朝貢国との冊封体制が長期にわたって維持されたのはなぜですか? 圧倒的な軍事力と経済力の差。 周辺国の朝貢・冊封体制は、中原に大国が形成されやすかったことの結果にすぎないし、経済的・軍事的に自立していれば、例えば、日本のように朝貢も冊封も必要ない。 朝貢したのは、なにも、外国ばかりではなくて、本国の中でも領地を封じた諸侯からの朝貢を受け、冊封を出している。 本国、属藩・外国という意識すらなく、中央に近く御しやすいところから段々と遠方にゆくに従い思い通りになりにくいところ、というくらいのものだ。影響力が限界のところ、ビルマとかマラッカのように、言うこと聞かないから攻めてねじ伏せるというようなことがおよそ不可能なところでは、大国に対する儀礼以上のものは求めず貿易を許すという形になるわけだ。 04/06/04 06 38 朝貢する側にとっては、朝貢は、朝貢という名目の実質的な貿易で、直接的な利益につながる。 朝貢させる中国にとっては、朝廷の権威づけとなる。 双方にメリットがあったので長く続く。 438 :世界@名無史さん:04/06/02 17 44 438 それは、今のビルマやらタイやらヒマラヤやらジャワ島やら中央アジアなどの遠かったり小国だりするところに対しての施策。 東トルキスタンや蒙古や朝鮮なんかの近接の属藩には、軍備を制限したり、経済力を持たないよう収奪的な朝貢を要求したり自立しないよう産業を制限したり、人質として世子を本国に連行し属藩の王位の継承は本国で洗脳済の世子に継承させるよう干渉したりなど、がんじがらめだよ。 452 :世界@名無史さん:04/06/03 20 02 朝貢であれば 452の「収奪的な朝貢」はあり得ない、と言っておく。 その他の施策で経済力が過度に付かない様にコントロールすることはあったが、それは朝貢とは直接関わりはない。 それ以外については、まあ、そんなもんかな。 朝貢は、相手国にとっては経済的魅力は大きいが、中華帝国にとっては、周囲の安全保障と言う観点から見れば「損」と言うわけではない。王朝の盛時には「得」な事の方が多いと思われ。ただ、王朝の衰退期には、朝貢が重荷になったことも確かな様で、朝貢の回数を限ったりしようとする例も見られた。 455 :世界@名無史さん:04/06/03 22 52 455 遠方の諸国はそうだ、 背後にも中原王朝の味方が居るぞ、と、近隣の属藩に示すために、その背後たる遠方の諸国の朝貢には手土産を沢山持たせるし、とりたたて支那の側からの要求も無い。手土産もたせるのが財政的に苦しくて、朝貢の間隔を空けるよう要請することもあったようだ。 近接した属藩に対しては、締め付けの意味合いの方が大きくなる。支配体制なんだから、他の施策とも連携して行う。一種の税だから朝貢の品目や数量にも注文が付くし、王族の中から宗主側が指名して直接来させる、返使という名目での監督官の派遣もあるという具合にガチガチだぞ。 明や清の、琉球に対する扱いが、タイやビルマなどの遠方との扱いと同じくらいに緩く、逆に島津藩や徳川幕府からの扱いが過酷だったために、「朝貢・冊封は緩い」という誤解を生じたのだろう。 朝鮮、新疆、蒙古など、近接の属藩に対する締め付けは過酷なものだったことを忘れるな。 456 :世界@名無史さん:04/06/04 06 12 456 だから、「朝貢」に関して言えば「収奪的な朝貢」はあり得ない、けれども冊封体制そのものが収奪的でなかったかと言えばそんなことはないってことだよ。 朝貢と冊封は確かに対のものだけど、意味合いは違うんだから一緒にするな、と言うことだ。(収奪的に朝貢を行ったら、その王朝の権威が疑われるぞ。)朝鮮や吐蕃、西域諸国も、こと朝貢のみで考えれば中国の出超だったのは間違いない。 何度も言うが、冊封体制そのものは近隣諸国にとって収奪的でないとは言えない。人質もとられたし、軍隊に兵士を徴用されたり、多くはなかったものの、王自らの入朝を求められることもあった。 458 :世界@名無史さん:04/06/04 07 39 458 朝貢して冊封を受けないことは無いし、冊封こそが自体が本国属藩双方の朝貢の目的なんだから、同時に論じなければならない。 隣接地では、専ら朝貢は徴税だ。権威は圧倒的な軍事力があるだろう。時代の近い方から、清、明、元と、三つの中原王朝から連続して直接的な派兵を受けて、いわば、力づくで朝貢を要求されている。この場合には本国から与える文物による権威づけは要らない。 明と足利政権、明・清と琉球のような、中原との軍事的な対立の無い場合には、おまぃさんの言う、大国の威信づけのために与える文物が華美だったが、これはこれで、同じ形をとりながらも別の目的だったことを忘れないように。 465 :世界@名無史さん:04/06/04 18 49 ネルチンスク条約でロシア~清が対等な立場で臨んだのは何故ですか? 三藩の乱も制圧して怖いもの無しだと思うのですが・・・清の絶頂期ですよね 欧州が中国と同格と認識されてたのですか?それともロシアが威圧したのですか 康熙帝がその辺の”格”にこだわらなかったのでしょうか。 条約により、中国はアルバジンの土地を中国領と確認、ロシアは交易の実益を得た。当時ジュンガル地方のガルダンと清は抗争中でロシアと連携するのを恐れる弱みがあった。中国向けの文面は朝貢体制をにおわしていた。 04/02/25 23 33 「清末売春事情」 時代としては咸豐からということで、場所は黄河流域を代表する北京、長江流域を代表する上海、珠江流域を代表する廣州、この3都会について変遷を記述することにします。 わが文化二年に刊行された岡田玉山編「唐土名勝圖會」には嘉慶年代の北京城内の青楼の景観が描かれていますが、東城の燈市口の一帯のことだそうです。清末のジャーナリストとして知られている王韜の「燕京評春録」によると、北京の遊郭は咸豐・同治時代は多くは城外に在ったのが、光緒の初年に西城内の磚塔胡同(俗に口袋底と呼ばれている)に移ったということです。民國の之誠著「骨董瑣記」に「塔西雑記」を引いて磚塔胡同・城隍庵・銭串胡同・大院胡同・三道柵欄・小院胡同・玉帯胡同などの色街が複雑に連接していると記述しています。ごぞんじかもしれませんが「胡同」というのは北京に特有の横丁というか路地です。そういう裏町みたいなとこに娼家が数十戸ひしめいているわけです。経営者は当初は北京または近郊の出身者だったのが清末には天津人が大半になっていたようです。こうした娼家の大店のうち雙喜・天喜・天順などは自己資金で地所を買い求めた者であるが、それ以外は殆どが賃借であるとも書かれています。こうした店は光緒初年は皇族や官僚で賑わっていたのが、後にお上から城外に追い出され光緒末年には殆ど民居になってしまっていたようです。 清代の野史の中でも最も知られている「清稗類鈔」には「道光以前は京師にては最も像姑(かげま、ニューハーフ)を重んじ、絶えて妓寮少なし、金魚池等の處は輿隷(江戸で言えば中間や人足)の群集の地のみ、咸豐時には妓風大いに熾んにして、臙脂・石頭の胡同は家ごと紗燈を懸け、門には紅帖を掲ぐ、毎ねに午を過ぐれば香車絡繹として、遊客は雲の如し、酒を呼び客を送る聲は夜を徹し耳を震はす、士大夫は相習ひて風を成し、恬として怪と為さず、身は敗れ名は裂け、且つ此れに因りて官を褫(うば)はるる者あり」と語っています。 あやめ : 01/10/29 16 01 「清末廣東売春事情」 廣東では咸豐・同治から光緒中葉まで穀埠での色町の繁盛は変りませんでしたが、光緒三十一年に廣東総督は海岸に長堤を築いてしまい、穀埠・迎珠・合昌・水鬼トウ(乙の尾の延びた上に水を乗っけた不思議な字、水溜りという意味、廣東語の表記のためだけに出来てる文字です)にあった大小の花舫は一切をあげて珠江の下流に移されました。デルタにくっついていて「大沙頭」と呼ばれることとなりましたが、それから5年間は昔と変らぬ繁盛が続きました。光緒三十三年冬から「天趣報」という新聞が「花榜」(人気ランキング投票)で金を集めるといったことも始まりました。 翌年の七月に台風が襲来し大沙頭に上陸しました。「花舫」すなわち廣東独特の船上娼家は大半が破壊され、娼妓は全て陳塘に籍を移動しました。その後に花舫が大沙頭に帰ったのは6割弱に止まりました。宣統元年正月には財記という店の船が大火を起こし瞬く間に隣接する舟に次々と広がり、大小数百の舟が一度に灰となり、運良く免れたのは2-3割しか残りませんでした。この事件から穀埠艇の名は歴史上のものとなり、代って陳塘と東堤の全盛時代となりました。 : あやめ : 01/11/15 19 59 陳塘は光緒年間から盛んになってきた地帯で、大巷口・新填地・陳塘南・隆吉里に分れており、クリークで仕切られているので妓女は小舟で往来していました。陳塘の遊客は大体は商人でした。光緒三十一年からは「嶺南第一楼」などの大酒楼が建ちあがり、それまでこの辺の酒局は花代5銭くらいであったのが1元を加え、従前の穀埠・迎珠並になりました。前回に書いたように三十四年の大風災で大沙頭の娼妓が悉く陳塘に移動してきて、人が犇く状態になったのを心配した陳塘の女郎屋の主人(亀公)たちは大籬(大寨)を建築し、その数は35軒に上り抱える娼妓も凡そ2千余人にもなりました。前回に述べた宣統元年の大火にも辛亥革命の際の東堤の駐兵といった事態にも、陳塘の全盛は全く影響を受けませんでした。ところが間もなく廣東都督の陳炯明が禁娼令を出したので、陳塘は荒廃し2年後に龍済光に代って娼妓も古巣に戻りはしましたが、もはや過去の繁華を取戻すことはできませんでした。 続きます 地名が現代のどこに相当するのか地図を見ても分らないのが残念、大沙頭だけは現在も同じなので多分その近辺と対岸一帯じゃないかとは想像するんだけど。 あやめ : 01/11/24 15 27 陳塘とともに宣統年間から繁栄に赴くようになったのが東堤です。宣統二年に廣州の長堤が竣工すると亀公(女郎屋の主人)は資本家や地方役人の協力を得て、東濠橋の傍らに4層建てで底地面積16間の洋式高楼2軒を建て、また橋脚地に「廣舞台」と呼ぶ戯台(芝居小屋)を設け、その後ろの空き地を馬路(大通り)にして商店街と「東園」という公園を造りました。その上で金花巷や清源里など城内の妓院をすっかり東堤の後面にある沙地に移しました。更に大沙頭に浮かぶ妓艇も引き上げて陸地に開業させました。かくて東堤の妓院は12軒に上り南岸の天香・綺翠の両院と併せ14院に妓女千余名を抱え、宣統二・三両年は陳塘と東西の張り合って全盛を現出しました。 ところが間もなく辛亥革命が勃発し民軍が廣州に入城し、武装した兵隊に占拠された色街の女たちは逃げ出して四散してしまい、その上また前回にも述べたとおり陳都督が売春を禁止したため東堤は忽ち寂れてしまい、娼妓たちはまた陸地から妓艇に戻ってしまいました。これまで花街の地域的変遷を中心に記述してきましたが、次回は少し立ち入って売春稼業について書きます。 あやめ : 01/12/08 19 31 アヘン戦争とか義和団事件とか中国は沢山賠償金を払ってますが、大学設立援助とか、鉄道建設とか中国に再還流しているものも多いようです。 あれは列強が善意でやっているんでしょうか?したたかな中国が条件つけて返還してるのでしょうか? 帝国主義の意味について、ちょっと詳しい本を読んでみましょう。そうすると理由が分かります。 ものすごくはしょって言うと~ 帝国主義の目的って言うのは植民地を支配し、住民を奴隷のように働かせることではありません。原材料を輸出し、肥大化した自国の工業生産物を消費してくれる「市場」を必要としていたのです。 ところが、文化も生活様式も違う他大陸の住民にヨーロッパの生活スタイルに合わせて生産された工業製品に対する需要があるわけありません。ではどうするか…自分たちが支配し、生活スタイルをヨーロッパスタイルにすればいいのです。そこから植民地主義が始まりました。 さて、問題の中国ですが、あの国は当時から巨大な人口を持ち、潜在的市場価値が極めて高かったのです。そこで、当時の清政府に対し、市場を開放し、自国の商品を輸入するように働きかけましたがあえなく拒否されます。そこで、武力に訴えて市場を開放させようとしました(阿片戦争、アロー戦争等です)。 これらの戦争により、清国の市場は開放された訳ですが、それだけでは魅力的な市場とは言えません。そこで、鉄道等のインフラを整備して社会資本を増し、大学設立等を援助して、大きな市場に育てようとしていたのです。 なんか抜けの多い説明でしたけど、理解できましたでしょうか? ちなみに同じ帝国主義といわれておりますが、ロシアと日本についてはこの原理では説明できません。個々に理由はあるのですが、そのあたりは本当に詳しい識者にお任せします。 蛇足 現在の日本のODAは、形を変えた穏健な帝国主義の表れであるとする学者もいますし、グローバリズムは「微笑む帝国主義」とも呼ばれますね。結局のところ、手段は変われども国家の意思決定の方法は、未だに余り変わっていないのかもしれません。 :03/08/06 20 31 帝国主義が儲かっていたかを検討すると、時代が下りヨーロッパが豊かになるにつれ、儲からないという結論が出てくる。豊かな国が貧乏な国から略奪しようとすると、コストの方が超過してしまうのだ。 ただそれは、国民経済全体についてプラスにならないということであって、「関係者」は莫大な利益を得る。本国では相手にされないようないい加減なやり方が通用するから。 その辺は現代でも同じで、植林せずに木を切ったり、公害で周辺住民を苦しめたりして、その結果安い物を輸入できても、日本経済には何のプラスにもならない。むしろ逆だろ。しかし不良企業には凄い儲けになる。その黒い利権に政治がくっつけば、帝国主義ができあがる。アジアのことは私は知らないが、中南米での米系企業と米国外交のやり口はそりゃ酷いものだ。 ODAにもインフラ整備にもいいものはたくさんあるが、その金は国民の税金であって、「関係者」が払っているわけではないからね。 610 :世界@名無史さん:03/08/06 22 58 610 それは政治学用語や歴史用語で言うところの「帝国主義」じゃ無いですよ(汗 しかし不良企業には 凄い儲けになる。その黒い利権に政治がくっつけば、帝国主義ができあがる。 こう言うのは、ただの収奪経済です。まあ、戦後のデモとかで騒がれている「アメリカ帝国主義」というのはそういう事実を指すんですけどね。 :03/08/06 23 16 北清事変で列強を憎悪する義和団はともかく、絶対勝てるわけないとわかってるのにどうして西太后まで列強に宣戦布告したのですか? 映画「北京の55日」(ふ、古い!)では、脅迫されてではなく、双方の進言を聞いて義和団と組んで排外主義を選択したことになってます。 というか、当時、戊戌変法で光緒帝を幽閉していたんだから、基本的に排外主義が政策の基本になってたんで、義和団が武力で北京を占拠している状態での列強への宣戦布告というのはそれほど不思議な状況ではないよ。 02/05/27 22 38 現に義和団を鎮圧できない状況の下で、列強に依頼して義和団を鎮圧してもらって、征服王朝としての命脈を終わるか、扶清滅洋をスローガンにする反乱軍を味方にして、一戦交えるかの択一だったってこと。 :02/05/27 23 59 義和団事変について質問です。 出兵した8カ国の中にオーストリアやイタリアが含まれてますが、この国々も中国に権益があったんでしょうか。 また、北京議定書のとき、ベルギー・オランダ・スペインが加わってるんですが、なんでですか。 外国にいる自国民が襲撃されたのに保護されないとき、自国民保護のために出兵するのは当時(現在も?)としては常識です。事件終結後、賠償を要求するのもこれまた当然。 04/09/22 23 11 26 オーストリアはドイツと共に青島に権益を持ち、イタリアも上海などの共同租界に権益を持っています。 ちなみに、第一次大戦の日本軍による青島攻撃では、オーストリア・ハンガリー二重帝国海軍の巡洋艦が最後まで抗戦していますし、第二次大戦まで、イタリアは軍艦を中国に駐留させており、あまつさえ河川用砲艦を保有していました。 また、ベルギー、オーストリアなどは宣教師による布教活動の自由を清朝に認めさせていますし、鉄道敷設権も有していたはずです。 04/09/22 23 30 45 映画のラストエンペラー観たんですが、西太后が崩御したときに、口に突っ込まれた黒真珠は何でしょうか? 何の意味があるのでしょうか? 腐敗防止の為に「玉」を含ませたのでは?我が国でも古代には行なわれた様です。『東方見聞録』にジパングの習慣として真珠を死者の口に入れると書かれているのも、これに関係したものでしょう。 当時の我が国にはそんな習慣は無く、真珠の価値も認められていませんでした。 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/09/24 23 25 32 李鴻章の北洋艦隊の戦力は日本海軍よりもまさっていたのですか? 軍事力の比較は難しいです。ただ軍艦の数字上の性能なら北洋艦隊が勝っていました。 ところが、訓練はほとんど出来ていなかったようですし、そもそも北洋艦隊自体が、李鴻章の私兵的存在で南洋艦隊等との協力があるませんでした。 士官たちも、海軍の知識に怪しく、軍事顧問団のドイツ人が実質指揮しているようなものでしたので、日本海軍に負けたのも無理はないといった感じです。 02/03/02 17 45 結果が解ってしまっている現在から見ると、比較は難しいということになりますが、開戦前の艦隊戦闘力の比較であれば、定遠と鎮遠の2隻の30センチ砲装備の戦艦を保有していた北洋艦隊が優勢と考えられていました。 日本海軍にはこの2艦に対抗できる艦が存在せず、最大の扶桑も両艦の半分の排水量で、無理に30センチ砲を搭載した三景艦も、単なる気休め程度で、実際には船体に対して砲が強力すぎて実用にはならない状況でした。ただ、訓練不足と兵員の質が低いために、訓練度に勝る日本海軍が小口径の速射砲によって戦闘力を奪い、圧倒したという結果になりました。 しかし、艦隊決戦では定遠と鎮遠を沈めることはできず、水雷艇の夜襲でやっと定遠を撃沈しています。日清戦争全体の帰趨からすれば、黄海の制海権を確保した段階で、日本海軍の勝利ということですが、単純に北洋海軍より日本海軍が強かったとは言いにくいですね。 02/03/02 22 45 いつになったら『清史』は編纂されるのでしょうか? 『清史』は台湾の中華書局から出版されています。 :02/11/25 06 51 日清戦争に勝利した日本は下関講和条約で領土の割譲と賠償金を得ましたが、三国干渉によって遼東半島を返還させられました。このとき、日清間で改めて講和条約を改正したのでしょうか。それとも条約上はそのままだったのでしょうか。 日清間での賠償と領土割譲については下関条約で完結している。 受け取った遼東半島を日本が返還したのは、あくまでも日本独自の事情によるもので、下関条約に何ら影響を及ぼさない。従って、講和条約の改正は行なっていない。 04/02/09 22 18 袁世凱の家族って袁世凱の死後皆殺しにされたって本当? 殺されていない。 袁世凱には妻一人、妾9人。 男子17人の子供、女子は不明。 長男克定。一男二女。生存。 次男克文。 03/04/16 01 09 辛亥革命のとき欧米列強はなんで、やり易い清につかなかったの? 1911.10~1912.2の時点では孫文らはまだ反乱勢力だろ。それに、各省が反旗を翻しても、欧米列強が力を与えれば、簡単に鎮圧できたのに 欧米列強の帝国主義国家にとって、スペインなどの略奪型の植民地政策と異なり、資本進出が目的でしょうから清朝のような旧式体制よりある程度の近代化は欧米にとっても都合がよいでしょう。 :02/11/10 20 15 孫文って結局は勢力を維持するために袁世凱に革命を売り渡した張本人じゃないのですか? 北京,南京とも手づまり状況のもとで孫・袁間に電報談判が行われ,清国皇帝の退位と袁世凱の共和制賛成を条件に,孫文は大総統位を袁世凱に譲ることにした。2月12日,皇帝退位の上諭が発せられ,秦の始皇帝以来の王朝支配の終焉をみた。孫文は袁世凱に位をひきつぐまえに民主的な臨時約法(軍政から憲政にいたる過渡期の最高法規。憲法と考えてよい)を作りあげた。立法機関(臨時参議院)は人権を確立し,民主を擁護するための多くの法律を制定した。4月初め,孫文は辞職し,南京の諸機関はみな北京へと移り,新しい共和国は袁世凱のもとに統一された。 革命の成果として誕生した民国では,人々は自由を享受し,未来への希望にもえていた。政党の乱立,新聞の族生はその社会的現象であり,辮髪の剪截,纏足(てんそく)の解放はその個人的表現だった。武昌蜂起1周年に際し,北京では天壇が一般開放されたが,これほど帝国から民国への移行を実感させることはなかったろう。孫文は袁世凱と協定を行い,政治を袁世凱にまかせて,自分は10万kmの大鉄道網の建設に当たることにしたほどであった。 しかし,北洋軍閥の頭目と革命家が現実に歩調を合わせて前進することはできなかった。12年暮れから翌年初めにかけて中国最初の国会選挙が行われ,袁世凱の与党が敗北した。勝利した国民党は中国同盟会を母体としたものだったが,反袁というわけではなく,責任内閣制のもとで民国を運営していこうと考えていたにすぎない。しかし袁世凱はそれも独裁への障害であるとし,3月,国民党の中心人物である宋教仁を暗殺した。 孫文はこの段階で反袁武装闘争の必要を認識したが,黄興をはじめ多くは法律による解決を主張した。その間に袁世凱は国会の権限を踏みにじってイギリス,ドイツ,フランス,ロシア,日本の5国銀行団から2500万ポンドにもおよぶ善後借款を結び態勢をととのえた。列強は革命の勢いの強いあいだは中立を装っていたが,今や公然と北洋軍閥を清朝にかわる中国での代理人に仕立てあげることにしたのである。7月,追いつめられた国民党側は九江,南京等で蜂起したが,いずれも簡単に袁世凱の手でねじふせられた。いわゆる第二革命の敗北である。武昌蜂起から1年有半,革命派は政権を握りながら国民の期待にほとんど応えられなかったことにより,孤立状態で蜂起したのである。たしかに彼らは,前も今も反動的独裁者に対して闘争をしかけたのだが,前に彼らを支持した諸勢力は,いまやほとんど背を向けてしまったのだから,その敗北も必然だったわけである。 辛亥革命は民国を作りだし,民国は袁世凱に献げられたかのようにもみえたが,それは同時につぎの跳躍のための屈膝でもあった。 03/04/16 11 09 清廉で真面目すぎる人間が政権とると、周囲の政治家や国民にも自分と同様の清廉さや真面目さを求めてしまい、けっきょくろくなことにならない、という典型。 日本では松平定信なんかがこのタイプ。 03/04/16 13 34 でも結局このときの決断が結果として、国民党を誤解させ、革命理念を踏みにじられ、日本の侵略を許し、支配者が清から袁ら軍閥にかわっただけじゃん 急ぎすぎてあせった結果がのちの40年におよぶ泥沼の内戦に続いたんじゃないの? 03/04/16 20 06 この決断がなければ、清皇帝は退位しなかったんじゃないかな。やむをえなかったと思うが。侵略は列強・日本に責任ありだし、内乱は北伐で統一されるはずだったのでは。何かあの時の対案は何かありますか? 03/04/16 22 40 袁世凱の野望を見抜けたなかったあるいは信じていた孫文が痛い 。彼は立憲元首で名誉職にしようとするつもりみたいだったけど 。だいたい孫文は袁世凱の事知ってたのか? 日清戦争、戊戌政変、清末の袁世凱を観察していれば十分に予想できたこと 。双十事変が予想外な事で急な決断を迫られたとはいえはっきり言って極めて下手糞ななやり方だったと思う 03/04/18 00 29 現代中国で孫文はどういう扱いになっているのでしょうか?孫文を評価するということは台湾政府の正当性を認めることになりそうだしかといって毛沢東も孫文の下で働いてたこともあり・・・ 中共にとっても、「国父」です。 孫文を評価するということは 台湾政府の正当性を認めることになりそうだし それは違います。 孫文は「連ソ・容共・扶助工農」を掲げて共産党と合作しました。台湾政府を樹立した蒋介石は、孫文と革命への裏切り者という評価ですので、孫文を「国父」あるいは「革命の父」と尊崇することに矛盾はありません。 :02/07/31 17 51 洪秀全の最後を教えてください。資料集だと自殺、別の本には病死と書いてあるし・・。一体どっちが正しいのでしょうか? 高島俊男の本によれば、自殺説と病死説、どっちもそれなりに正しいとのこと。 もともと洪秀全は科挙に4回だか5回だか連続して落第した時に高熱を出して寝込んで以来ちょっと頭がおかしかったらしい(というかその寝込んでいる間に夢の中でキリストに会ったと言って教団を作った)。 で、死の直前、官軍に包囲されて食料が残り少なくなり、側近に対策を尋ねられた洪秀全は「甘露(雑草)を食え」と指示したそうな。 当然部下はみんな拒否したんだけど、洪秀全はそれに怒って「よし、誰も食わないなら俺が見本を見せてやる」と言ってそれ以来雑草しか食べなくなり、結果栄養失調が原因で死んでしまったとさ。 : 03/02/28 17 23 中国内戦っていうのは米ソの代理戦争じゃないよね? でも、共産党はソ連が援助したってのは聞いたことがあるんだが… うん。良い質問だね。 戦前、戦中の共産党はソ連共産党が指導するコミンテルンのもとに統制されていたんだな。つまり、各国の共産党はコミンテルンの指導のもとに、実際にはソ連共産党の都合で行動させられていた。理論的には「労働者の祖国、ソ連邦を防衛することは、世界の共産主義者にとって急務」だということで、各国の共産主義活動や共産主義革命よりも、ソ連という唯一の共産党支配の下にある国家を日本やドイツから防衛することを優先させたんだ。このために、コミンテルン時代の各国共産党の行動はかなり解り難くなっている。 中国について言えば、スターリンは中国の共産主義革命よりも、当時は極東地域で軍事的に大きな力を持っていた日本を牽制してくれる勢力に期待し、これを支援することを原則としていた。具体的には毛沢東の共産党よりも蒋介石の国民党のほうに肩入れしていたんだ。そして、中国共産党に対しては、国民党と合作して日本と戦うように「抗日」連合工作を第一の目標として活動するように指示していた。だから、少なくとも日本が敗北するまでの間はソ連と中国国民党の関係は緊密だったんだ。蒋介石の息子で後継者でもある蒋経国はソ連で教育を受けているくらいだな。 日本が敗北した後は、毛沢東に対する支援も強化されてはいるが、国民党とただちに絶縁したわけではなく、毛沢東の優位が明確になるまで、ソ連の立場は微妙だった。だから、単純に国民党のバックがアメリカで共産党のバックがソ連の代理戦争というには、実態はもっと複雑だったということ。 : 03/01/08 21 27 蒋介石ってなんであんなに比較的簡単に北伐を成功できたの? 北伐も細かくみるとかなりの激戦もあったようですが、成功の一番の理由は、黄埔軍学校による系統的な軍事教育による北伐軍は、単なる賃金かせぎの兵の集団より強かった。広州資本の積極的な資金援助もありました。 :02/11/10 20 15 南京国民政府時代、北京はどういう存在だったのですか? 盧溝橋事件は誰が発砲したかは問題じゃなく、北京近くで起こったことが問題であるとよく言われますが… 辛亥革命、袁世凱の死後、北京にも南京にも中華民国が出来たので首都が二つできてしまった。1928年6月15日北伐完了。そこで蒋介石は、北京という言葉は北の首都という意味なので北京を北平と呼び名を変えた。また北京のある省の直隷省をこれも中心のニュアンスがあるので、河北省に変えて南京政府が正式だということを強調した。 03/04/25 23 50 岩波新書128 山本市朗著「北京三十五年、上下」はどうですか? もう少し前は、ピエール・ロチ著「北京最後の日」東海大学出版会 盧溝橋事件の本は山のようにある。 03/04/26 09 28 上海の租界に「犬と中国人は入るべからず」という看板があったのは本当? 黄浦公園(Public Garden)における「犬と支那人は入るべからず」なる表札の有無の問題だが、確かに、こういう表札があった、と言うこと自体は、いわゆる都市伝説の類だったらしい。だがこの話は以下の点で単なるネタとして片づけるわけにはいかない要素がある。即ち、 (1)この伝説は決して日本だけに存在したものではなく世界的普遍性のあるものだったこと (2)さらに現実においても、これに準ずる規則が存在したことは事実だったこと (3)ただその規則による公園への入園制限は、より広範囲の存在に対し適用されたのであり 「犬と支那人」だけが閉め出されたのではなかった、といった点においてである。 この事情について Leo Ou-fan Lee は SHANGHAI MODERN The Flowering of a New Urban Culture in China, 1930-1945 Harvard UP 1999 において以下のように述べている。 A humiliating reminder of the Western imperialist presence was, of course, the notorious sign of exclusion that reportedly hung at the gate of the Public Garden in the International Settlement No Chinese or Dogs Allowed. The real sign, though no less humiliating to the Chinese, did not exactly read this way. It was a bulletin listing five regulations first decreed in 1916. The first regulation reserved parks for the use of foreign residents. The second stipulated that dogs and bicycles are not admitted, and was followed by the third Chinese are not admitted except in the case of native servants accompanying their white employers. The fourth and fifth regulations excluded Indians (except for those in dignified attire) and Japanese (except for those wearing Western clothing).(p.29) つまりこの規則は原則として人間は白人オンリー、自転車や犬もだめ、ということであり日本人すら洋服を着ていなければ入ることは出来なかったし、逆に中国人であっても、召使いとして主人と一緒になら入れた。確かに人種差別的ではあり特に中国人には屈辱的だったろうが、それでも元ネタの「犬と支那人は入るべからず」とはニュアンスが異なることは認めなくてはならない。即ち「犬」は「自転車」と対で入園禁止なのであり、別に中国人を犬並みの存在と見なし、かつ扱った訳ではなかったのである。なお、この規則は1927に蒋介石派が上海の実権を掌握したとき廃棄されたという。 :Krt:03/12/11 21 46 毛宅東って大躍進政策とか失敗してめっちゃ人民死なせまくったんですよね?なのになんで中国のお札になるほど偉大に扱われてるんですか? 北朝鮮みたいに『毛沢東将軍マンセー!』とか言わないんですか? 言うなら『毛主席ワンスイ!』 文革中は「人民の赤い太陽」のような美称が使われていた。 04/02/12 13 39 とにかく創業の君主は中国では偉く、神に等しい。 漢の創業:劉邦 唐の創業:李淵~李世民 宋の創業:趙匡胤 明の創業:朱元璋 清の創業:ヌルハチ 中華人民共和国の創業:毛沢東 04/02/12 14 27 日本は日中戦争などなどで中国でいろいろやっちゃって中国に損害を与えたのに、国交回復したときに中国が賠償金を求めなかったのはどうしてですか?? 日本が戦っていた時期の中国の正統政府は中華民国。終戦時もそう。共産中国は賠償請求できる正統政府でないことが中心根拠だが、蒋介石がいらないと言ったものを中共のほうが要求するのは面子のてんでも言えなかった。 :02/12/03 18 28 賠償艦というものはあったりする 04/06/16 12 27 そうそう、「雪風」他、駆逐艦ばかり7隻。 でも彼女らは中華民国(つーか台湾)海軍の主力として大切にされてねぇ、そこがなんだか嬉しいのですよ。他の国に持ってかれた艦の運命が、標的艦とか解体とか悲惨なのばっかりなんでね。 04/06/16 13 57 日本には支那に対して『ODA払ってやってるんだからよー』みたいな態度を取るの人が多いですが、支那事変の際の賠償金なしを考慮すれば、ODAの名のもとで、使い道はともかくそれ相当の金額を支那に与えるのは当然っちゃ当然じゃないか。って思うんですが、どうなんでしょう? 青木の実況中継には支那の損害額は今の日本円で1000兆円って書いてあったし… 共産党は日本の対外資産をそっくり接収した。 特に満州には日本が最新の工業設備をごっそり置いていってて、国交化正常交渉の時に毛沢東が「満州で十分すぎるほどもらったから賠償はいりませんよ」って日本の外交官に言ったと言う話が残っているぐらいウハウハだったらしい。 向こうは賠償権放棄してるんだから、こっちから自発的に出すこともないんでないかなあ?ODAは中国の外交&対日政策が上手だからいいように金を引き出されてるだけで、「払ってやってるもん」じゃなくて「手玉に取られて払わされてるもん」だから、ODAを出してるから日本の方が立場的に上って訳じゃないんだけどね。 04/08/30 03 29 それとヴェルサイユの教訓から、相手の経済が破綻しかねない額の戦後賠償は取らないってのが国際社会では一般的になってるんで、仮に「日本は中国に1000兆円賠償しろ」って条約が結ばれそうになったら、よそからブーイングくらいまくると思う。 04/08/30 03 35 なんで中国はチベットの独立を認めないんですか? 認めてしまうと中華地域を除く周辺部が全て分離独立してしまうから。 特に新彊ウィグル自治区、貴州省、青海省といった奥地は中国にとっても一種の植民地の扱いであり、チベットだけを特別扱いする訳にはいかない。 ちなみに、新彊ウィグル自治区は東トルキスタン共和国として一時独立してたりする。 :03/11/26 22 29 中華圏ではなぜ奴隷制が発達しなかったの? 西方の奴隷制度の発達というのは、どの時代を想定しているのかな。ギリシャ・ローマの古代奴隷制度なら、対応する時代は周代の奴隷制度だろう。 西欧の古典時代ほどは都市国家間の戦争や征服戦争が多くなかったために、量的には少なめだろうが、制度的にはほぼ等値だと思う。 近代の植民地プランテーションの労働力としての奴隷制度であれば、対応する制度は東アジアには存在しない。 中世から近世の農奴を中心とする奴隷制度だと、ちょっと複雑になるな。中国そのものでは、後漢の時代に奴隷解放が行われて、その後は実質的な農奴制は存在しても制度としての奴隷制はなかったことになる。 ただ、中華圏というのが周辺国を含むのであれば、朝鮮は奴婢という戸籍制度を持っていて、19世紀中頃でも人口の30%は奴隷だった。 02/03/03 12 43 日本史を知るにあたって中国資料が重要な位置を占めることがありますが逆に中国史を知るにあたって日本側の資料はどのような位置づけなのでしょうか? 中国史で引用される有名な日本側史料に『韃靼漂流記』があります。 越前の船乗りたちが満洲へ漂着した時の記録で、当時の満州族の風習を伝えており資料価値の高いものだとされて居ます。平凡社東洋文庫で手軽に読めます。 :おぎまる ◆JJi5gOTcvk :04/09/04 22 32
https://w.atwiki.jp/china888/pages/16.html
中国生活をするにあたって 更新日:2009-09-17 01 50 20 (Thu) 中国で生活するにあたっていくつか注意事項があります。居住・長短期滞在における日本および中国での必要な手続きなどまとめています。 【15日以内の短期滞在の場合】 日本国籍者で、普通パスポートを持ち、商用、観光、親族訪問、トランジットの目的で入国する場合、入国日から15日以内であれば、ビザは不要。 【旅行や出張などの短期滞在の場合】 短期間の滞在でも「臨時宿泊登記表」の手続きを行う必要があります。 (以下、在中日本国大使館の領事情報ページより抜粋) 中国の「外国人入境出境管理法」及び「実施細則」によれば、外国人の長期滞在者は「外国人居留許可」を取得しなければなりませんが、旅行や出張などの短期滞在者も「臨時宿泊登記表」を提出しなければなりません。 外国人が宿泊することを認められたホテルに宿泊する場合は、宿泊登記の際に必要事項を記入すれば、ホテルから公安当局に提出されますが、友人宅や会社社宅などに宿泊する場合には管轄する派出所に到着後24時間以内(農村などでは72時間以内)に届けなければならない規定があります。 届出がない場合には最高500人民元の罰金が科せられる規定があります。また、届出が長期にわたって行われていない場合には、滞在期間の短縮が科せられたケ-スもあります。 15日を超える滞在の場合は、ビザを取得する必要があります。 【中国に長期(3ヶ月以上)滞在する場合】 在中日本国大使館へ「在留届の提出」義務があります。ネットでも申請できます。 詳しくは、在中日本国大使館の領事情報ページで確認してください。 「臨時宿泊登記表」または「外国人居留証」の手続きが必要となります。 【パスポートを紛失した場合】 パスポートを紛失した場合は手続きが大変煩雑です。パスポート及びビザのコピーは数枚取っておくことをオススメします。 詳しくは、在中日本国大使館の領事情報ページで確認してください。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/3100.html
※mono....支那が正しいが、一般に流布している中国を便宜上使用しています。 【 サイト内で『中国』タグ検索 】 反日 / 中国人 / 中国共産党 / アジア / 中国の外交 / 中越関係 / 日中関係 / 中韓関係 / 米中関係 / 英中関係 / 中朝関係 / 中露関係 / 欧中関係 / 独中関係 / 香港 / 台中関係 / チベット / マカオ / チャイナリスク / 支那 / ハッカ(客家) / 中国の宗教 / 中国の言論・表現・芸術・サブカル / 中国の科学・技術 / 中国の歴史 / 中国の歴史修正 / 中国の文化 / 中国の教育 / 中国の政情 / 中国の民族抑圧 / 中国の衰退 / 中国の疾病 新疆ウイグル自治区 / 全国人民代表大会 / 中国製ヘアゴム / 山峡ダム ーーー 北京 / 上海 / 深圳(深セン) / 重慶 / 武漢 / 温州 / 西安 ーーー + 以下当サイト内関連ページリンク表 中国の世界戦略 / 中国の世界覇権 / 一帯一路 日中戦争はあるか / 日中戦争 / 米中戦争 / 対中国戦争 中国経済 / 中国経済危機 / 中国の政治 / 中国の政局 / 中国の社会 / 中国包囲網 / 親中派 中国の産業 / 在中日系企業 / 中国の外資系企業 尖閣諸島問題 中国の軍事 / 中国人民解放軍 / 孫子 / 中国人の残虐性 / 中国>拷問 / 中国の治安 / 中国人移民 習近平 新パスポート〔中国〕 / 中国崩壊 / 中国分裂 / 「南方周末」事件 中国の環境問題 / 中国の大気汚染 / 中国の食糧 / 中国の食品 / 黒核子 / 中国の若者 天安門自動車突入事件 / 中国の従軍慰安婦 / 昆明殺傷事件 六四天安門事件 黄河決壊事件 / 長江の客船転覆 中国抗日戦勝軍事パレード 国防動員法 ーーー 青幇 ーーー 中国共産党第18回党大会 ● 妙佛 DEEP MAX ※ 中国に関する様々な情報を硬軟取り混ぜて紹介しています ※ blanklink プラグインエラー URLかページ名を入力してください。{https //chkai.info/] ● 酒本正夫@SakemotoMasao ※ 中国の今をポストしている。 ■ 06-16 人民に激震!吉林省で新たな預金引き出し規制 2024/06/16 ■ 【ゆっくり解説】中国総人口14億人がデタラメだった…!まさかのデータで真実が発覚…長年の嘘がバレて習近平絶句。 ゆっくり防衛チャンネル 2024/04/20 #ゆっくり解説 #海外の反応 #自衛隊 ご視聴ありがとうございます。 ゆっくり防衛チャンネルです。 中国14億人は真っ赤な嘘だった。 ゆっくりしていってね! ーーー @umiomamoru 塩の消費量から見て、8億人じゃないかって説もある。 オレはウヨでもパヨでもねぇけど、いつまでも「経済大国日本」とか「アジアで最初に先進国になった」とか過去の栄光に囚われてる人は、こうった事を 認めたくない のだろうな。 知ろうとしない。見ようとしない。 現実から目を背けてるだけだね。 https //t.co/dQExSxCCW0 — VenJotaro(便所太郎)💫 (@vevevevenjo420) June 9, 2024 日本人が🏺田報道規制で目隠しされてる世界。隣国にはこんな300m超高層ビル群がある都市が11もある。丸の内ビル高さ平均100m。丸の内程度の高層ビルが建ってる都市は100以上。報道の自由ランキング70位。カルト洗脳されまくった洗脳民族日本。pic.twitter.com/H1b4cPVDmd — 酒本正夫 (@SakemotoMasao) June 7, 2024 ※ 上記ポスト返信ツリー ※ 上記ポスト引用ポストツリー (※少し引用👇) 赤と黒@Redline23 激しくウヨウヨと言ってるけど、どうしたのだろうか どこで判断してるんだろう 都市があるのがなんなのかな? 現代ではどの国にも沢山あるでしょうね 自分は都市には住みたくないし興味もないのでなんとも 都市じゃなくても大抵の事はできるしね 他人を攻撃するような人は印象が悪いよなあ か わ う そ 🎃@kawauso28064433 たしかにすごい街並みだし東京より栄えてるのかもしれないけど、それに「カルト洗脳」とか「ネトウヨは知らない」とか言って何になるのよ。 逆に「日本の方が!」とかムキになってる人もよくわからん。 実際中国の技術は恩恵を受けてる部分もあるわけだし、そんなことで勝ち負けとか気にする必要ない 風のように@pupu4to11 知人が新型コロナ始まった時も中国へ単身赴任で行っていて。大丈夫なの?と心配したけど、3年間暮らした知人は、素晴らしいと絶賛していた。 井の中の蛙の私は、???と本当なのだろうか?と疑った。 テレビでの報道が頼りの日本。嘘ばかりの報道に心配でならない。 Y.T@YTwildsnow 日本人って世界のこと何も知らないんだよね テレビで言ってることしか信じない だから、日本人を誘導するのはとても簡単 コロナのおかげでよーく分かったけどね😅 高田のBBA@BBA43075562 ビルがどれだけ高くてもコロナウイルス生み出すくらい衛生観念が低いし他所の国の神社に小便撒き散らす民度の低い連中のいる国に住みたいとは思わんだろw 悪玉菌@7_kt6 果たして高層ビルをいくつも建てることがどれほど大切なことか。それに武漢の街並みが高層ビルで立ち並んでるのはコロナの頃に見たけどね。それに報道の自由ランキングでは中国は179位ね。全体的に言ってることが中身もなにもない。 誰も洗脳なんてしようとしてないのに勝手にあなたが洗脳されてるだけ しらい ゆうき @ak0htReuRg8cpmg · 19時間 虚栄心で無計画に超高層ビルを建てまくったと言うだけのアホな事例をわざわざ報道の自由がない日本に広めてくれてありがとうございます 日本は和を以て貴しと為す国なので必要も無い超高層ビルをアホみたいに乱立しないのです https //bbc.com/japanese/59072742 総集編「みんな中国とはサヨナラしたいんです」日本を見下す中国人たちが海外番組で論破された状況【海外の反応】 JOJP 「BBC(2021年10月28日)」 中国、「超高層ビル」の建設を規制 高さ250メートル超は禁止に 【滅亡する中国】大学卒業生が史上最悪の就職難に直面 深い絶望感を表現した「死亡卒業写真」を次々とSNSに投稿 | RAPT理論+α ジャック・アタリ 中国は持っても2024年まで ヨハネの黙示録 バビロンは倒れた https //t.co/uAPtVitFE3 — 人類の敵、目玉カルト粉砕 (@someone5963) July 2, 2023 【動画あり】中国、感染拡大が続く中、大規模な検疫キャンプを建設/ネットではまるで強制収◯所の声も | Total News World https //t.co/rS3K1KJjR4 — 人類の敵、目玉カルト粉砕 (@someone5963) January 11, 2022 ★ 【動画あり】中国、感染拡大が続く中、大規模な検疫キャンプを建設/ネットではまるで強制収◯所の声も 「Tortal News( 2022/1/12)」より / 中国、感染拡大が続く中、4,000人分の大規模なコヴィッド19検疫キャンプを建設 (CNN)中国は今月、数千万人が厳重に隔離されたコビドの発生を受け、4000人以上を収容できる大規模な検疫キャンプの建設を急いでいる。 検疫キャンプは、国の首都北京を囲む河北省の省都、石家荘の郊外に位置している。 突然の感染者の増加は当局を憂慮させ、旧正月(同県で最も重要な年中行事で、この期間中に何億人もの人々が家族を訪ねて旅行することが予想される)を前に懸念を抱かせている。 この新しい検疫キャンプには、Covid-19の感染が確認された患者の近親者が収容され、当局は大規模な接触者追跡と検査プログラムを継続する。当初は3,000人を収容する予定だったが、その後4,160人にまで拡張された。 CCTVによると、プレハブの各部屋は18平方メートル(約10畳)の大きさで、バスルームとシャワー、机、椅子、ベッド、Wi-Fi、テレビが完備される予定だという。 【中国共産党】 / 【対中国】 ■ 【現中国は国ではなく巨大権力を持つマフィアファミリー】中共「非合法組織化」の動き始まる!香港実業家(エルマー・ユエン氏)の戦略をご紹介します 2020/07/12 及川幸久 クワイト・フランクリー (´・ω・`) 5月の大型連休に旅行? 9000万人が国内旅行? 中国も5月1日から大型連休 2020/04/22 中国では、大型連休に9000万人が旅行に出掛けるということです 中国は来月1日から労働節の5連休に入ります この期間中、中国全土で9000万人が国内旅行に出掛ける見込みだということです pic.twitter.com/fXTlX8Cdf7 — 🇯🇵よろず屋 (@yorozya_1) April 22, 2020 ※mono....うーん、とんでもない2020年になったなぁ。 国連警告🚨4,000億のイナゴが中国国境に達する‼️ イナゴの大群はインド ラジャスタン州の食糧を食い尽くし駐留する70万のインド軍を撤退させた❗️この大群が今、中国の国境に迫っています‼️ FAOセメド副局長は『イナゴは圧倒的な力で壊滅的な災害を引き起こす』と警告した‼️ pic.twitter.com/7TWNQu5Dv0 — 布路川梶太 (@P6AX3Er3HqoQynY) February 16, 2020 【中国の対応(2019年の新型コロナウイルス)】 ■ 武漢の新型ウィルスは中国共産党の実験室から漏れた「生物化学兵器」 鳴霞の「月刊中国」 2020/02/09 に公開 北京の警察官200人が隔離? 黒竜江省の女性の悲劇 各地で言論の自由を求める声 (※mono....動画コメントから) Tadayuki Shirono 清和会の親中派・在日メディアは必死で隠し続ける。特アの蛮行が猟奇的であればあるほど。 一方お花畑は、自分の身に降りかからない限り、どんなに非人道的行為が隣国で行われていようがまるで興味がないようだ。それでも、習近平を国賓として招くアレと二階の取巻き。いつの間にか、米のポチから米中のポチへ。己の利得には頗る腰が軽い清和会の面々だ。 / yrs1020sry 日本では東京以外の感染は報道されず、もしコロナで亡くなっても別の病名で処理されますよ。国民の命より、習近平とオリンピック優先だから、報道関係も忖度してクルーズ客船と武漢市しか報道しませんよ。 ■ 中国での生産再開は難しい 「万国時事周覧(2020-02-07 13 29 51)」より / 例年であればとっくに春節の時期は過ぎているはずなのですが、新型コロナウイルス肺炎の蔓延により、中国では、延期に次ぐ延期により春節が明けず、長い冬の眠りに就いているかのようです。中国のみが季節が逆方向に移ろっており、首都北京でさえ人通りが少なく閑散とした光景が広がり、‘世界の工場’も休業状態にあります。 こうした中国における感染病の拡大は、同国のみならず、中国市場に進出した海外企業にも多大なマイナス影響を与えています。日系企業も例外ではなく、報道によりますと、2月下旬頃までには終息に向かうのではないかとする希望的観測はあるものの、同地での生産再開の目途はたっていません。しかしながら、異常事態とも言える今般の感染拡大の状況からしますと、長期的な生産停止の覚悟が必要なようにも思えます(そもそも、中国政府が稼働再開を許可するかどうか分からない…)。 (※mono....中略) / ところが、今般のコロナウイルス肺炎は、多数の人々が空間を共有する閉鎖空間において高い感染率を示しています。仮に、中国において工場の稼働が再開されたとしますと、まさしくこの最も感染リスクの高い状況が発生します。精密機器の製造現場では、ちりやほこりを避けるために頭部からつま先までの全身を作業服で覆って作業しますが、それでも、微小なウイルスの感染まで防げるかどうかは分かりません。また、作業現場にあって感染を防げたとしても、休憩や食事の時間帯では従業員の人々は公共スペースに集まることとなります。況してや、日用品などを製造する一般の製造現場であれば、衛生管理が杜撰な状況下で一日の内の8時間程度を同じメンバーが空間を共にして働くことになるのですから、感染リスクは格段に上がることでしょう。つまり、工場の稼働再開は、春節後の公共交通機関を介した感染リスク以上に、新型コロナウイルスの感染を拡大させる恐れがあるのです。 このように考えますと、中国における製造再開は、当面の間は諦めざるを得ないかもしれません。そしてそれは、中国に進出した海外企業に対して、中国頼りの現状を見直し、如何なる状況下にあってもサプライチェーンの迅速な組み換えを可能とする柔軟なシステムへの転換を促すことでしょう。既に日系企業の多くも東南アジアといった他の諸国への代替生産に切り替えているそうです。あるいは、産業の空洞化に直面している諸国にとりましては、産業を自国に回帰させるチャンスとなるかもしれません。新型コロナウイルスの感染拡大にも拘わらずアメリカでは株価が上昇しており、むしろ、内需を育てるという意味ではプラスの作用をもたらす可能性すらあるのではないかと思うのです。 ■ 中国、「9の付く年」必ず波乱、今年も何かが起る! 「勝又壽良の経済時評(2019-01-14)」より / ジンクスでなく裏付けがある 10年周期で設備投資落込む 天安門事件はなぜ起こったか 4つの過剰が象徴する衰退期 「帝国主義論」に該当の皮肉 「持久戦」は中国の自殺行為 中国では、新中国建国の1949年以来、「9の付く年」に必ず波乱が起っています。中国流に解釈しますと、「風水」と関連付けられそうですが、そういう「易」とは関係ありません。景気循環という経済分析から説明が可能です。この説明は後で行います。先ずは建国以来、「9の付く年」にどのような波乱が起っているか。それを取り上げます。 ジンクスでなく裏付けがある 資料は、『大紀元』(1月9日付は、「『9が付く年に』中国社会が波乱 今年はジンクスから逃れられるか」と題する記事です。 1949年、中国共産党が政権を奪い、中華人民共和国が誕生。 1959年、チベット蜂起が発生。当時、8万以上のチベット人住民が死傷。チベット政府の首脳であるダライ・ラマ14世と一部の高官がインドに亡命。 1969年、中国当局とソ連が国境のウスリー川の中州であるダマンスキー島(中国語名は珍宝島)の領有権をめぐって、大規模な軍事衝突。 1979年、中国当局がベトナムに対して宣戦布告し、中越戦争が勃発。 1989年、中国当局は、天安門広場で民主化を求める学生と市民に対して、戦車や装甲車などを出動させ、軍による武力鎮圧を実行。 1999年、中国当局は、「真・善・忍」を理念とする伝統気功、法輪功学習者への弾圧政策を開始。 2009年、新疆ウイグル自治区ではウルムチで大規模な暴動、「2009年ウイグル騒乱」が勃発。 2019年? 以上のように、「9の付く年」には歴史的な大事件が起っています。なぜ、判で押したように世界を揺るがす問題が起るのか。その裏には、景気の落ち込みで経済成長率が急速に鈍化する事態に見舞われているのです。 (※mono....以下略、詳細はサイト記事で) 【米中関係】 / 【習近平】 ■ 中国、「内憂外患」習近平氏への逆風で不満漏れ始め「国民は不安」 「勝又壽良の経済時評(2018-08-11 05 00 00)」より / 昨年の党大会で、習近平氏は国家主席の任期制を外すことに成功した。習氏は、自らが望めば「終身国家主席」も可能とみられていた。だが、その後に始まった米中貿易摩擦は、貿易戦争へ拡大する展開であり、様相は一変している。これまで、習氏の「超強気発言」の裏に、党の序列5位の王滬寧(ワン・フーリン)政治局常務委員の存在がクローズアップされている。王氏は、イデオロギーとプロパガンダ(宣伝)の担当である。「習思想」なるものを発案し、習氏の神格化を促進していた人物として知られている。 この王氏が、7月に入って動静が途絶えているのだ。米中貿易戦争激化とともに姿が見えなくなったことは、極めて暗示的である。王氏が、米国覇権挑戦論をけしかけた人物として、戦略を誤った責任を追及されているのでないか。こういう、疑念が急速に広がっている。米中貿易戦争によって、不動産バブルの後遺症が癒えていない現在、さらに負担が加重していることへの不満だ。この状態を赤裸々に報じる記事が登場した。 国粋主義の習氏に風圧 『ブルームバーグ』(8月8日付)は、「内患外憂の習近平氏に吹き始めた逆風ー中国国民に不安広がる」と題する記事を掲載した。 この記事では、中国国民の経済的な不安が、米中貿易戦争によって増幅されたことが分る。これまで、不動産バブルの後遺症で苦しんできた上に突如、米国との関税戦争に巻き込まれている。国民は、こういう政治的な不手際を批判し始めた。その矛先が、習近平氏に向けられているように思える。「習批判」がハッキリと国民の声となり始めているからだ。 率直に言って、習氏の政治体質は国粋主義的である。「中国の夢」を唱道し「米国覇権挑戦論」を掲げるなど、ヒトラー的な扇動政治家の要素を持っている。現在の中国経済の置かれている状況を確認せず、領土拡張型の帝国主義時代を彷彿とさせる政策を追い求めてきた。それをバックアップ、ないしリードしたのが王氏だ。習―王のペアは、時代錯誤型の盲進タイプである。それだけに、王氏への批判は、同時に習氏へ向けられる要素を持っていると思われる。習氏にとっては、楽観していられる場面でないだろう。 (1)「数カ月前、中国の現職最高指導者としての習近平氏の勢いを止めることはできないように見えた。国家主席の任期制限を撤廃し、数十年ぶりとなる政府組織の抜本改革を発表。昨年11月のトランプ米大統領訪中を成功させ、米国との貿易戦争を阻止できるように思われた。共産党総書記でもある習氏への党からの礼賛も相次いだ」 半年前の習氏を取り巻く政治状況と、現在では大きく変わってきた。昨秋、トランプ氏の訪中時は、米中首脳が協力しあえる雰囲気を漂わせていた。これは表面的なことで、米国側はすでに経済問題をめぐって警戒感を強めていた。中国は、大型商談で米国の関心を逸らしたとほくそ笑んでいたが、トランプ氏が中国を離れるとき、米代表団は「もうこれ以上は騙されないぞ」と冷たく言い放った。この間の事情は、WSJ(『ウォール・ストリート・ジャーナル』)が正確に伝えていた。トランプ訪中は、「敵情視察」であった。 中国は、米国を軽くあしらった積もりでいたが、米国はその上を行った。中国の不正貿易慣行(技術窃取や政府の補助金支給)を是正しない場合、関税引き上げで罰を加えるという基本方針を立てていた。中国は、追加関税問題だけを取り上げて騒いでいるが、その原因である不正貿易慣行の存在については口をつぐんでいる。むしろ否定しているが、これは中国が全く改める意思のないことを表明したことになる。 ここに米国は、「汚い中国」という感情的な怒りに変わった。中国が、自らに非がありながらのらりくらりと対応し、おまけに「報復関税」をかけるという、米にとっては許しがたい反撃を加えてきた。ここに、中国の誤算がある。米国に次ぐ大国という「メンツ」を前面に出し、米国と「対等」であることを演出して失敗したのだ。他国の技術を盗む中国が、米国と「対等」などあり得ない。中国が、そこまで大国ぶるならば、WTO規則を完全に守れという要求に変わる。この点では、米欧日は完全に意見の一致を見ている。中国は、自らの非を認めず、逆襲するという「恥知らず」な国家に身を落としたのだ。この裏には、習氏の「強いリーダー」演出が後退時期の判断を誤らせた。 (※mono....以下略、詳細はサイト記事で) 【中越関係】 / 【南シナ海】 ■ 【緊急】China Alert 2016/07/11 7月12日という運命の日 「二階堂ドットコム(2016.7.12)」より / 中国についてなのですが、既にベトナム船が攻撃を受けて沈没したという報道がありました。朝起きれば、戦争、となっているかも知れません。 これまで何度となく、中国との紛争の可能性には言及してきましたが、いよいよ「運命の日」がやってこようとしています。7月12日の判決がいかなるものであれ、中国は今後準軍事態勢に移行する見込みです。戦争の危機が迫っています。 それと同時に、中国国内の混乱も一層激しくなりそうです。取り急ぎ、お知らせします。 1.人民解放軍の動き 2.中国共産党トップの動き 3.台湾のミサイル誤射事件 4.人民解放軍の待遇改善 5.習近平の命令 http //www.j-cia.com/archives/12664 ←※mono.--有料記事。 ■ いつか来た道に帰る“中国” 「増渕 賢一(ますぶち としかず)ブログ(2016.3.7)」より / 中国人は、過去の日本の行状には興味を持つが、 欧米列強の悪行については“忘却の彼方”であるらしい。 あのころ、蒋介石は欧米と手を組み、 毛沢東はソ連と結託し、 結果は、 支那事変の集結もつかの間の“血みどろの国共内戦”であった。 今、欧米企業は、中国最高幹部と結託し、 (江沢民はウォール街と、習近平はシティーと結んでいると言われる) 中国人民・庶民を置き去りにして何事かを企んでいる。 ヨーロッパ人の多くが日本よりも中国を重視している?独メディアに「自分では恥ずかしくて言えないから外国人を通して言っている」―中国ネット Record china:2016年3月6日(日) 2016年3月3日、中国の掲示板サイトにヨーロッパ人の多くが日本よりも中国を重視していると伝えるスレッドが立った。 スレ主はドイツメディアの報道を引用し、「中国の台頭によって日本よりも中国が注目を集めるようになっており、日本に注目する人は少なくなった」と紹介。ドイツ国民の多くが日本を国際的な大国と思っていないことや、日欧関係の重要性は低下していて、以前東京に向けられていた関心が今では北京に向いているとの専門家の意見を伝え、「中国が主導するアジアインフラ投資銀行からも、ヨーロッパ人が中国に対して熱情を持っていることは明らかだ」と伝えた。 これに対して中国のネットユーザーからさまざまなコメントが寄せられた。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) 【天津・化学薬品保管倉庫で爆発事故】 ■ 中国で何が起きているのか? - 江沢民逮捕説から習近平暗殺未遂事件 「せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』(2015.8.26)」より / 共産中国の中で現在何が起きているのか?共産党一党独裁の中で言論の自由もなく、厳しい統制が行なわれているので、外部には全く伺いしれない。恐怖の独裁国家である。 このような共産主義社会は他の地区では殆ど消滅したが、東アジアにおいては中国と北朝鮮が同じ国家体制にある。西欧社会では共産党そのものが消滅しかかっているが、何故か日本ではしぶとく生き延びており、若い人を騙して愛嬌を振りまいているが、その実態は全く中国共産党や北朝鮮の金王朝支配と変わらない。 さて、昨日寄せられたメールを全て紹介します。もし、これが真実ならば中国の権力闘争は相当ヤバイと見なければなりません。 .............................................. 鳴霞氏が暴露した「天津大爆発」の仰天真相!8月12日深夜に発生した「天津大爆発」。 アメリカに本部を置く博訊新聞網(http //www.boxun.com)の報道によれば、死者の数は当局の発表を大幅に上回り、数千人規模にのぼると言われているが、現場では厳しい報道規制が敷かれており、事故の全貌や原因については未だ謎に包まれている。 そんな中、独自の取材を続けてきたジャーナリストの鳴霞氏が22日、都内で開催された新刊『中国 驚愕の性奴隷』発刊記念講演会(JAPANプラス主催)において、今回の天津大爆発の真相を語った。 「天津大爆発」は、習近平総書記 暗殺未遂事件 鳴霞氏によれば、今回の天津大爆発は、習近平総書記の暗殺を企てた反・習近平派の一味が、計画が事前に漏れて失敗したために、証拠隠滅をはかって暗殺予定場所であった天津の港ごと爆破させたものだという。 (※mono.--以下略) / 【江沢民】 ■ 江沢民逮捕(軟禁)を隠す為にガセネタを流したシナ狂? シナのネットで「江沢民」検索不可に 破滅 「はやぶさのブログ(2015.8.25)」より / 昨日からネット上で江沢民逮捕か!?かという話題が盛り上がっている。 元ネタは大紀元のようだが、記事の内容を読めるモノがいうには、こういう画像がネットで出回っているそうだというネタで大紀元がシナ国内に報じたもののようだ。 つまり、江沢民逮捕はジョークですよという事にしたいらしい。 ただ、気になる点がいくつかある。 これを扱ったネット記事の中に、シナネットの検索で「江沢民」がヒットしなくなっている点。 キンペー砲をあれだけ打ちまくって、株を売る者を徹底的に取り締まっているにもかかわらず、先週後半から今日現在(8月24日)までに上海市場が大幅に下落している点。 特に今日は、8%を超える下落振り。 (※mono.--中略) / 「江沢民」が『検索禁止ワードに指定され』中国ネットが炎上中。逮捕報道は真実なのかと訝しむ人が続出 http //s.weibo.com/weibo/%25E6%25B1%259F%25E6%25B3%25BD%25E6%25B0%2591 「法律法規と政策に関連しているによって、“江沢民”の捜索結果は表示を許されていません。」 2 ブラディサンデー(東京都)@\(^o^)/ 2015/08/23(日) 22 55 02.33 ID jakVpUxY0.net 誰だよ? そんな奴知らねえよ そんな奴は元からいなかったんじゃねーの? 5 魔神風車固め(茸)@\(^o^)/ 2015/08/23(日) 22 56 43.43 ID nmGP1GgV0.net そして、最初からいなかった事になるのがチャイナクオリティ 11 スターダストプレス(石川県)@\(^o^)/ 2015/08/23(日) 22 58 52.87 ID rFxaiNwI0.net もしかして:処刑 12 サソリ固め(東海地方)@\(^o^)/ 2015/08/23(日) 22 59 13.89 ID 6SDLNufyO.net 江沢民を粛清? 初めから居なかった事にする? 21 32文ロケット砲(茸)@\(^o^)/ 2015/08/23(日) 23 10 21.74 ID TyK6Pm/V0.net 本当だったら粛清の嵐 そして内乱へ 32 ドラゴンスクリュー(茸)@\(^o^)/ 2015/08/23(日) 23 15 01.54 ID 0JZDmxgx0.net 百度掲示板も江沢民検索できず。 ■ 日本人が知らない支那共産党の野望 「浮世風呂(2015.8.20)」より / 中国は本気で「核戦争」を考えている - - 日高義樹のワシントン情報 2015/8/17 PHP Biz Online 中国の核戦略思想は危険である (※mono.--以下略) / この宇宙司令部の仕事に関連して2015年3月18日、アメリカ海軍ミサイル防衛局のJ・D・シリング局長は、アメリカ議会上院軍事委員会の国防費小委員会で、次のような証言を行った。 「中国や北朝鮮が地上移動型の大陸間弾道ミサイルの開発を強化しており、すでにアメリカ本土を攻撃できる能力を持っている」 シリング局長は同時に、アメリカの気象衛星やスパイ衛星が狙い撃ちされる危険が高まっていると述べたが、さらに4月16日、ロバート・ワーク国防副長官は「宇宙がアメリカ国防政策の第一線として著しく重要になった」と議会で証言した。同日、宇宙司令部があるコロラドスプリングスで開かれた宇宙戦争シンポジウムの2015年総会に出席した国防総省の担当者も次のように警告した。 「宇宙戦争の帰趨がアメリカの命運を決めることになる。冷戦が終わって以来、初めてアメリカは、深刻な安全保障上の危機に直面している」 アメリカ国防総省をはじめ、宇宙戦争やサイバー戦争の責任者が強い危機感に捉われているのは、中国の核戦略が危険な考えに基づいているからだ。アメリカ国防総省で長いあいだ中国との戦いの責任者であったジェームズ・シュレジンジャー元国防長官や、アンドリュー・マーシャル博士のもとで中国の戦略を分析してきたマイケル・フィルスベリー博士は、次のように述べている。 「中国は核兵器を抑止力とは考えていない。実際に使うことのできる兵器だと思っている。アメリカは核兵器を、戦争を起こさないための抑止力として使っているのに対して、中国は、戦いを有利に進めるための兵器として使おうとしている」 (※mono.--以下略) / (※mono.--以下副題と若干の転載) / ◆中国に丸裸にされた米国政府の人事データ 大型ハッキング事件勃発、サイバー戦争は始まっているのか? 2015.8.19 片桐 範之 JB PRESS / ◆中共政権のマフィア化、「正体不明の暴徒」を操作 2015年6月26日 何清漣 大紀元日本 / ◆中国で腐敗もみ消し? 汚職内部告発の県幹部が暴行死 覆面集団に襲われ 2015.06.10 zakzak / ◆標本にされた23歳の女の子 看中国 ChinaWatching 以前、こちらのブログで人体標本にされてしまった23歳女性陳情者のことを伝えましたが、彼女を標本にしたのもやはりあの悪魔の生まれ変わりとしかいいようのない、ドイツ人の解剖学者・ハーゲンスの死体工場のようでした。閲覧注意 http //secretchina.oops.jp/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9/23-2/ また、彼女は唯一顔の容貌がそのまま残された標本だそうです。中国のネット上にもこの情報が出回っています。 / ◆【暴走中国 その覇権主義的本質】大きくもなく、安定もしていない中国 アキレス腱の民族問題 2014.05.20 zakzak / ◆尖閣諸島から300キロの沿岸部に中国軍のヘリコプター基地建設…外務省が事実上認める! 2015/1/28 日本経済新聞 / 南シナ海や東シナ海に次々と埋め立てによる基地は、日本のシーレーンの明らかな脅威である。現在は銃器・大砲類の基地装備だが、レーダーとミサイルを装備すればいつでも日本の輸送船を止めることが出来る。石油も資源も止められてしまうということだ。 大東亜戦争は資源の全く無い日本を、この海域で閉鎖し、石油や食料品や資材を全て止められた。当時も今も、「石油の一滴は血の一滴」と言うほど欠かせないものである。民主党の馬鹿議員が、燃やして暖かくなるだけの石油」と言ったが、日本の歴史も石油の重要性も知らない無知の論外である。 それを支那は平気で止めようとしている。だが日本は国民が餓え息絶えるのを黙って見守るほどの卑怯者ではない。大東亜戦争も、負けると分かっていたが黙って自滅するよりは戦って活路を見出そうと決断した。その歴史の事実を学ばず教訓にしない支那は当然の戦略として止めに来る可能性が大である。 ■ 北京で軍用ヘリ墜落、キンペーが江沢民を軟禁 不都合な真実から目を反らすため又も日本たたきするシナ 「はやぶさのブログ(2015.8.20)」より / (※mono.--前半は韓国関連記事。後半に中国関連記事が続くが長文のため(および引用リンク多数のため)転載せず。詳細はブログ記事で) ■ ニュースでたっけ 「二階堂ドットコム(2015.7.15)」より / 大連の建設中の地下鉄の現場が崩落したニュース出てる? 防水工事もまともにやらないで、みんなが工事費から「いくら抜けるか」しか考えてないからメッチャクチャみたいだよ。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ■ 良くなる望(のぞみ)がなければ支那人はあまりにも惨(みじ)めだ 「qazx(2015.5.25)」より / ーー以下「頂門の一針5/23」より抜粋編集qazx 「共産支那が直面している6つの難題」(何清漣) 要約、解説、平井修一、qazx ーー カナダ・バンクーバーの支那領事館が私のような“反革命分子”がこうして公開講演をすることを我慢してくださったことに感謝したいと思います。 ニューヨークの支那領事館は私がどこかの大学で講演すると聞くや、すぐさま邪魔しようとします。 たとえばペンシルバニア大学では二度、講演を阻止され、講演の企画をした支那人留学生の学生会のトップまで辞めさせられる始末でした。 今日の講演テーマは「支那経済が直面している6つの難題」です。 ーー (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ■ 集団的・無意識的に自殺を進めている大国:1億人の精神疾患者と毎年10万人の捨て子が発生している中国という国 「In Deep(2015.3.7)」より (※mono.--前中後略、詳細はブログ記事で) / ..................................................................................... 中国:「捨て子」が重大な社会問題に、毎年10万人=専門家 newsclip.be 2015.03.06 中国では「捨て子」が年間で10万人を数えるまでに増加し、すでに重大な社会問題となっている。 正確な統計はないものの、年間の「捨て子」人数は、1980年代が約5000人、90年代が5万人で推移していた。ただ、国の救済制度不備などを背景に、近年になって段階的に増加しつつあるという。 先天的な障害を持って生まれてくる赤ちゃんが捨てられる例が多い。先天的な障害を持った赤ちゃんの出生比率は、年を追うごとに増えてきた。 これに対処するために、中国では2011年6月に、河北省石家荘市に国内初の「赤ちゃんポスト」が設けられた。その後も、江蘇省、陝西省、貴州省、福建省、内モンゴル自治区、黒竜江省、広東省などに相次いで試行的に設置されている。 ただ、広東省広州市の「赤ちゃんポスト」では、運営わずか50日あまりで大量の嬰児を収容。保護スペースが限定されるなか、運営休止に追い込まれる異常事態も発生した。多くが「脳性マヒ」を抱えている。 「赤ちゃんポスト」に収容された嬰児、幼児は、全体の99%が身体や機能に障害を持っていたという。 ..................................................................................... というように、中国で「捨て子」が増えているという報道ですが、従来から理由として挙げられることのあった経済的な理由からなどではなく、「捨て子の 99パーセントが先天性の異常を持って生まれた赤ちゃん」だということが書かれています。 (※mono.--中略) / 数億人の精神疾患予備軍を持つ中国 冒頭に載せました「中国では1億人が精神疾患を抱えている」という報道は、2009年のものですが、そのデータはかなり大ざっぱな統計をもとにしているとは思われます。なぜなら、 2014年の報道でも1億人という数が見出しで見られるからです。 下の記事は、2014年6月11日の日経ビジネスの記事からの抜粋です。 ..................................................................................... 精神疾患1億人、心病む中国 本当の患者は病棟の中か外か 日経ビジネス 2014.06.11 13人に1人が心の病、2分に1人が自殺 中国には精神疾患者が1億人以上いるとわれている。13人に1人が心の病という計算になる。何をもって精神疾患というかはあいまいながら、これは中国衛生部疾病コントロールセンターの推計だ。 このうち重篤な精神疾患は1600万人をこえるという。また鬱病の生涯有病率は人口の4%で約5500万人。 自殺者は多い。自殺大国と言われている日本よりも、比率は若干高いだろう。推計には諸説あるが、世界自殺予防デーなどで繰り返し報道されているのは、「2分ごとに1人自殺、8人が自殺未遂、1人自殺するごとに平均6人の家族・友人を直接的間接的に被害に巻き込んでいる」。 .................................................................................... というようなことで、実数は曖昧ですが、以前と比べて、どのくらい増えたかということについては、 「中国でのメンタル系の薬の売り上げ」 のグラフで推移を見るという方法があります。 (※mono.--後略) ■ 拝金主義にまみれた中国が存続できたら、そちらの方が驚き 「DARKNESS(2015.2.26)」より / 「金こそすべて」という拝金主義が蔓延すると社会が荒んでいくというのは中国社会を見れば分かる。 自分さえ儲かればいいという発想の中で、製造者はどんどん材質を粗悪にして、中国は粗悪品まみれになっていった。 自分さえ儲かればいいという発想の中で、農家は農薬まみれの作物を作り、畜産業者は病死した家畜を売り、加工業者は腐った肉でも混ぜて食品を作る。 自分さえ儲かればいいという発想の中で、レストランは下水から取ったと知っている油を買い、ドブネズミの肉を客に食わせて金をもらう。 自分さえ儲かればいいという発想の中で、工場経営者は排水を処理しないで川に直接流し、フィルターもかけないで黒煙を吐き出し続ける。 交通事故で倒れた人を助けたら訴えられるので、誰も助けることもなくなった。病院は患者が運ばれても、まず確認するのは患者が金を持っているかどうかだ。 拝金主義によって絶望的な国になっている中国 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ☆ 腐敗幹部の自殺が流行 習近平体制22か月で自殺者と不明者7700人 「newsポストセブン(2015.1.14)」より / 地面を揺るがすような大きな音とともに、アスファルトの道路に真っ赤な血潮が広がる。北京市中心部から、車で30分ほど走ったところにある中国人民解放軍海軍大院の100号楼(ビル)。中国版ツイッター「微博(ウェイボー)」によると、倒れた人物は海軍副政治委員の馬発祥・中将。 呉勝利・海軍司令官、劉暁光・海軍政治委員に次ぐ海軍のナンバー3という軍最高幹部の1人。馬氏は15階の執務室の窓から飛び降り、覚悟の自殺だった。軍首脳は直ちに箝口令を敷いたが、馬氏の壮絶な飛び降り自殺は瞬く間に軍内に広がった。ジャーナリストの相馬勝氏が中国の異常事態をレポートする。 + 続き * * * 中国海軍では2014年9月から11月までの3か月で、馬氏を含めて3人の将校が自殺しており、極めて異常な事態と言わざるを得ない。3人はいずれも汚職などの腐敗事件に絡んでいるとされ、中央軍事委員会規律検査委員会の取り調べを受けていた。香港メディアなどは「軍内で自殺が流行している」と報じているが、それは軍ばかりでなく、中国共産党・政府幹部にも蔓延しつつある。 筆者は31省・自治区・直轄市における腐敗幹部の自殺や行方不明、海外逃亡の数字を記した内部文書を入手した。習近平指導部発足から2014年9月末までの22カ月間の記録で、自殺者は全体で1252人、行方不明者は6448人、海外逃亡者は8341人。総計1万6041人。自殺者と不明者を合わせると7700人と極めて深刻な数字となる。 習近平国家主席は2012年11月の党総書記就任後初の演説で、汚職などの腐敗撲滅を公約に掲げ、「虎だろうが、蝿だろうが一緒に叩く」と豪語した。その成果を誇示するように、約2年後の2014年12月5日、党中央規律検査委員会は2012年12月4日から2014年10月末までの696日間で、公用車の私的利用や、公金を使った華美な宴会などによる飲食といった職権濫用など8項目の規定に違反した党員・幹部の数字を公表し、摘発件数は6万7737件で、処分されたのは8万9585人に上ったことを明らかにした。1日平均では128人だ。 2014年春の全国人民代表大会(国会)では13年の1年間で、汚職などで立件された公務員は前年比8.4%増の5万1306人だったと発表されており、1日平均では140人が逮捕されたことになる。 この二つを合わせると、処分者は1日平均で268人となる。いかに、党中央規律検査委が多数の敏腕取調官を抱えているとはいえ、これだけの数の党員・幹部の不正を捜査し、取り調べ、違反事例を確定させるには膨大な時間がかかることが予想される。 ところが、実態はそうではないらしい。取り調べの実態に詳しい北京のジャーナリストが明かす。 「腐敗捜査はまず容疑者ありきで、いったん当局の標的として狙われると、逃れるのは極めて困難だ。党幹部ならば、少なくとも1 、2件くらい汚職など腐敗事例に関わっていないわけはない。それを暴かれて、身の破滅を招くケースが多い」 いったん腐敗幹部の汚名を着せられると、党籍を剥奪され、監獄行きになるか、ならなくても、汚職幹部として名前が公表され、子供の進学や就職にも影響してくる。もちろん自身の生活も成り立たなくなり、離婚の憂き目や一族と絶縁状態になるケースも多い。このため、まだ容疑が確定していない取り調べの間に自殺し、刑の執行を逃れることで、自身の名誉や子供など親族を守ろうとする。 ※SAPIO2015年2月号 ーーーーーーーーーーーー ★ 習近平政権の下で中国は圧制を強化、学者などの拘束が増加、教会の取り壊しも=米人権団体の報告書―米メディア 「Yahoo!news[Record China](2015.1.17)」より / 2015年1月15日、中国では圧制が強まっており、国民による抵抗も大きくなってきていることが、米国の人権団体が発表した報告書で分かった。米メディアが伝えた。 + 続き CBSは14日、人権団体「フリーダムハウス」の調査報告を発表し、中国の習近平(シー・ジンピン)主席が率いる中国政府の過去2年の変化をまとめたと報じた。報告書によると、中国人はかつてより政府に対して恐怖を抱かなくなってきている。人々は環境汚染や不動産、労働者の福祉といった、自分たちにとって重要な問題について街中で話題にするようになってきていると述べている。 だが、その一方で、学術界や法曹界の人物が拘束されることが増えてきているとしている。また、宗教の自由について、教会からは十字架が撤去されたと報告している。いくつかの教会は、土地や建物の使用権違反などを理由に取り壊されたという。全般的に見ると、中国政府の権力に抵抗しようとする国民に対して、政府はさらなる圧制を強化していると報じている。(翻訳・編集/Yasuda) ーーーーーーーーーーーー ★ 中国公安、半年で680人の海外逃亡犯を逮捕―中国紙 「Record China(2015.1.11)」より / 2015年1月9日、新京報によると、中国公安部は8日に記者会見を開き、海外に逃亡している経済犯罪の容疑者を逮捕するための特別取締活動「2014キツネ狩り作戦」の総括報告を行った。今回の活動を通じ、公安機関は計69カ国・地域において、2013年の4.5倍に相当する680人の海外逃亡犯を逮捕した。 + 続き ▼公安機関、警察官延べ2000人を海外に派遣 習近平(シー・ジンピン)国家主席や中央紀律検査委員会の王岐山(ワン・チーシャン)書記ら中央指導部は、特別取締活動「キツネ狩り作戦2014」に関する重要指示を繰り返し発表、郭声[王昆](グゥオ・ションクン)公安相(国務委員)は自ら、特別指導チームを立ち上げた。特別取締活動全体において、13の警察部門が共同作戦を展開、全国各地の公安機関は延べ2000人あまりの警察官を海外に派遣、公安部は前後して14の作業グループを重点地域に送り込み、督励に当たらせた。 ▼容疑者208人が1000万元以上の経済犯罪に関与 ここ半年の特別取締活動「キツネ狩り作戦2014」を通じ、計69カ国・地域において、2013年の4.5倍に相当する680人の海外逃亡犯が逮捕された。 関連金額で見ると、1000万元(約1億9200万円)以上の事件に関わった容疑者は208人、1億元(約19億2000万円)以上は74人だった。逃亡犯の海外での潜伏期間については、潜伏期間が5年を上回る容疑者は196人、うち10年以上は117人で、最長は22年だった。 ▼390人に自首を勧告 公安部は2014年10月10日、「寛厳相済刑事政策(寛大さと厳格さを調和させて刑罰を科す政策)」を遂行するため、最高人民法院(裁判所)および最高検察院(検察庁)、中国外交部(外務省)と合同で、「海外逃亡経済犯罪者の自首勧告に関する通告」を発表した。「キツネ狩り作戦2014」を通じ、全国の公安機関は290人の容疑者を直接逮捕、390人に対して自首を勧告した。同通知の発表を受けて自首した容疑者は332人に上った。 公安部経済犯捜査局の孟慶豊(モン・チンフォン)局長は、「特別取締活動『キツネ狩り作戦2014』はいったん終了したが、海外逃亡中の経済犯を捜査・逮捕する仕事は、永遠に終わらない。未逮捕の容疑者が1人でもいる限り、逮捕に向けた捜査は一時も休む訳にはいかない。公安機関は今後も引き続き、海外逃亡犯に対し、自分が犯した過ちに気づいて全うな道に引き返すことを決意し、一日でも早く帰国して自首するよう、勧告を続ける」とコメントした。(提供/人民網日本語版・翻訳/KM・編集/武藤) ■ 徐々に知られるようなっている中国の異質ぶり 「岐路に立つ日本を考える(2015.1.13)」より / 中国の度を超した異質ぶりが、徐々に知られるようになっています。 山東省青島市で約300人の教徒を持つあるキリスト教会が中国当局からクリスマスパーティーの開催を禁止するよう警告を受け、これに反発したこの教会の電力供給は当局によって停止させられました。西安市にある西北大学においても、クリスマスが中国文化を破壊する「トロイの木馬」になるとの懸念から、クリスマス行事が禁止され、イブの夜に孔子など中国の伝統文化を紹介する3時間の映像を学生全員に強制的に見させる処置を講じました。 http //blogs.voanews.com/breaking-news/2011/12/22/chinese-government-curbs-christmas-celebrations/ http //www.epochtimes.jp/jp/2014/12/html/d25717.html 一方、中国浙江省温州市警察が公式サイトで公表したソフト購入の注文書明細の中に、携帯電話を監視するための悪意あるソフトである「トロイの木馬」が入っており、一般国民の監視のためなら手段を選ばない姿勢を中国政府が示していることが明らかになりました。 http //www.epochtimes.jp/jp/2015/01/html/d29071.html (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ■ 【中国】一般市民の携帯を監視するため、市当局が300万円かけてマルウエア購入か。(AFP) 「蘭月のせいじけーざい研究室(2015.1.10)」より / 中国・浙江(Zhejiang)省の温州(Wenzhou)市当局が、携帯電話を監視するため14万9000元(約300万円)をかけて「トロイの木馬」型のソフトウエアを導入する方針だと、国営英字紙・環球時報(Global Times)が8日、報じた。 トロイの木馬は、悪意のあるプログラム(マルウエア)の一種で、コンピューターやスマートフォンの情報を所有者の同意を得ず、また所有者に知られないまま外部に流出させることが可能。 中国政府はネットの力を非常に恐れており、なんとか統制しようと必死です。 パソコンは勿論、スマホやタブレットなどの携帯端末が普及した今の時代、当然こういうところにもチェックの手を伸ばしているのでしょう。 そんな中、温州市当局が約300万円かけて、パソコンや携帯端末からこっそり情報を抜き取るマルウエアを導入しようとしている……という情報が、明るみに出たワケです。 しかし、どーしてこんな話が明るみに出たかというと。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) 【香港】 ■ 「天安門の占拠を」ネットで拡大 「NHK web(2014.10.11)」より / ※ 記事html保護 / 香港で民主的な選挙を求めて抗議活動を続けている学生たちを支援するためとして、北京の天安門広場などに集まって抗議しようという呼びかけがインターネット上で広まり、中国の警察が一部の場所で警戒を強化しました。 ツイッターでは、今月8日から「香港の人たちを支援しよう」と雨傘が香港での抗議活動の象徴となっていることにちなんで「北京時間のきょう午前10時から午後5時まで、手に傘を持って天安門広場を占拠しよう。広場の警備が厳しければ、王府井にあるハンバーガー店に移ろう」という呼びかけが始まり、中国本土でもインターネットを通じて広がりました。 このうち天安門広場は連日、大勢の警察官が警戒に当たっていて、11日は特別変わった様子は見られませんでしたが、観光客の中に疑わしい人物がいないかどうか、警察官らが目を光らせていました。 一方、繁華街の王府井にあるハンバーガー店の周囲には、ふだんと違って多くのパトカーが配置され、近づいた記者とカメラマンに警察官が「呼びかけはデマだ」と、立ち去るよう求めました。 中国本土では、ツイッターへの接続が規制されていますが、政府への抗議活動が中国本土に波及することに神経をとがらせているものとみられます。 ■ 日本人はシナ(支那)を「中国」と呼んではいけない 「浮世風呂(2014.10.10)」より / シナ(支那)を「中国」と呼んではいけない三つの理由 私達は日頃何気なくシナを「中国」と呼んでいますが、実はこれはとても異常な事です。 どう異常なのか、そしてなぜこんな異常な事が起きてしまったのかをまとめてみました。 1. 中国の人達の置かれた困った立場 ・正しい地名が恐くて使えない 2. 中国は由緒ある日本の地名 ・比較にならない程古い中国の歴史 ・すべては外務省の通達から ・驚くべきマスコミの力 ・押し付けに従うのはやめよう 3. シナは世界の共通語 ・「支那(シナ)は日本人だけが使った差別語である」の嘘 ・「シナ人はシナと呼ばれることを嫌がっている」のうさん臭さ ・「意図的にシナと呼ぶ態度がシナを差別語にしたのだ」のでたらめ 4. 二つの「中国」 ・中華思想とは何か ・新たな秩序を持ち込んだもう一つの中国 ・シナを「中国」と呼ぶことは日本の基本的立場に反する 5. なぜ日本人にシナと呼ばれると都合が悪いのか ・打ち砕かれた古い中華秩序 ・シナの独立と乗っ取り ・「中国」の意味の変更による侵略の正当化 ・シナを「中国」と呼ぶことは侵略の手助け (※ 以下略、詳細はブログ記事で) ★ 中国、近く国家破綻か 経済&軍部崩壊状態、中韓連携による日米と全面対立で紛争リスクも 「ビジネスジャーナル(2014.9.9)」より / 経済の破綻が秒読みともいわれている中国。シャドーバンキングは実質的に破綻し、不動産バブルも崩壊寸前との見解を示す経済学者は多い。周辺各国へ軍事挑発を繰り返す一方、国内では政府への不満が噴出し始めている。共産党内部での権力闘争も泥沼化の様相を呈しており、習近平体制は完全に制御不能へと陥りつつある。7月に上梓された『ヤバイ中国』(徳間書店)は、そんな中国の現状を鋭く分析し、現状と今後の予測を的確にまとめているとして話題になっている。 今回は、同書の著者である経済評論家の渡邉哲也氏に、 中国が抱える問題点と今後 中国経済が破綻した場合に、日本や世界の経済に与える影響 中国の破綻に巻き込まれないためには、どうするべきか などについて語ってもらった。 (※mono.--以下略、詳細はサイト記事で) 【新疆ウイグル自治区】 ★ 「イスラム国」敵にまわした中国 懸命の親イスラム路線もウイグル弾圧で迫害国家に 「産経ニュース(2014.9.5)」より / 緊迫したイラク情勢は新聞紙面を連日にぎわし、過激派の「イスラム国」がすさまじい勢いで勢力を拡大する中、米国は嫌々ながらも、再び軍事介入を始めた。その情勢が、イラクから遠く離れて一見、無関係にみえる中国にも深刻な懸念を引き起こしつつある。(SANKEI EXPRESS) 新シルクロード開拓に影響 昨年11月、この欄で書いた「天安門炎上事件にみる中国の西進戦略」の中で、中国は今までの海路に頼る中東からのエネルギー供給に代わる陸路を開拓すべく、自国西部の新(しん)疆(きょう)から中央アジアを経由して中東に至る「新シルクロード」を開発する遠大な計画を推進していると述べた。 その計画のためにも、中国は中央アジア、中近東のイスラム諸国と友好関係を保つ必要があり、新疆地方のイスラム系ウイグル族の過激さを増す独立運動にも慎重に対処しなければならないとも指摘した。 実際、その後、中国は着々と中央アジア諸国との関係緊密化を進め、ロシアに取って代わって同地域の覇主の地位を手に入れつつ、同地域の天然ガス開発と輸入を実現し、大きなパイプライン網もほぼ完成した。 一方、アフガン戦争終結と中東までの供給路作りを視野に入れて、アフガニスタンやパキスタンとの関係構築にも余念はない。この遠大な計画はイスラム勢力圏を通るため、中国は今までアフガン戦争で中立を固く守り、欧米と対立するイラン、シリアなどを支持し、「イスラムの味方」とのイメージ作りに懸命であった。 ところが、硬直した少数民族政策の失敗や貪欲な漢族の現地進出などで、ウイグル族の不満は高まる一方で武装反乱が収まらず、むしろ悪化した。その反乱に対する武力弾圧で流血が繰り返されているうちに、中国は意に反して、すっかり「イスラムの民を迫害する国」というレッテルを貼られてしまった。 その結果、イラクとシリアをまたぐ地方で樹立された「イスラム国」のリーダーは7月、中国をイスラムの敵だと名指しして非難したうえ、イスラムの「兄弟」たるウイグル人を解放するために新疆を占拠すると公言した。中国領土の一部をもぎ取るとの脅かしは、現実味を欠くことは誰の目にも明らかである。 + 続き それでも、中国にとって深刻なのは、ただでさえ手を焼いているウイグル族の散発的反乱が今後、「イスラム国」のこの「宣戦布告」で勢いづき、中東・中央アジアからのイスラム過激派の支援や戦闘員の流入が急増しそうなことである。これではますます「中国対イスラムの戦争」という何としても避けたかった様相を呈してしまう。 そして、いったんイスラム過激派を敵にまわしてしまうと、中国の西進戦略の要である新疆から中東までの天然資源の新しい「シルクロード」の安全保障もおぼつかなくなる。中東から中国に石油やガスを直接運ぶパイプラインを構築しても、その途中のイスラム系諸国で過激派に狙われたらひとたまりもないだろう。 周永康失脚の波紋 このため、今まで中東ではことあるごとに欧米に楯突いてきた中国はこのところ、イラクに限っては過激派に対するアメリカの空爆に好意的に言及し始めている。 もっとも、この天然資源の「シルクロード」開発も、新疆のウイグル族に対する弾圧も、最近、中国で大きく取り沙汰されている大物政治家、周永康氏の汚職追求に影響を受ける可能性もある。 周氏は過去10年間、中国の石油産業と治安維持の双方に君臨してきた人物である。西進戦略の柱の一つである戦後アフガニスタン再建への中国の影響力作りも、同氏が一手に推し進めてきた。 彼の失脚が国内政治のみならず、今後、中国の西進戦略並びにウイグル族に対する政策にどのような影響が出るのか、注意して見守る必要がある。 さらに、「イスラム国」に拘束されたとみられる湯川遥菜さんの事件を挙げるまでもなく、「イスラム国」にどう対応するのか、日本も真剣に考えるときが来ているのは間違いない。(元仏外交官 チェン・ヨ・ズン氏) 【中国人民解放軍】 ■ “文民統制”が効かなくなりつつある中国人民解放軍 「門田隆将オフィシャルサイト(2014.6.27)」より (※ 前後略、詳細はブログ記事で) / かつて国家主席でもなく、党主席でもなかった鄧小平氏が、この「軍事委員会主席」の座だけは最後まで手放さず、最高権力を振るいつづけたことが思い出される。だが、石平氏は、その主席の地位にはない人民解放軍総参謀長である房峰輝氏を「習近平氏を脅かす第一の人物」として挙げたのである。 房峰輝氏は、中国共産党中央委員会の委員であり、党中央軍事委員会委員でもあり、さらに中国人民解放軍総参謀長でもある。すなわち軍人としては最高の地位にある(階級は「上将」)。なぜ房峰輝氏が注目されるのか。それは、中国とベトナムとの紛争について、アメリカでおこなった「発言」にあった。 「中国の管轄海域での掘削探査は完全に正当な行為だ。外からどんな妨害があっても、われわれは必ずや掘削作業を完成させる」。5月15日、訪米中の房峰輝氏が記者会見で語ったこの言葉にこそ、その秘密が隠されていた。 石平氏の言葉を借りれば、「ベトナムとの争いが始まって以来、中国側高官が内外に“掘削の継続”を宣言したのは初めてのこと」であり、「一軍関係者の彼が、政府そのものとなったかのように“掘削の継続”を堂々と宣言するのは、どう考えても越権行為以外の何ものでもない」という。 人民解放軍を率いる房峰輝氏のこの発言は、「もはや怖いものがなくなった」、すなわち完全に習近平を脅かす存在となった、というこの見方は注目される。 石平氏は、房氏が習主席主宰の「中央財経指導小組(指導グループ)」の会議に出席していることも指摘する。人民解放軍は、国の経済運営には関与しないのが原則であり、軍の幹部は本来、中央の「財経会議」に顔を出すようなことはない。 しかし、すでに房氏は“堂々と”習主席主宰の「財経会議」に出席し、さらに“堂々と”アメリカにおいて、中国とベトナムとの紛争について、「国際的な宣言」をおこなうほどになっているのである。 ■ 果てしなき傲慢 「唖蝉坊の日記(2014.6.14)」より / ◇「匹夫の勇」と言う言葉があります。深く考えず、ただ血気にはやるだけのつまらない男が、思慮分別も無く、つまらない蛮勇をふるってカッコつける事を云います。早い話、街で通行人に言いがかりをつけ威嚇し、自分の強さを誇示するような馬鹿野郎のことです。 ◇また、「匹夫罪なし璧を懐いて罪あり」という言葉もあります。凡人は、本来のままならば、罪を犯すことはないのに、身分不相応な財宝を手にしたために罪悪を犯し、災いを招くようになると言うような意味ですが、中国の習近平政権は、この言葉がそのままあてはまります。首相の李克強もまた「阿Q正伝」の主人公同様、誇大妄想的自尊心中毒に罹った匹夫ぶりを発揮し尊大、増長、傲慢の限りを尽している様子。 ................................................................................... ★ 中国、女王面会ごり押し 李首相訪英「撤回」と脅し 「産経ニュース(2014.6.12)」より + 記事 【ロンドン=内藤泰朗】英紙タイムズは12日、中国の李克強首相が16日から英国を訪問するのを前に、中国側がエリザベス女王との面会を求め、応じなければ訪問を取り消すと脅していたと報じた。英国は要求に屈し、女王との面会を受け入れた。同紙は「巨大投資を失いたくない英国の焦りが露呈した」と伝えた。 タイムズによると、3日間の日程で訪英する李首相は国家元首ではなく、経済協力が主要目的となる。訪英2日目の17日に女王とキャメロン首相と面会する。 同紙は、女王が英中両国の外交戦で「人質」にされたと強調。「李首相による脅迫は、英中関係がバランスを欠いたものとなっている証拠だ」と指摘した。英政府筋は同紙に、「中国人は強硬な交渉相手だ」とこぼした。 キャメロン氏は昨年12月の訪中でも、「中国の優位を示すための戦術」や予定変更に悩まされたという。同氏は訪問時、チベットを含む中国の人権問題には触れず、経済協力を優先させて関係を改善させた。 また、消息筋によると、李首相は訪英後の19日から3日間の日程でギリシャを訪問し、テッサロニキとピレウスの2つの港において中国が最大株主となる契約を結ぶ予定だ。財政再建を目指すギリシャ政府は、中国からの巨大投資に望みを抱いている。 中国はこれによって、欧州連合(EU)加盟国の港を優先的に格安で使えることになり、欧州諸国との貿易高は格段に増え、欧州での影響力も高まるものとみられている。 ................................................................................... ◇かつての大英帝国の誇りと栄光は何処へ行ったのでしょうか。「上海バンド」で犬と中国人入るべからずと中国人を蔑んできた英国の覇権は遥か昔の物語り。いまや立場がすっかり逆転、「女王陛下が出てきて俺に挨拶しなけりゃあ、英国には投資しないぞ」と脅しつけるまでに傲慢になっています。外交儀礼など中国には存在しない。 ◇中国の無礼で傍若無人な言動は目にあまり、世界の顰蹙を買っています。しかし、習政権はそれにはまったく頓着してないようで、政権批判は絶対に許さないと、今度は、香港政府も中国共産党の独裁体制下に置こうとしています。 香港市民による天安門事件に対する批判が広まったことが、原因で香港政府の自治を認めない方向に動いているようです。 .......................................................................................... ★ 中国政府が青書発表 各界「香港の一国二制度が覆される」 「大紀元(2014.6.13)」より / + 記事 【大紀元日本6月13日】中国国務院は10日、香港の高度な自治を確約する「一国二制度」に関する青書を発表した。香港は中国政府の管轄下にあり、「完全な自治権」を持っているわけではないと強調。一国二制度に関して、「香港では誤った認識が多く存在」と批評した。それに対して、各方面から、「『一国二制度』を覆すためではないか」と懸念が高まっている。 1997年の返還前に鄧小平氏とマーガレット・サッチャー氏が合意した「一国二制度」は、「北京中国政府の領域である外交・防衛政策を除き、香港は特別行政区として、自治の自由を持つ」と明記した。 返還後、こうした青書が発表されるのは初めて。 同青書は、「香港特別行政区が享有している高度な自治権は、固有の権利ではなく、最高指導部の承認に由来するものだ」と記し、「一国二制度」について、こう解釈した。「『一国』は中華人民共和国と意味する」「香港は、中国政府が直轄する地方行政区である」 また同青書は、香港の議会の決定を中国の全人代(全国人民代表大会)が覆すことができるなど、中国政府が香港に対して強い権限を有することを強調している。 香港中文大学歴史学部のジョン・キャロル教授は「典型的な中国共産党の言い回しだ」とそのやり方を批判した。 「香港基本法」でも確約されている、「香港の高度な自治権」が専門家の間で「この青書によって白紙になるのではないか」という懸念が一気に高まった。 普通選挙の実施も危うくなる 香港は2017年、トップである行政長官を選出する返還後初の普通選挙を行う予定。民主主義を訴える香港各界が長年抗議を続けた末、やっと中国政府に約束させた選挙制度である。 3年後の普通選挙の着実な実施を求めるため、市民団体はこの夏、中心部のオフィス街で平和的アピール活動を続ける計画で、22日には、普通選挙に関する民意を問う投票活動を予定している。 活動が幕開けする22日を目前に、同青書は出された。 活動の発起人の一人、香港中文大学の陳健民副教授は「我々の活動に対する警告だ」とみている。もう一人の発起人、香港大学法学部の戴耀廷副教授は「市民がさらなる行動を起こさなければ、普通選挙は実現できなくなる」と市民の支持を呼びかけた。 同青書発表の翌11日、米国務省と英国駐香港総領事館は、青書を批判した。 米国務省報道官は中国政府に対して「香港の高度な自治」という約束を守るよう求めた。英国駐香港総領事館も「香港の繁栄を持続させるには、民意が望む普通選挙の実施は重要だ」とコメントした。 それに対し、中国外交部の華春瑩報道官は12日の定例記者会見で「香港は中国の特別行政区で、香港の事務は中国の内政である。外国の干渉と指図を断じて容認しない」と両国の意見を一蹴した。 香港立法会の議員、公民党の梁家傑党首は「背筋が凍った」と同青書に関する感想を語り、「香港市民は中国政府に屈してはならない」と警鐘を鳴らした。 香港城市大学政治学部の鄭宇碩教授は「これは警告だ。すなわち、我々は、普通選挙ではなく、中国政府が望む選挙制度を受け入れるしかない」と同青書を解説した。 ベテラン評論家の鄭建中氏は「香港人にだけではなく、全世界へのメッセージだ」と国際社会の関心をよびかけた。 民主化運動「六四天安門事件」の学生リーダーで米国亡命中の王丹さんは「香港市民が青書を受け入れるなら、今後中共の奴隷になるしかない」と述べた。 .......................................................................................... (※ 以下略) 【習近平】 ■ 中国大乱の兆し 「徒然気学(2014.6.4)」より / ▼ 暗殺におびえる習近平 今年に入ってから中国軍が暴走している.南シナ海でのベトナムとの対決など,中央の統制が効かなくなっているのは明らかだ.これは習と周永康の権力闘争が原因であることは疑う余地がない. 南シナ海の問題も背景に油田開発が絡んでいる.周はもともと中国の石油閥の元締めである.今年の中国国内の最大のテーマは「周永康逮捕と粛清」である.習近平は大キャンペーンで周を追い詰めたが,江沢民一派を敵に回して逆襲を受けてしまった. ウイグルのテロなどは,ウイグル人の仕業ではなく,周一派の工作であることは疑う余地がない.下手をすると習は暗殺されてしまう.実際に身辺警護を厳重にしているらしい. (※ 中略、詳細はブログ記事で) / 日本では「集団的自衛権行使」の問題が花盛りであるが,これは枝葉末節の問題だ.中国の習体制の危機は世界にとてつもないインパクトを与える.この危機に対する策の一環が集団的自衛権行使なのである.日本のメディアは中国の裏事情を切り込まないので,相も変らぬ平和ボケ論争をしている.(※ 太字はmonosepia) 田中宇氏はこんな世界史を塗り替えるような危機をスルーして北京の提灯をもちつづけて楽しいのだろうか? 【中国崩壊】 ★ 中国政府、キリスト教会への迫害を開始? 温州市の三江教会が取り壊される 「クリスチャントゥデイ(2014.4.29)」より / 中国浙江省温州市で29日、完成目前だった教会堂が、違法建築を理由に強制的に取り壊された。 破壊されたのは同市の三江教会。地方当局が10日に撤去命令を出したことで、およそ3000人の信徒たちが教会の前に集まり、盾となって抵抗を続けていた(関連記事:「十字架が目立ち過ぎ」 強制撤去命令に中国のキリスト教会が抗議行動)。 当局は多くの警察官を動員して取り締まりに乗り出し、教会の代表者を逮捕したという。周辺道路を封鎖して、28日から複数の重機が取り壊し作業を開始。29日までに建物はほとんど解体された。 三江教会堂は信徒の献金で建設が進められ、2000人を収容する中国でも指折りの大きな教会となるはずだった。完成間近で内装工事に入っていた3月に、地元当局が突然、建築認可を超えた建物であるという理由で取り壊しを通知した。 これに反発した信徒たちは、教会を守ろうと集まり、その数はおよそ3000人に膨れ上がった。教会堂に泊まり込み、教会の周囲で礼拝を行ったり賛美歌を歌ったりして抗議していた。 (※ 以下略、詳細はサイト記事で) ■ 武力で国民を押さえつけようとする中国共産党、1億人の新しい敵を作る 「浮世風呂(2014.5.1)」より (※ 前後略) / 中国では、貧富の格差などさまざまな社会問題を背景に、都市部と農村部の双方で、キリスト教徒が急増し、その数は1億人に上るともみられている。 チベット仏教を弾圧し、法輪功を壊滅させ、キリスト教徒を弾圧する。 1951年当時のチベットの人口は約115万人。 1949年当時の東トルキスタンのウイグル人など少数民族の総人口は1200万、ウイグル人固有の資料によれば、ウイグル人の人口は2000万人前後とされている。 現在のモンゴル人は約242万人。 1999年の法輪功学習者はかるく7000万人を越えていた。4月25日、法輪功学習者1万人が天安門広場に集結し、中央政府に対し不当な弾圧をやめるよう平和的な抗議行動を起こしたのであった。時の首相朱容基は法輪功学習者の訴えに理解を示し、今後の法輪功の活動も認める方針であったという。だが共産党員を上回る7千万人に広まっていた法輪功にかねてから脅威と嫉妬を感じていた江沢民は1万人の抗議行動に激怒、法輪功を徹底的に弾圧する命令を下した。 これら迫害される少数民族と法輪功など約1億人。 それに今後はキリスト教徒1億人も反共産党に加わる。 ★■ 中国血みどろクーデター5秒前!習近平VS人民解放軍戦慄バトル 「日刊大衆 2014-04-21 [週刊大衆04月28日号]」より (※ 前後略、詳細はサイト記事で) / 巨龍・中国が揺れている。 その"震源地"は、人民解放軍だという。 「昨年3月の国家主席就任以来、習近平氏は汚職撲滅に向けて"虎も蠅も叩く"と宣言しました。中国社会に蔓延し、国民の大きな不満となっている汚職の一掃を最重要政策課題とし、精力的に取り組んできました」(在北京・日本人特派員) ただし、水清ければ魚住まず、は世の習い。 「習主席の汚職撲滅作戦があまりにも急ピッチだったため、ターゲットにされた共産党幹部や、そこに巣食う不逞の輩たちの間で、習執行部への不満がうっ積しているんです」(前同) なかでも、中国国内政治最大のタブーとされてきた人民解放軍の腐敗に、習指導部はついにメスを入れた。 「近年、軍事費はうなぎ上りで、中国初の空母・遼寧に象徴されるように、解放軍は肥大化を続け、その隙間でさまざまな不正が横行していた。そのため、汚職を禁じられた軍幹部の間で"このままでは干上がってしまう"と、習執行部への危機感が急速に高まっているんです」(同) その危機感は、いまや最高潮にまで達し、習指導部と230万人民解放軍の確執が国家体制を揺るがすまでになっているという。 【移民】 ★ 金持ちが逃げ出していく…中国「移民ブーム」の背後には【石平のChina Watch】 「iza(2013.4.11)」より / 今月4日、中国の各メディアは海外移民に関する一つのニュースを報じた。2012年の1年間、中国からカナダへ移民した人の数が3万2900人にのぼり、中国は、カナダへの最大の「移民輸出国家」となった。 実は今、中国で大規模な移民ブームが起きている。今年1月に発表された「中国国際移民報告(2012)」によると、中国現代史上3回目の「移民潮(ブーム)」が起きているという。過去2回の移民ブームと比べれば、今回は富裕層と企業家が主力である。報告によれば、1千万人民元(約1億6千万円)以上の資産を持つ中国国民の6割はすでに海外へ移民してしまったり、あるいは移民を検討している。さらに、個人資産1億元以上の富豪企業家では27%が移民済みで、47%が検討中であるという。 + 続き 中国の経済と社会を支えていくはずの経営者と富裕層による雪崩式の移民ブームは当然、国内で大きな問題となっている。先月5日に開幕した全国人民代表大会では、代表の一人である企業家の王挺革氏が、「移民による人材と富の流出は甚大で、国家がこうむる損失はあまりにも大きい」と指摘し、「一刻の猶予もなくそれを食い止めなければならない」と提案した。 世界第2の経済大国となった中国の富裕層と企業家たちが競って海外へ移民するのはなぜなのか。上述の王氏が一番の理由として挙げているのは富裕層の「財産の安全に対する心配」である。つまり、カナダなどの法治国家では個人資産がきちんと保護されているが、体制の違った中国で自分たちの財産が果たして大丈夫なのか、という心配が、中国の富裕層を海外移民へと駆り立てる最大の理由となっているのである。 もちろんそれは王氏だけの意見ではない。1月22日付の『中国企業報』は「企業家の移民潮」を取り上げた新聞記事の中でやはり、財産の保持に対する「不安全感」を企業家移民の理由の一つに上げている。高名な経済学者で北京大学光華管理学院教授の張維迎氏も最近、「中国の企業家たちに安全感がない。だから移民ブームを起こしている」と語り、政府の「反省」を求めたと報じられている。 しかし問題の根っこはむしろ、当の政府が成り立つ政治体制にある。1990年代以来、共産党政権は「社会主義市場経済」を打ち出して独裁体制下での市場経済の発展を推進してきたが、その中で党と政府から独立した企業家階層が大きく成長してきた。 その一方、旧態依然の独裁体制の下では、絶大な権力を握る政府各部門が権力をかさにきて企業家たちを食い物にし、さんざんいじめている。しかも、党と政府の力が法律を完全に凌駕している状況下では、権力はその気になれば企業家の財産と身の安全をいとも簡単に奪うことができるし、実際そうやったケースは数えきれないほどある。 だからこそ、莫大な財産を蓄積してきた企業家たちは究極の「安全対策」として海外移民へと走ってしまったのだが、彼らは身の処し方によって体制への離反を表し、いわば「社会主義市場経済」の破綻を告げているのである。 このままでは、国中から金持ちがほとんど逃げ出してしまい、独裁政権と貧乏人だけが残ってしまうという、中国自身にとっての最悪の事態になりかねない。それでは、中国の経済と社会が崩壊するのも同然である。 つまり、今まで中国に成長と安定をもたらしてきた、「独裁体制下での市場経済」の「トウ小平路線」はすでに行き詰まっていることが明々白々だ。市場経済を残して独裁体制を無くすのが、この国に残される唯一最善の道であろうが、今の習近平政権下では、大変革を断行できそうもないところに、中国の絶望がある。 【プロフィル】石平(せき・へい) 1962年中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得。 ■ 混乱の支那大陸 江沢民のあがき 「浮世風呂(2014.3.22)」より / 「昆明も香港も犯人は江沢民手先の警察」 江一派、新たな政変企む 大紀元日本 2014年3月7日 大紀元がこのほど入手した情報によると、1日昆明で起きた無差別殺傷事件も、先月末香港紙・明報の前編集長が襲われる事件も、江沢民一派が勢力下にあった武装警察を使い仕掛けたものだという。派閥重鎮の周永康氏の陥落が決定的となった今、江一派は各地で混乱を起こし、新たな政変を企んでいる。 指導部の内情に詳しい消息筋によると、昆明で起きた殺傷事件の犯人は、報道されている「新疆ウイグル分裂勢力」ではなく、江一派の手先の武装警察だという。また事件は昆明のみならず、5つの都市で同時に起こさせる計画だった。 事前に報酬を渡された「実行犯グループ」の警察らは、犯行が始まって15分後に逃走を助ける人が到着すると伝えられていた。しかし来たのは助っ人ではなく、現地警察であり、4人はその場で射殺された。16歳の女が逮捕されたのも、事件は「新疆ウイグル分裂勢力」によるものにより真実味を持たせるためだと同筋は明かした。 中央指導部も昆明の殺傷事件は江沢民一派によるものだと把握しており、同様の事件が予定されていた他の4都市では、関係メンバーは中央指導部により拘束されたという。 事件にかかわった武装警察グループは農村出身で、報酬や事件後の昇進が約束されていた。これまでも、このような「自作自演」に参加し、逃走も成功させたことから、今回も大胆な行動に出ていたという。 (※ 以下略、詳細はブログ記事で) 【中国の軍事】 ■ 突出した伸び率で軍事大国化を計る中国は実は無理をしていない~日本のメディアの分析は甘い 「木走日記(2014.3.7)」より / 各紙社説とも、「中国の軍拡が止まらない」(朝日)、「中国脅威論にも拍車がかかろう」(読売)、「経済成長が鈍っているのに、国防費は12%増と群を抜く」(毎日)、「とどまるところを知らぬ中国の軍拡には警戒を強めざるを得ない」(産経)、「総額は過去最高だ。懸念を覚えざるを得ない」(日経)と、世界の中で突出して膨張を続ける中国国防費に対し強い警戒感を示しています。 確かに「中国の国防力は防御的」との説明は全く説得力がありません。 中国の全国人民代表大会(全人代)に提出された2014年予算案の国防費は、8082億3000万元(約13兆4460億円)と前年実績に比べ12・2%膨らみました。経済成長率の目標が前年並みの7・5%にとどまる中での4年連続2桁増であります。 しかも、中国軍事費の財源全体は、表に出ている国防費の2倍以上ともいわれています。 とどまるところを知らぬ中国の軍拡には警戒を強めざるを得ません。特に尖閣諸島などへの海洋進出攻勢の裏付けとなる海軍力の著しい増強は、日本はもちろん、東南アジア諸国にも脅威であります。 (※ 資料、図表等略、詳細はブログ記事で) / うむ、たいへん興味深いことに、日本がほぼ1%で推移しているのに対し中国はほぼ2%で推移していることが見て取れます。 これは3~6%で推移している米国やロシヤ、3%前後で推移している韓国やインドよりも低い数値なのです。 中国軍事費の財源全体は、表に出ている国防費の2倍以上ともいわれていますので、このグラフでもって断定的な分析は避けるべきでしょうが、ひとつだけ確信的に判断できることは、中国がその国力に比較して突出して軍事費を膨張させているわけではないということです。 この統計数値が示す事実は、各紙社説が「とどまるところを知らぬ中国の軍拡には警戒を強めざるを得ない」(産経)という絶対的数値に対する警鐘より以上の深刻な現状を示しています。 絶対額では世界の中で突出した軍事費の伸び率を示している中国ですが、実は国力に応じた軍事費に抑制している、決して無理をしていないという事実は、私たちは深刻に受け止めるべきでしょう。 日本のメディアの分析は甘すぎると考えます。 ■ 中国広東省で大規模な売春摘発でも中国で売春がなくならない理由 「宇田川敬介のC級ニュース解説と宇田川的ぼやき(2014.2.15)」より (※ 前後略、詳細はブログ記事で) / 2014年02月10日 20時15分毎日新聞 http //mainichi.jp/select/news/20140211k0000m030047000c.html さて、記事を見る限り中国が売春従事者を逮捕したという。 しかし、よく考えてもらいたい。売春を基に中国が死刑にするか?ということはない。また中国人の女性がなぜ売春をするのかということを考えてみよう。中国の異常なまでの格差社会において刑事あ的に困窮した家族が、女性を売るということになる。 すでにこのブログで過去に書いたように、中国人の女性には「日本人と違う貞操感覚がある」というよりは。「貞操感覚がない」と書いたほうが良いのではないか。「自分の体を使って自分が金を稼いで何が悪い」という価値観を持った女性しかいないところで、身体を売るという「快楽」と「収入」を併せ持った手段があるのに、それを使わない女性は少ないといえる。 そのうえでその女性が、逮捕されるとどのようになるのか。国家らが陰謀的な解釈になる。 中国政府は、実はこの女性たちの名簿を作る。中国の場合は売春で女性側も、処罰される。その処罰は罰金と、懲役6か月となる。潮汐の場合は男性も女性も関係なく「丸坊主」にされるのである。 要するに、それまで男性に買ってもらえるように手入れした女性は髪をすべてそられ、手首に入れ墨を入れることになるのである。そのようなことで大丈夫か。当然に髪が生えそろうまで、出獄後も商売ができなくなってしまうし、刺青を入れられてしまうので、すぐに次はばれてしまう。 そこで女性は取引をする。どのような取引っか。「ハニートラップのスパイになることを約束して開放してもらい、日本人男性の部屋に入り込んで秘密を持ち出す」のである。ターゲットが政府から支持される場合もあれば、そうでない場合もある。しかし、いずれの場合も、警察官とセットで行動するようになるのだ。 今回の広東省の逮捕劇は、そのような「ハニートラップ用のスパイ」が、上野にゅーすで920人も「調達」できたと考えるべきである。 (※-mono. 誤入力多数あるように見受けられる。たとえば、「上野にゅーす」⇒上のニュース、「国家らが」⇒ここからが、「刑事あ的に」⇒経済的に、の誤打ちと見られる。) ■ 支那の権力闘争の間にも崩壊は進む 「浮世風呂(2014.1.26)」より / 大紀元 2014年1月24日 国際的なジャーナリスト組織ICIJは21日、習近平国家主席を含む中国指導部の親族らが、海外のタックスヘイブン(租税回避地)に隠し財産を保有していると報じた。同リストに江沢民一派の名がないことから、ICIJの調査元となったデータは、窮地に陥った江沢民一派が流したものではないかとの見方が出ている。 ICIJによると、カリブ海の租税回避地に設立された企業や信託の顧客リストのうち、香港を含む中国在住者が約2万2000人。その中に、習主席や胡錦濤前国家主席、温家宝前首相、李鵬元首相、故鄧小平氏といった歴代指導者の親族の名前があった。 しかし、このリストには巨額蓄財で知られる江沢民元国家主席や、元政治局常務委員の周永康氏、曾慶紅氏の親族の名がない。3人の親族はこれまで香港や海外メディアにたびたび登場し、天文学的な数字の巨大な蓄財が報じられていた。リストから3人の名が「漏れている」ことから、ICIJが今回の発表の根拠とした「250万件の文書」の出所に不審の目が向けられた。 (※ 中略) / ◆軟禁?の周永康氏、汚職1兆円超か 「死刑相当」と香港誌 2013.12.23 産経ニュース 香港誌「明鏡」(電子版)は22日、中国当局の軟禁下に置かれているとされる最高指導部元メンバー周永康氏による汚職に関わる金額が1千億元(約1兆7千億円)に達し、死刑に値する額だと報じた。 (※ 以下略、詳細はブログ記事で) ■ 中共政権はソ連崩壊を再現するか。 「スロウ忍ブログ(2014.1.22)」より / 英紙ガーディアンが21日(2014年1月21日)、中国の習近平国家主席の義兄や温家宝元首相の息子らを含む中国指導部の親族らが、タックスヘイブンの英領バージン諸島の企業に資産を逃避させていることが分かったと報じているようである。 (※ 以下引用等略、詳細はブログ記事で) / きっと宗教が目指していることは、信者が自らをロボット化させることで、共産主義社会を実現することなのだろう。キリスト教は全体主義のインキュベーターである、と当ブログでは以前にも述べている。(参考:反キリスト教) そういえば、「人類みな兄弟」などと叫んでた、全体主義者の爺さんも居たね。CIAのスパイと云われていたが、彼はきっと共産主義勢力のスリーパーだったのだろう、と個人的に考えている。 (※ 引用略) / 米国の共産主義勢力(米民主党側)には、彼の存在が好都合だったのではないかな。ところで、米国赤十字社と米民主党の関係はどうなのだろうか。 さて、中共幹部達は今、個人資産を海外逃避させることに余念が無いわけだが、こんな中国の泥船政権は一体何時まで持つのだろうか。 ーーーーーーーーーー ■ 中国の金融がまもなく崩壊する? 「田中宇の国際ニュース解説(2014.1.23)」より (※ 有料記事のため全文の引用はしない。後半の数行のみ引用。太字はmonosepia) / 中国は、実体経済が年率7%前後の経済成長をしている。米国は今年3%成長が予測されているが、実際のところ雇用の総数が大きく減り、中産階級が減って貧困層が増え、消費も落ち込んで小売業界の経営危機が指摘されるなど、実体はマイナス成長であると考えられる。中国の統計数字は粉飾が多いというが、中国の大都市の風景は数年ごとに大きく変貌している。対照的に、米国や日本などの低成長の国では、大都市の風景にほとんど変貌がないか、逆に老朽化が目立っている。過剰投資と騒がれるものの、中国は明らかに経済が急成長している。米国は、中国に劣らず経済成長や失業率など統計数字を粉飾している。それらを踏まえて考えると、金融バブルの崩壊を吸収する実体経済の成長力も、米国より中国の方が大きい。 【欧中関係】 / 【ヨーロッパ】 ■ 支那(China)にすり寄る欧州(EU) 「浮世風呂(2014.1.21)」より / 日本の菅義偉官房長官は2013年3月18日午前の記者会見で、フランスの防衛関連企業が2012年10月、中国にヘリコプター着艦装置を輸出する契約を結んだことについて、「沖縄県の尖閣諸島をめぐる安全保障環境が厳しいので、フランス政府に日本の考え方を伝えた」ことを明らかにした。 問題になったのは、ヘリからマジックハンドのような棒を船の甲板に下ろして装着し、悪天候でも船の乗組員による手助けなしでヘリが着艦できるようにする補助装置だ。パイロットの技量不足を補えるため、中国側が尖閣周辺に展開する公船や艦艇に装備すれば、ヘリの前方展開能力を向上させることができる。 欧州連合(EU)は1989年の天安門事件以降、対中国武器禁輸措置をとっている。これに対して、フランス側は「ヘリ着艦装置は民生品としても使用できるので、EUの禁輸対象外」と回答したと報道されている。 パリにあるシンクタンク「アジア・センター」の中国専門家、フランソワ・ゴッドモント氏に国際電話を入れた。 ゴッドモント氏は「EUの対中国武器禁輸の文言には『武器』と書かれているだけだ。民生にも軍事にも使える汎用品についての合意はない。ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)のデーターによると、フランスは対空ミサイルまで中国に輸出している。これは驚きだ」と話した。 (※ 以下副題のみ列記、詳細はブログ記事で) / 抜け道だらけのEUの対中国武器禁輸 軍縮の欧州と軍拡の中国 アジアに売り込む欧州の防衛産業 したたかな中国外交 ◆中国に急接近の独裁国家ベラルーシ 「スラブの兄弟」 露はいらだち ◆やってはならない対中外交 東シナ海の緊張をよそに、英国企業の売り込みに奔走 難題は米国に委ね、重商主義に走る欧州諸国 ◆中国がドイツ自動車メーカーの「楽園」に、販売拡大続く―仏メディア ◆王毅外相、ヨーロッパの雑誌に署名入りの文章を発表 ◆ソ連の軍需産業を受け継いだウクライナが中国に接近 (※ 以下略、詳細はブログ記事で) ■ 富裕中国人の中国離脱が止まらない 「ROCKWAY EXPRESS(2014.1.20)」より / 中国人富裕層がどんどん国を捨てて、海外に移住し続けている。家族と資産ともども中国から逃げている。特に最近の習近平主席の主導する腐敗撲滅キャンペーンのため、速度が速まっているようだ。 こういうことは残された大多数の中国人の怒りを買うことになろうし、またそれを生じさせた中国政府に対する反発に変わっていくであろう。こうなると、ババ抜きのようなもので、誰が最後まで残って、人民の怒りを一身に受ける事になるのか、という問題となる。 中国人が信用しているのは、政府などではなく金であるから、どんなことをしてでも金を掴む事が大切で、一旦掴んだならば、それを絶対手放さないし、それを何とかして維持しようとするから、危険となれば、自分の国を捨ててでも、資産と共に海外へ移住することになる。 愛国心のない国はいつかは崩壊していく。中国は従って、そう長くは持たないと判断できるだろう。政府・官僚の腐敗、公害、水不足などで中国は生きていくのに値しない、ないしは困難な土地に変わりつつある。大きな変化が起きそうである。 (※ 以下略、詳細はブログ記事で) ■ 駐華メディアの試練…理想に従い「退去」か妥協しての「残留か」 「ぼやきくっくり(2014.1.13)」より (※ 前後略、詳細はブログ記事で) / 福島さんによると、実はビザ発給問題は米国だけのものではなく、同時期に日本メディア数社も、新任の北京在住記者に対するビザ発給をわざと遅延させるなどの嫌がらせを受けていたそうです。 しかも、嫌がらせの類を受けることは米国よりも日本の方がずっと多い。 海外におけるメディアの力は母国の国力と比例しており、日本メディアは明らかに舐められているのだと。 年末のビザ更新時期になると、中国の総局・支局から東京の本社に「あまり中国を批判的に報道するとビザが更新できないので、配慮してほしい」と連絡がくるという話も、福島さんは聞いたそうです。 実際、日本メディアの場合は、ビザ発給拒否や遅延の嫌がらせを受けても、これを公にして中国に抵抗することはあまりせず、それよりも水面下で交渉し、ビザを発給してもらえるよう働きかけるのだと。 都合の悪い記事を書いた記者を帰任させたり、中国が気に入らない記事を没にしたりして、「反省」を見せることもあるのだそうです。 【従軍慰安婦問題】 ■ 【新疆従軍慰安婦】1950年代に新疆へ送り込まれた軍隊は女性不足が深刻だったので女性を騙し「兵士」で送り込み慰安婦とした 「Birth of Blues(2014.1.10)」より ーーーーーーーーーー ☆ 中国低層訪談録―インタビューどん底の世界 [単行本] 「AMAZON」より 【靖国神社】 ■ 中国軍部がクーデターに成功、習政権を乗っ取っている。東シナ海や南シナ海から、米軍を追い出す 「株式日記と経済展望(2013.12.26)」より / ≪祝安倍総理靖国神社参拝≫ (※ 中略) 安倍総理が靖国参拝をしたそうですが、ちょうど総理就任一周年に当たります。小泉総理以降は日本国の首相による靖国参拝が途絶えて、一年も持たずに総理退陣が続いた。「株式日記」では靖国神社の祟りだと書いてきましたが、300万の英霊が現在の日本を見張っている。 現役の首相や天皇陛下の靖国参拝されないのは、日本のために戦った戦死者をないがしろにする行為であり、中国や韓国は関係が無い。事実中国も韓国も当初は問題にしていなかった。しかし朝日新聞などの反日マスコミが中国や韓国をたきつけて外交問題化させた。日本国民から見れば真に情けない限りですが、大東亜戦争は植民地解放や人種差別撤廃の聖戦だったのだ。 この事は先日も書きましたが、日本は中国のプロパガンダ戦に負けている。情報戦でも中国製のソフトであるバイドウが日本のパソコンから中国情報を送っているというニュースがありましたが、日本の研究機関や官公庁が使っていたそうです。同じようにマイクロソフトのOSを使っていればアメリカのサーバーに情報が送られている事は、スノーデン証言からも明らかだ。 日本はこのように平和ボケし、て靖国参拝でも中国や韓国やアメリカのマスコミなどから批判されると日本の政治家は右往左往して参拝を控えてきた。これは単なるプロパガンダ戦であり相手の言う事を真に受けていたら政治がズタズタになる。韓国にしても銃弾を緊急援助しても謝意を示すどころが遺憾だとクレームをつけてくる。 中国の防空識別圏の問題でも、国際常識を逸脱した行為でありまるで領空を設定したような事になっている。アメリカの巡洋艦のカウペンスに対しても進路妨害するような行為を中国海軍はとってきましたが、南シナ海も領海のように外国の軍艦が入ってくれば嫌がらせをして追い出すようだ。日本の自衛隊艦船に対してもレーダー照準を仕掛けてきましたがこれも嫌がらせだ。 このような行為は、中国人民解放軍の独走によるものであり、習近平の言う事は聞かなくなってきているのだろう。薄来来に対する裁判でも地方の反乱であり、中央政府の言う事を地方は聞かなくなってきているのだろう。中央政府は軍部に引きずられるままにアメリカや日本の強硬な態度を取るようになり、経済活動にマイナスの影響をもたらしている。 中国共産党はとっくに共産主義を捨ててしまったから、イデオロギーで締め付けを行う事が出来ず、軍部の武力だけが頼りになる。その軍部も五つの軍管区に分かれていて地方共産党との一体化が進んでいるようだ。日本としては分断工作のチャンスであり経済協力でも差をつける事で分断する事も出来るだろう。 軍部の暴走行為も予算獲得のためのものであり、国防費だけは二桁成長が続いているようだ。防空識別圏でも空軍の予算獲得のためであり、米巡洋艦カウペンスへの嫌がらせも海軍予算獲得のためのアピールであり、尖閣問題も緊張を高める事で軍部の発言力が増す。このように見れば中国も北朝鮮化してきて軍が主導権を取り習近平も金正恩も軍部の飾り物になっている。 中国から見れば、南シナ海や東シナ海からアメリカを追い出してしまえば、韓国や台湾や日本は中国の手に落ちるだろう。だからアメリカはタカ派の安倍総理を立てて特定秘密保護保安や軍拡などを進めさせて中国を牽制するようになってきた。だから安倍総理の靖国参拝でも容認のサインが出たから参拝したのだろう。それだけ中国は強硬姿勢で出て来るものと見るべきだ。 【経済格差】 ■ ■[中国]天安門前自爆事件の背景にある民族格差は氷山の一角~中国の経済格差は国家体制を揺るがすほどの危険なレベル 「木走日記」より (※ 前略) / 「貧富の格差」中国234倍 一段と深刻化 上海支局長・河崎真澄 2013.9.29 12 59 ■不満爆発と社会不安に懸念 中国経済のアキレス腱(けん)である「貧富の格差」が一段と深刻化している。北京大学の中国社会科学調査センターの調べでは、世帯所得で上位5%の富裕層と下位5%の貧困層の年収格差が、2012年時点の全国平均で234倍に達した。2年前の10年段階の調査では129倍だった。既得権益層とも重なる富裕層の世帯所得の伸びが貧困層を大きく上回ったものとみられる。 (後略) http //sankei.jp.msn.com/world/news/130929/chn13092913000005-n1.htm 記事によれば、社会の所得格差や不平等さを測る指標として有名なジニ係数が、中国人民銀行(中央銀行)の調査で0・61に達して関係者に衝撃が走ったのだそうです。 ................................................................. 一方、中国人民銀行(中央銀行)は昨年12月、10年段階でジニ係数が0・61に達したとの調査を発表し、関係者に衝撃が走ったことがある。 北京大学、国家統計局、人民銀行など権威的組織が、これまで国内でタブー視されがちだった所得格差問題を正面から指摘し始めたのは、昨年11月の党大会で総書記に就任した習近平氏や新指導部の意向と受け止められる。 .................................................................. ジニ係数0・61という値は、社会騒乱多発の警戒ラインは、0.4と言われておりますから、異常値と言ってよいでしょう。 ちなみにOECD諸国では、日本が0.329、ドイツが0.295、アメリカが0.378などとなっております。 (※ 中略) / 中国中央政府は北京の天安門前自爆事件を「テロ」問題として国際的に宣伝し独立派を封じ込めようと躍起です。 しかし彼らが本件で真に恐れるのは、この事件が、深刻な経済格差で爆発寸前までに充満している漢民族の一般大衆の不満に引火することでしょう。 平等が謳い文句の共産主義国家であるのに、中国のジニ係数0.61とは皮肉なことです、異常な数値です、異常な富の偏在です。 中国の拡大する格差問題は、国家体制を揺るがすほどの危険なレベルです、大衆の不満がいつ爆発してもおかしくない水準に達しています。 日本としてもこの問題を軽視すべきではないでしょう。 天安門前自爆事件の背景にある民族格差は氷山の一角だということだと思います。 ■ 首都北京の政治中枢でのウイグル族自爆テロの衝撃 「木走日記(2013.10.29)」より (※ 前中略、詳細はブログ記事で) / うむ、「容疑者の名前はウイグル族など西域の少数民族に多いもので、4台の車はいずれも新疆ナンバー」とあり、今回爆発したのは1台だけですから、当然公安当局は連続テロの可能性を危惧しているものと思われます、「宿泊施設に対し、10月1日以降の宿泊者や車両を調べ、容疑者の手がかりが見つかればすぐに報告する」ように求めています。 朝日記事にも「当局はメディアには情報統制を敷き、動揺の拡大を抑え込む姿勢」とありますが、当然ながら中国国内メディアはどれも当局が用意した「天安門で交通死亡事故」という地味な事実報道に徹底、一方、事実を押さえ込むために、NHK国際放送の視聴を制限、長安街を封鎖、AFP記者ら一時拘束、ネット投稿次々削除と、徹底した報道管制が取られています。 / ウイグル族による自爆テロだとの可能性が高まったわけですが、もしそうならばこの一ヶ月で中国当局が特殊警察部隊を投入して中国新疆ウイグル自治区でウイグル族15人を射殺するという弾圧を行ったことに対する「報復行為」という推測も可能かもしれません。 / 中国共産党政府の中枢中の中枢、首都北京の全国人民代表大会(国会に相当)などの議場として用いられる人民大会堂の真ん前にある天安門広場、その毛沢東の写真にめがけて「自爆テロ」が炸裂したわけです。 共産党指導部は大きな衝撃を受けていることでしょう。 経済格差の拡大やチベットやウイグルにおける少数民族の抑圧問題などで、中国各地では年間数万件という暴動やデモが頻発して治安が悪化してきたのですが、これまでは地方都市がおもで警戒の厳しい首都北京では発生していませんでした。 その点でも今回の首都北京の政治中枢でのウイグル族自爆テロが発生したことは、強い衝撃を共産党指導部に与えたことでしょう。 当局は徹底した報道管制とウイグル独立派組織への弾圧を強化するものと思われます。 天安門でのテロ発生、赤っ恥をかかされた中国・習近平指導部の動向に注目です。 ■ 支那のあがきが深刻化、日本は油断せず対処が必要 「浮世風呂(2013.10.21)」より / 日本では報道されない「中国の孤立化」 このところ中国の危機が深刻化してきたようです。相手によって強腰外交と揉み手・ゴマ摺り外交を使い分ける“カメレオン外交”、歯止めが効かない経済成長率鈍化、点火寸前の債務危機、中央・地方政治の腐敗蔓延と国営事業との癒着…。挙げればキリがありません。 共産党独裁では、自浄作用が全く期待できませんので、このまま推移しますと、ソ連崩壊の辿った道へと迷走する可能性が高まってきたとも言えそうです。 そして、近隣アセアン諸国やアフリカ各国からは、冷ややかな目が注がれ、警戒のノロシが上がり始めているようです。なぜか日本のマスコミ報道ではあまり目にしませんが、欧米やアジア主要国では「中国の孤立化が始まった」との記事をよく見かけるようになっています。 中国は一見経済大国に見えますが、日本と大きく違うのは、国債を市中消化できる個人金融資産が極端に小さく(日本がGDPの3倍もあるのに対し、中国は半分しかない)、経済規模に見合うだけの財布の大きさと中身を持ち合わせていないということです。焦げ付きを被るのは国有銀行が中心なので、一気に金融恐慌に転落するリスクが高いのです。 アメリカの論評によると、中国におけるシャドーバンキング(銀行の簿外取引を通じる委託貸付)は、ここ数か年で爆発的に拡大し、一説に30兆元(約500兆円)にも達しているとされ、中国バブルの元凶と言われています。米国発“サブプライムローン現象”の再発がもはや不可避だと警告を発しています。 また中国では、ほとんどの製造業大手が供給過剰に陥っていて、企業の復元力も弱体化しています。人件費がここ数年で150%にも跳ね上がり、元高も災いして、売り上げが軒並み3割前後も激減。人民元決済を求めようとしても、国際通貨の資格を有しない元では、ほとんど受け入れてもらえないジレンマに陥っています。 中国経済が「張子の虎」であったことを知らされる世界経済は、一時的に打撃を食らうでしょう。ただその一方で、中国需要の減少に伴う資源価格の下落は、日本をはじめアジアや欧州の資源輸入国には追い風となり、世界経済にとって正常化へのステップとなることも期待できそうです。 (※ 以下略、詳細はブログ記事で) ★ 毛沢東の孫娘が富豪ランクイン、胡錦濤の長男が政界入り…、先鋭化する中国指導部「特権階級化」 「産経ニュース(2013.7.9)」より ★ 【石平のChina Watch】中国の土地バブル崩壊の予兆 「地王」の狂気 「zakzak(2013.9.27)」より ★ 中国熔盛重工集団、8000人レイオフ 「WSJ(2013.7.3)」より ★ 中国民間造船最大手、経営難に陥る 香港市場で取引停止 「大紀元(2013.7.6)」より ★ 中韓“反日同盟”は崩壊も 漁業権めぐり大抗争! 黄海舞台に警官刺殺… 「zakzak(2013.10.11)」より ★ 失速する中韓経済のジレンマ “親日国家群”ASEANの影に怯える 「zakzak(2013.10.20)」より ★ 【断末魔の韓国経済】競合する韓国に情けは無用 対岸の火事は放置せよ 三橋貴明氏 「zakzak(2013.8.5)」より ■ 香港の最大財閥が支那を棄てる日 「浮世風呂(2013.9.16)」より (※ 長文につき、副題のみ列記。詳細はブログ本文で) / 香港の最大財閥が「中国離れ、欧州シフト」加速 / ◆鄧小平の息子が中国から1000億ドル持ち出し逃走中 / ◆李鵬の娘も国外逃亡! 家族は夜逃げ準備中 / ◆アメリカ政界と支那共産党の癒着 / ◆元紅衛兵たちの相次ぐ懺悔 毛沢東を評価する習近平指導部への危惧が背景 / ◆「警官殴り」が多発する中国 忍び寄る「乱世」と「下克上」 / ◆安眠できない中国の指導者、中国の世界支配も不可能―米メディア / ◆【中国経済崩壊】大手鉄鋼メーカー倒産 / ◆支那は孔子の名を使うが孔子の教えは使わない。 / ◆幹部の子女の75%が米国籍か永住権を取得 / ◆習近平国家主席の汚職撲滅キャンペーンは見せ掛け=元中国共産党幹部 / ◆中国経済 一段と減速の見方も ■ 今日の「中国衝撃ニュース」 「石平のチャイナウォッチ(2013.9.2)」より (※ 前略) / 中国共産党中央党校発行の「学習時報」は今日、「民衆の口を塞いではいけない」とする論評を掲載した。 今、習近平指導部がネット世論にたいする殲滅戦を始めている最中だから、この論評は明らかに、指導部に対する厳しい批判となるのである。 党校の新聞は党の指導部に反旗を翻るという前代未聞の事態が起きたのである。 「学習時報」論評はこう語る。 「いかなる時代においても、権力を手に入れれば、民衆の口を塞げると思うのは大間違いだ。 それが一時に成功できたとしても、最終的には、民衆によって権力の座から引き下ろされる」。 中国人がそれを読めばすぐに分かる。 共産党指導部にたいする容赦のない非難と警告である。 中央指導部を公然と批判した学習時報論評掲載の一件は当然、指導部自体の分裂を示している。つまり党内一部の「改革派」は、言論の自由を求める知識人や民衆と連帯して「統制派」と対抗するような構図が見えて来ているが、それはまさに89年の天安門事件前夜の党内分裂の再現だ。 ドラマは既に始まっている。 【徒然気学より】 ■ 中国バブル崩壊 最終章 2013.8.10 (※ 前中後略、詳細はブログ本文で) / クルーグマンはなかなかの毒舌だ.中国は自転車操業だと言うだけではなく,中国という自転車は壁へ激突すべく走っていると指摘した.そして壁に激突したら,中共は解体され粉砕されると喝破している. / 私は全6回にわたって,中国経済の崩壊を論じてきた.しかし,クルーグマンが指摘する通り,単なる経済動向として中国を論ずるのは視野狭窄である. 「共産史」として中国論ずるべきなのだ.そうすると,今後の中国の動向が霧が晴れるようにすっきりと見通せるようになる. 1922年にレーニンが共産国家を誕生させて90年以上が経過した.その間,あまたの共産国家が崩壊する中,「一時しのぎの資本主義化」と「ローカル的家族経営」によって中国や北朝鮮は姑息な延命をした. しかし,それも終焉を迎えようとしている.約100年の共産史に幕を閉じるにふさわしいのは,やはり中国であろう.経済の自由化と民主化は車輪の両輪である.片輪走行では,再び円を描いてもとにもどる. 中国バブルの崩壊は,単なる経済の調整期ではなく,共産史100年の歴史的意味を持つ.そのことをクルーグマンは教えてくれたのである. ーーーーーーーーーー ■ 中国バブル崩壊 その5 2013.7.27 ■ 中国バブル崩壊 その4 2013.7.21 ■ 中国バブル崩壊 その3 2013.7.16 ■ 中国バブル崩壊 その2 2013.7.15 ■ 中国バブル崩壊 その1 2013.7.13 ■ 尖閣棚上げ発言:野中広務 ★ 「民主主義は国情合わず」 中国共産党機関紙が論文 「msn.産経ニュース(2013.5.31)」より / 31日付の中国共産党機関紙、人民日報は「新自由主義にしろ、民主社会主義にしろ、こうした西側(諸国)の理論は中国の国情に合わない」とし、中国独自の社会主義路線こそが進むべき道だとする論文を掲載した。中国政府は、多党制など民主主義的制度を拒否する考えを示しているが、民主主義自体を排除する見解の表明は珍しい。 政府系シンクタンク、中国社会科学院の学者が執筆したこの論文では、共産党が打ち出している路線、理論、制度に自信を持つよう繰り返し強調。インターネットの普及などにより価値観が多様化する中、一党独裁の否定につながる思想が広がることへの危機感が背景にありそうだ。 論文は「中国は近代以降、世界中の代表的な理論、学説、主義をほとんど試してきたが、成功しなかった」と主張。民主社会主義などが「中国人民の根本的な利益につながらない」と指摘した。(共同) ■ 6月1日(土)のつぶやき 「国際情勢の分析と予測」より / 「民主主義は国情合わず」 中国共産党機関紙が論文 - MSN産経ニュース 民主主義は愚かな大衆を扇動して革命や内乱によって国際金融資本が外国を混乱させ乗っ取るための手段。中国が民主化されていないことは全世界の福音であり希望。 (※ 太字はmonosepia) 【インフルエンザ】 ★ 中国の研究者、豚と鳥インフルエンザウイルスを交配 世界から批判を浴びる 「The Voice of Russia(2013.5.4)」より / 中国の研究者たちは、インフルエンザの新たなワクチンを製造する決定を下した。研究者たちは、新たなワクチンを製造するために、鳥インフルエンザウイルス株と豚インフルエンザウイルス株を交配させた。学者たちによると、実験は成功した。だが、なぜそのような実験が必要だったのかは不明。 この「ハイブリッド」研究の価値は、疑わしい。ウイルス株が実験室から一般社会へ侵入しないという保証はない。研究者が感染し、そのあと感染が広がる恐れがある。中国のウイルス学者たちは現在、外国のウイルス学者たちから多くの批判を受けている。 ★ 四川地震、一夜明け死者162人、負傷7000人近くに 「日本経済新聞(2013.4.21 10 06)」より / 【重慶=大越匡洋】中国四川省で20日朝に起きたマグニチュード(M)7.0の地震では、21日朝までに死者が少なくとも162人に上り、負傷者は6900人を上回った。中国国営テレビなど中国メディアが伝えた。被災地では余震が続いており、多くの被災者が屋外のテントなどで不安な夜を過ごした。 国営新華社によると、中国地震局は21日午前6時(日本時間7時)までに、M3以上が65回など、計1千回を超える余震を観測した。被災地では多くの建物が倒壊しているほか、土砂崩れで道路が遮断されている場所なども多く、二次災害の恐れも懸念されている。 中国当局も人民解放軍、武装警察、消防などを総動員し、救助・救援活動に当たっている。震源地の雅安市蘆山県には李克強首相も入り、陣頭指揮。中国メディアは李首相が21日朝、テントの中でかゆなどの朝食をとる姿を報じている。 ーーーーーーーーーー ★ 救助活動「支援の用意」=中国・四川地震で米政府 「時事通信(2013/04/21-09 56)」より / 【ワシントン時事】ケリー米国務長官は20日、中国四川省で起きた大地震に関し、国際的な災害救助活動を「支援する用意がある」と表明した。長官は声明で、多数の死者が出たことに「米国民と共に心から哀悼の意を表する」と述べた。 ーーーーーーーーーー ★ 安倍首相、中国にお見舞いメッセージ 「TBSニュース(2013.4.21 )」より / 中国・四川省の地震を受けて、安倍総理は習近平国家主席や李克強首相に対し、お見舞いのメッセージを出しました。 外務省によりますと、この中で安倍総理は犠牲者やその家族に哀悼の意を表すとともに、日本として最大限の必要な支援を行う用意があることを伝えました。これに対し、中国側からは感謝の意の表明があったということです。 【SARS】 ■ 中国は、鳥インフルが出たら治療せずに生きたまま焼き殺す 「二階堂ドットコム(2013.4.9 00 06)」より (※ 前略) / 北京のある医療学校の学生によると、数年前、学校の先生が授業中に“SARSの時、多くの患者が生きたまま火葬された”と話していたそうです。 北京の衛生学校学生 「当時北京のSARSは深刻な状況で、もう希望がないがまだ息のある人で、つまり生かしておくと、ウィルスを発散する人をそのまま火葬場に送り、火葬しました。まだ息があるのに、そのまま始末したのです」 北京市民の龐(ほう)さんは、北京のある病院の看護師から聞いた話を聞かせてくれました。それによると、当時SARSに感染したある共産党員が、自分は古い党員だから火葬しないでと叫んでいたものの、そのまま炉に入れられたそうです。 北京市民 龐さん 「病院の疫病の処理方法とは?全部燃やすそうです。ある爺さんを燃やすとき、彼は古い共産党員でしたが、布団で包んで炉に投げ入れられました。共産党の邪悪さと言ったら、生きたまま焼き殺したのです」 龐(ほう)さんは、SARSが最終的になくなったのは、このように全部焼き殺したからだと述べます。 北京市民 龐さん 「疫病にどのように対抗したのかというと、人を生きたまま焼き殺したのです。それで最後には『疫病と戦い、偉大な勝利を獲得した』と言うのです。どのようにして勝ったのですか?人を生きたまま焼き殺し、疫病に勝ったのです」 広東省深セン市公安局のSARS死亡者処理チームの警官も “病院はすでにSARS患者の処理には関わらない。この仕事は軍と警察部門が受け継ぎ、死者は軍隊が焼却を行う”と漏らしたことがあります。 ■ 全国人民代表大会開催中、新疆でウイグル民族が漢民族を無差別殺害 「Birth of Blues(2013.3.10)」より / 対話や愛や憲法9条で解決出来れば本当にいいのですが、結果論として地下資源さえなければ、このような大規模な民族浄化はなかったかも。 そして脳天気な沖縄が渇望する地上の楽園のその先にあるものは、陰茎を切り取られた男性と、漢民族種付け専用家畜の女性と、高タンパク質な食料となった子どもたち。 (※ monosepiaは最初の1分15秒までしか見ることが出来ませんでした。) 新疆で漢民族襲撃事件 全人代開会中、新体制に打撃も :日本経済新聞 2013/3/8 19 54 【北京=多部田俊輔】中国新疆ウイグル自治区政府は8日、コルラ市の繁華街で7日午後3時にウイグル族が漢民族を襲って4人が死亡し、負傷者も出る事件が起きたと明らかにした。コルラは中国国有大手、中国石油天然気集団(CNPC)の「企業城下町」。経済格差の拡大が社会不安につながっている。 北京では全国人民代表大会(全人代、国会)が開かれており、自治区トップの張春賢党委書記が7日の記者会見で、ウイグル族の独立運動について「依然として深刻だが、(治安)情勢は好転している」と述べたばかり。今回の事件は習近平最高指導部にも衝撃を与えるのは確実だ。 香港紙などによると、ウイグル族3人が刃物を持って漢民族を襲い、7歳の児童を含む4人を殺害。治安当局は3人のうち1人の身柄を拘束するとともに、付近の交通を封鎖。新疆の治安当局は自治区全域で厳戒態勢を敷いた。 コルラは中国の原油・天然ガス生産量の1~2割を占めるタリム油田の拠点。CNPCで働く漢民族の富裕層が高級住宅街に住み高級車を乗り回す一方、ウイグル族の大半は石油業に就けずに所得は低迷。「ウイグル族が持っていた石油資源を漢民族が奪っている」(ウイグル族の男性)との不満がたまっていた。 新疆でウイグル族の独立運動が顕在化するのは1990年ごろから。ソ連崩壊で民族意識が高まったほか、中国政府による油田開発や漢民族の大量移民による農地開発で、土地を追われるウイグル族が続出していた。 ■ 中国のジニ係数が本当に「0・62」なら、革命が近い - GDPの48%をしめる不動産投資、天も懼れぬ不公平な分配 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み(2013.2.15)」より (※ 下線、太字はmonosepia) / 中国は「革命前夜」の様相を示してきた。 それゆえに軍事的緊張を意図的に作り出す習近平政権の裏の狙いは国民の不満の行き先を「日本が悪い」とすり替える壮大な陰謀である。 冷静な報道で知られる英紙「フィナンシャル・タイムズ」には中国語版がある。その華字版がこう表現した(2月14日付け)。 「軍事対峙増加中日擦槍走火風険」(軍事的対立関係は日中間の軍事衝突に陥る危険性が増している) (※ 中略) / 四川省成都にある西南財経大学が調査した結果「ジニ係数」は0・62だった。 ただちに中国国家統計局は反論し、中国のジニ係数は0・43と訂正したが、誰も信用しなかった。 なにしろ「あれは誰も信用していない」と発言したのは李克強(次期首相)その人であり、この醜態的発言をウィクリークスが暴露した。 中国のジニ係数は異常値であり、「一般的には0・4だと暴動が頻発し、0・5を越えると革命がおこる」が、すでに「革命水準」を超えて中国のジニ係数が0・6を越えているのだから、今後どうなるのか? (※ 中略) / さて。 実態として「中国のGDPは実質的にマイナスとなっており、表向きの発表と実態とは巨大に乖離している。最近は貨物輸送量で計るという方法があるが、アメリカの学者は偵察衛星による光の量が決めてである」と専門家はいう。 つまり光の量が低いのはモノが動いておらず、あちこちに在庫が貯まっている証拠であり、くわえて大気汚染が凄まじく、全土が「アラル海化」(湖が砂漠化)するという恐怖のシナリオが日々進んでいる。 すでに中国から「直接投資」として流れ出したカネは2011年が652億ドル、12年が688億ドル。このうち56%が一度香港へおくられ、そのごケイマン、バージン諸島へ流れ込んでいることが判明している(間接投資は含まない)。 それなのに中国へまだ進出を続ける日本企業。あのヤオハンの教訓がまったく生かされておらず、日本企業は最終的にいかなる撤退劇を演じるのか? 【「南方周末」事件】 ■★ 報道の自由には程遠い「南方周末」事件の顛末:ジャーナリズムが聞いて呆れる~中国株式会社の研究 「JB press(2013.1.11)」より / 週世界のマスコミは、広東の週刊誌「南方周末」の新年社説が、同省共産党委員会宣伝部からの圧力で「すり替え」られた事件を大々的に報じた。不思議なことに記事の多くは、同事件が中国における「報道の自由」を求める動きの一環であるかのように捉えている。 中には「中国のジャーナリストは検閲との戦いに勝てるか」と題する(およそ的外れな)記事まであった。筆者の見立てはちょっと違う。こんなものはしょせん、共産党「党内派閥」同士の軋轢に過ぎないと思っているからだ。 というわけで、例によって、今回も筆者による独断と偏見を御紹介しよう。(文中敬称略) (※ 以下長文にて中略、記事本文を。) / 同じ穴の狢 結論を急ごう。「南方周末」の裏には宣伝部系の厳しい取締りを必ずしも快く思わない「改革派」の大物がいるはずだ。一方、広東省宣伝部の背後にも劉雲山・政治局常務委員を筆頭とする宣伝部閥が控えている。要するに、これは共産党版「コップの中の嵐」なのだ。 今回の事件の本質は、残念ながら「報道の自由」と「検閲」の戦いなどではなく、党内「改革系」と「宣伝部」閥間の泥仕合であったと筆者は見ている。もちろん、放置すれば言論の自由をめぐる大問題に発展しかねない。だからこそ、胡春華は早期幕引きを画策したのだ。 今回、地方宣伝部のトップが独走したのか、それとも中央宣伝部からの直接の指示だったのか、真相は分からない。しかし、宣伝部関係者が判断を誤って、検閲をやり過ぎ、逆に墓穴を掘ったことだけは間違いないだろう。 果たして、騒ぎは管理可能な「新聞界」を越え、一般大衆の知るところとなり、情報は瞬く間に全国に広がった。胡春華はやりたくもない仲介を余儀なくされ、ネットでは政府批判が炎上し、結果的に、共産党による検閲と情報管理の馬鹿馬鹿しさが全世界に晒された。 これが、世界に名だたる中国共産党の中央宣伝部の実態とは到底信じられない。しかし、どうやらこれが現実のようだ。「驕る平家は久しからず」、「目糞鼻糞を笑う」とは、まさにこのことではなかろうか。 ■ 中国を荒らしたがっているのは誰だ? 「ネットゲリラ(2013.1.9)」より / ユダ金が、中国を食い物にしようと狙っているわけだ。スカイヲーカーさんちに出ているんだが、 多国籍超巨大資本にとっては、財政破綻している債務超過国家である米国などは、もはや味のなくなったガムのようなものなのだ。次なる獲物を見つけおいしい羊を調理したい。そういうことなんだろう。おいしそうな子羊の群れ・・それは・・中国だ。多国籍超大資本は新規市場開拓としてターゲットになる中国に兵を派兵するだろう。つまり、これからは中国大陸で戦争をおっぱじめるということだ。スケジュールとしては、2020年を目標に中国共産党を排除し「民主化」を実現させる。その前段階で中国内で民衆による大暴動を実現しなければならない。その前兆が昨年からの中国大暴動騒動なのだ。 今のところ、中国共産党が頑張ってるので、白人どもはなかなか中国の奥深くまでは入り込めない。日本人は、人種的にも文化的にも中国人の「亜種」みたいな存在なので、ぬけぬけと入り込める。既に「倭僑」と呼ばれる連中まで出て来たようで、昔からそうなんだが、中国が「解放」を始めると、日本人が暗躍するw で、 (※ 以下略) ーーーーーーーーーー ■ スカイヲーカー様のご託宣 2013 「世界大混乱へ」 「超高層マンション スカイヲーカー(2013.1.8)」より (※ 前略) / すなわち、新自由主義社会の到達点とは、超巨大資本による市場独占を意味する。ほとんどの富を市場から吸収した超大資本は国家権力を超越することになる。実際に巨大多国籍企業の資本力はほとんどの小国家を飲み込み王族を排除し、巨大資本にとって都合のいいルールである「民主化」と「自由競争社会」を作るようになる。つまり、米国の財政問題というのは、米国という国家が巨大多国籍企業にとって甘いエサではなくなってきたことを意味している。多国籍超巨大資本にとっては、財政破綻している債務超過国家である米国などは、もはや味のなくなったガムにようなものなのだ。次なる獲物を見つけおいしい羊を調理したい。そういうことなんだろう。おいしそうな子羊の群れ・・それは・・中国だ。多国籍超大資本は新規市場開拓としてターゲットになる中国に兵を派兵するだろう。つまり、これからは中国大陸で戦争をおっぱじめるということだ。スケジュールとしては、2020年を目標に中国共産党を排除し「民主化」を実現させる。その前段階で中国内で民衆による大暴動を実現しなければならない。その前兆が昨年からの中国大暴動騒動なのだ。 (※ 以下略。ブログ本文を。) ★ 北京有力紙の社長、辞意表明 共産党寄り社説転載に抗議 「47ニュース(2013.1.9)」より + 記事全文 【北京共同】中国広東省の地元紙、南方週末の記事を当局が改ざんした問題で、北京の有力紙、新京報の社長が、報道が政府の方針から逸脱することを批判した共産党系紙の記事を転載するよう命じられたことに抗議し、辞意を表明していたことが9日、分かった。中国メディア関係者が明らかにした。 党中央宣伝部は7日、国内の報道機関向けの緊急通知を出し、体制に公然と歯向かえば「必ず敗者となる」などと騒動を批判した党機関紙、人民日報系の環球時報の社説を転載するよう指示。国内各紙は8日付から掲載を開始した。 ◆ 中国で間もなく革命が起こる模様 共産党政府、一瞬で崩壊し幹部全員処刑 まるでチャウシェスクやで 「2ch(2013.1.9)」より / 記事保護〔unkar〕 【アジア】 中国を取り巻くアジア情勢に関する今後のシナリオ --- 中谷 孝夫 「アゴラ(2012.11.22)」より (※ 前略) では、これだけ矛盾を内包している中国を中心にして発展しているアジア情勢の考えられる幾つかのシナリオを検討してみよう。 (※ 小見出しのみ引用) 1 「自信過剰で暴走し、崩壊する中国」 2 「自信過剰だか、大戦を回避しつつ、摩擦だけを続ける中国」 3 「自信過剰だが、経済的な問題から、理性的に判断する中国」 4 「理性を失い、アメリカと覇権を争い、直接戦闘する中国」 5 「経済問題で行き詰まり、政治的に内部崩壊する中国」 6 「地域差が大きすぎて、幾つかの小国に分解する中国」 7 「経済バブルが顕在化して、ゼロ成長化する中国」 8 「南北朝鮮紛争が勃発して、中国がその紛争に巻き込まれるシナリオ」 9 「中国と韓国が協同して、日本を攻撃するシナリオ」 10 「中国対アメリカ、フィリピン、ベトナム軍による海戦」 11 「中国とベトナム、カンボジア軍が水資源で戦争するシナリオ」 【アジア】 ■ シナの新パスポートに台湾景勝地や南シナ海 「日本が好きな人のブログ(2012.11.24)」より ーーーーーーーーーーーーーーー ■ 「中国の新パスポート、台湾や南シナ海が自国領かのような表記」共産党のなりふり構わぬ侵略計画にインドやフィリピン、ベトナム、台湾が激怒 ASEAN全てを敵に回す支那の愚かな帝国主義 「News U.S(2012.11.25)」より ★ 中国 新旅券に係争地記載 台湾やベトナムなど抗議 「毎日jp(2012.11.24)」より 中国が最近発行した新旅券(パスポート)に、台湾の観光地の絵が使われ、中国の領土であるかのように扱われていたり、周辺諸国との係争地を中国領とする地図を記載したりしていることが分かり、台湾やベトナム、インドが23日までに、相次いで抗議した。 このパスポートには南シナ海の大半を自国領とする地図も記載されており、領有権を争うフィリピンが22日、中国に抗議したばかり。 台湾行政院(内閣)で対中政策を主管する大陸委員会は23日、「絶対受け入れられない」と抗議する声明を発表。(共同) ーーーーーーーーーー ★ 中国、新規発行旅券に台湾名勝地 台湾当局「受け入れられない」 「iza(2012.11.23)」より 【台北=吉村剛史】中国が新規に発行した旅券(パスポート)の中に、台湾の名勝地のイラストが含まれるなど台湾が中国領のように扱われていることが分かり、台湾の対中国政策を担当する行政院大陸委員会は23日、「断じて受け入れられない」などとする声明を発表した。中台の現状維持に反する行為として台湾では警戒感が広がっている。 大陸委員会や台湾メディアの報道によると、中国の新旅券には天安門や万里の長城などとともに、台湾中部にある湖の日月潭(たん)や、東部の清水断崖など名勝地のイラストが含まれていた。 このため同委員会では「努力して築いた相互の信頼の基礎と、台湾の2300万人の感情を傷つける行為」とし、台湾側の法に基づく「主権」や「領土」の観点から「中国大陸当局は両岸(中台)分治の事実を正視すべきだ」などと主張した。 この中国の新旅券は、南シナ海の大半を自国の領海とする地図も記載しており、南沙(英語名スプラトリー)諸島などで領有権を争うフィリピン、ベトナムの両政府も23日、中国に抗議している。 ■ 世界を騒がすコレラ・南京虫・多剤耐性菌の起源は同じ場所? 「Darkness of ASIA(2010年11月3日)」より ● アジアのコレラは「インド・コレラ型」と言われており、インドが震源地である。そしてそのインドコレラが常住している場所も分かっていて、それはまぎれもなく、あのガンジス川そのものである。 ■ 中国崩壊シナリオ―亡命中国人問題発生の予感 「万国時事周覧(2012.11.15)」より 誰もが、中国の将来を危ぶむ中、温家宝首相の海外蓄財疑惑をはじめ、”裸官”の実態も報じられており、実際に、”その日”を迎えますと、政府高官は、こぞって中国から逃げ出すことが予測されてもいます。追われるように祖国を後にした亡命中国人には、果たして、どのような運命が待ち受けているのでしょうか。祖国の裏切り者となるのですから、簡単には、帰国はできないはずです。準備していたリッチな邸宅で、自由な海外生活を満喫できると期待しているのでしょうが、隠れて海外に移した資産も、新政権が成立すれば、資産凍結や、返還を求められるかもしれません。そして、アメリカをはじめ、移住先の諸国もまた、亡命中国人をめぐり、新たな火種を抱え込む可能性もあります(日本にも影響が?)。 【イギリス】 ★ ロンドン名物の黒塗りタクシー、メーカー経営難で窮地に 「ロイター(2012.10.23)」より ロンドン名物の黒塗りタクシーを製造する英自動車メーカーのマンガニーズ・ブロンズ(MNGS.L 株価, 企業情報, レポート)は、経営難を乗り越えるための資金調達が不調に終わり、管財人を指定する手続きに入ったと発表した。 「ブラックキャブ」の愛称で知られる同社のタクシーは1948年から製造されており、60年以上の歴史を持ったロンドンの象徴的存在でもある。 ■ カネ目当てにシナと組むと結果死ぬ。経団連の豚も死ね! 「二階堂ドットコム(2012.10.30)」より ーーーーーーーーーーーーーーーー ■ イギリス(中国出資で不良品増加>倒産) 「NEVADAブログ(2012.10.30)」より ロンドンの黒色タクシー製造会社が経営破たんしましたが、その原因はこの黒色タクシー製造会社である【マンガニーズ・ブロンズ】社が中国企業に部分買収され、部品が中国製に変わった途端に故障等が急増し、10月12日には新車種400台のリコールと販売停止を発表し、とどめを刺された形になったものです。 中国製の品質の悪さで経営破たん事例は初めてかも知れませんが、今後、中国製を排除するという動き、即ち、『チャイナフリー』運動が製造業で始まるかも知れず、苦境に陥っています中国経済がさらに悪化することにもなります。 レアアースでも日本が主導して『チャイナ・フリー』を行い、結果として当該レアアースが暴落し、中国のレアアース会社が倒産する事態になってもおり、更にいろいろな分野でも『チャイナ・フリー』運動を起こし、中国に「目覚めさせる」ことが必要だと言えます。 戦争を避けるためには、中国側のオピニオンリーダーの動きがカギになり、そのためにはさらに中国を経済的に追い詰める動きをするべきだと言えます。 ■ 20年後の支那は、世界で最も貧しい国 「ねずさんの ひとりごと(2012.9.22) 」より 今年の7月5日付の新唐人ニュースに、クリントン米国務長官がハーバード大学で演説した内容というものが、掲載されました。 ご存知の方もおいでかと思いますが、その内容というのが、 「支那は20年後、世界で、最も貧しい国になる」 というものです。 この報道が、ほんとうにクリントン女史の演説内容であったかどうかはわかりません。 根拠は (1)移民申請の状況から見て、中国9割の官僚家族と8割の富豪がすでに移民申請を出した。 (2)中国人は社会の個体として、国家と社会に対して負うべき、責任と義務がわかっていない。 (3)中国は世界で数少ない信仰のない恐ろしい国で、全国民が崇拝するのは権力と金銭のみだ。 (4)中国政府の所謂政治は人民を騙し人間性に背く以外の何物でもない。 (5)大多数の中国人は「面目が立ち」、「尊厳のある生活」とは何か全くわかっていない。 (6)憚ることのない環境破壊と資源の略奪、贅沢と浪費の生活方式は何個の地球だと供給できるのだろか? すこし厳しい言い方をしますが、戦後日本もまた、上記(1)〜(6)の毒に染まりきっているかもしれません。 染まりきったらどうなるか。 20年後には、支那と同じで、日本も世界の最貧国です。 ■ 共産支那が革命前夜状態? 「qazx(2012.9.12)」より 昨日このブログで、共産支那の革命を恐れて、政府高官のすべてが、資産をカネに変えて支那から持ち出そうとしていると書いている記事を紹介した。 その同じ記者が、自分のブログ上で「共産支那に革命の恐れ」があると書いている。 しかし、それにしても、日本マスコミの反応は鈍い。薄熙来事件が何を意味するのかさえ、日本の新聞では、踏み込んだ解説記事を読んだことが無い。 ネット上では普通に、それが共産党独裁の体制危機になりかねないと言う解説をしているのが見られる。 日本の新聞記者は、自分で資料を集めて、その資料を基に記事を書くと言う訓練ができていないのであろうか。 ーーーーーーーーーーーー ■ 中国の革命リスク 「今日の覚書、集めてみました(2012.9.11)」より 中国共産党上層部内のゴタゴタは、天安門事件までに繰り広げられたそれよりをも上回る酷さです、とチェン博士は言いました。 また「革命」へと陥る危険性があるそうです。 チェン博士によれば、今、経済的信頼感を蝕んでいるのは、政治モデル崩壊への危惧だそうです。 「この正当性の危機は1989年よりも酷い上に、中国共産党始まって以来最悪の危機かもしれない。人民は対処に失敗すれば革命につながりかねないと不安を感じている」 中国政府の情報筋によると、薄熙来だけで13億ドルを横領したそうですが、もっと酷いケースはあります。 チェン博士いわく、(ミスター4%として知られる)元鉄道相は28億ドルを貯め込んだそうです。 「中国史上前代未聞の、そして世界的にも他に例を見ない腐敗ぶりだ」と博士は言いました。 ■ 中国の脅威なんてない 「新・心に青雲(2012.4.19)」より ・中国の人民解放軍が軍備拡張の果てに、日本を、あるいは沖縄を攻めてくる、ということは起こりえない。だから枕を高くして寝ていればよい。 ・日本のマスゴミやジャーナリスト、大学教授どもも、ロシア、北朝鮮、中国などの脅威や危機を煽らないと商売にならないから、不安を煽っているだけのことである。 福島原発事故の放射能についても、怖い怖いを言い続ける輩は同じ類いである。そうしないと原稿を売って(あるいは講演で)カネが稼げないからだ。 ・だから先般の北朝鮮の「ミサイル発射」騒動も、放っておけば良かったのだ。大騒ぎするから、儲けたのは軍事評論家、北朝鮮専門家、それに自衛隊である。 あれは基本的には、アメリカが極東の危機を演出するために、北朝鮮に頼んでロケット打ち上げを画策したのだろう。 米軍は日本政府に、「だからさあ、俺っちが守ってやるからよお、駐留費をもっとちょうだいよおッ」という地回りと同じことを大掛かりにやっている。八百長である。 ・それから戦史に疎い方にひと言言っておくと、大東亜戦争でシナの軍隊と戦った日本軍はほとんど全戦全勝であったのだ。小さなゲリラ戦で殲滅されたことはあったかもしれないが、正規軍同士の戦いではシナ軍は一度も日本軍には勝てなかったのである。今はたしかに時代はちがうけれども、基本的な兵士の適応力はそう変わらない。支那人は近代的な兵隊に向いていないのだ。 ・今の時代に、仮に支那が日本を攻めて占領し、植民地にして思いのままに振る舞ったら、さぞ利益を得るだろうと思う人は、アタマが古すぎである。19世紀の頭脳である。 ・確かに支那は核ミサイルを持っていて、何も持たない日本にとっては数の上では脅威かもしれないが、彼らには決して日本を攻められない事情があるということなのである。 ■ 中共の崩壊に備えよ 「軍事評論家=佐藤守のブログ日記(2012.3.28)」より ・産経は民主党幹事長のことを「言うだけ番長」と書いて取材拒否されたが、「核テロ防止への国際協力」を目指す「核サミット」でも、オバマ大統領始め強がっては見たものの、何ら効果的な手は打てなかった。これも「いうだけ何とか」ではないか?金正恩の高笑いが聞こえるような気がする。 政治家、特に我が国の首相らは「命をかけて」「火だるまとなって」などとよく言うが、口に出す奴ほど「命をかけない」ことは、今日の曽野綾子女史が言うとおりであり、私は彼らを全く信じていない。前原氏のみならず、洋の東西を問わず、政治家さん方はみんな「口だけ何とか」なのだ。これは今年の流行語大賞になるのでは? ・ところで、お隣の「世界第2の経済大国」がおかしくなってきた。産経は「薄煕来氏失脚 妻、側近ら相次ぎ拘束 重慶で“粛清”始まる」として北京の矢板明夫記者がこう書いた。 (※ 略。) ・そして昨年暮れの「英国人の不審死事件」が急に脚光を浴び「中国重慶で英国人が不審死 薄氏解任関係か」と米紙が報道していると書いた。 ・中国ウォッチャーは、彼がMI6に関連していたから、昨年暮れからこの事件を注目していたのだが、今頃表面化したものである。 ところで前回香港速報をお伝えしたが、徐々に事実関係がわかってきた。 手元に届いた情報では、重慶市内に戦車が配備されたこと、3月21日には上海駅から、多数の戦車が貨車で北京に急送されたことが写真入りで報じられているという。 ----------------------------------- ※ mono注:この戦車については、巧妙なコラージュだという説もある。 ■ 北京でクーデター?物騒なウワサが中国版ツイッターで拡散 「秒刊SUNDAY(2012.3.21)」より ■ 中国で軍事クーデター? 「読書ノート2(2012.3.22)」より ☆ 網上傳言北京出事(轉貼) 「隨便聊聊(2012.3.20)」より (※ 戦車の画像7枚ほどあり。) 【中国軍】 ■ 中国人と人類はとても共存できそうにない?(2011.2.26) 「Ddogのプログレッシブな日々」より ・この元ネタは2005年に既に流れてた朱成虎少将発言ニュースですよね? ☆ 冷戦時代と異なり、危険な米中軍事対立 - 中国の長期戦略と米国の全世界即時攻撃構想(2011.2.21) 「JB-press」より ■ 「世界構造の大変革が、まもなく中国で始まる」=民主家が語るエジプト革命の啓示(2011.2.23) 「アフィリエイト・ダッシュ」より ・【大紀元日本2月21日】「ミイラは目覚めた。兵馬俑は眠り込むわけにはいかない」。最近中国のネット上でこの言葉が流行っている。チュニジアの「ジャスミン革命」を発端に、北アフリカから中東のアラブ世界に広がった民主と自由を求める民衆の巨大な力は、中国の大衆にも躍動をもたらしている。 ---------- ■ まだまだ時期尚早? 中国「ジャスミン革命」についての色々 「大陸浪人のススメ ~迷宮旅社別館~」より ・今回の「ジャスミン革命」。 中国の政治の怖さを知り、本気で政治を変える必要性を痛感している人間であるほど、こんな杜撰な…というか杜撰なだけならいいけれど、ヘタしたら罠かもしれない呼びかけに反応することはないだろう。 ☆ 中東革命、中国にも波及。米・香が革命支援に(2011.2.23)【2chスレコピペ】 「殺風景」より ★ 中国、反政府デモ抑えるためソーシャルメディアの規制を強化へ(2011.2.23) 「The Wall Street Journal」より ・中国共産党指導部は、ここ数日、中東でのインターネットを使った民主化デモが中国に飛び火することを恐れ、通称「グレート・ファイアウォール」と呼ばれる強力な検閲システムを使い、「ジャスミン」という言葉を国内のミニブログサイトから排除した。 ----------- ★ ジャスミン革命に中南海おびえる、現在は完全制圧に成功―中国(2011.2.22) 「サーチナ」より ・ネット上での抗議集会呼びかけに始まる一連の動きによって、共産党指導層の不安要素は増える一方と見られる。彼らは、中東・北アフリカ地域での反政府運動の高まりが中国に波及することを極端に恐れている。 ----------- ★ 「ジャスミン革命起きない」=一党独裁廃止要求で中国高官(2011.2.23) 「時事ドットコム」より ・中国当局は、中東情勢に触発されて中国国内に反政府デモが波及することへの懸念からインターネットなどの管理を強化しているとみられる。これに関して趙氏は「適切に管理しなければマイナス影響もある」と指摘。「ネット上に不安定をあおる言論があれば、当然軽蔑する」と語った。 ★ 民主化運動活動家、集会参加途上に襲撃され「袋叩き」と判明=広東(2011.2.22) 「サーチナ」より ・劉士輝氏は内モンゴル自治区赤峰市(モンゴル語ではオラーン・ハダー)市の出身。広州市で長年にわたり、法律関係の仕事をした。人権問題で活躍した郭飛雄氏の代理人も務めたが、2009年に当局により弁護士資格を剥奪された。 ■ 「周永康」発言に異変を嗅ぎ取る欧米メディア(2011.2.22) 「園田義明めも。」より ・中国版「ジャスミン革命」にブルブル・パンダ。神経をとがらせて必死の報道規制中。欧米メディアは「新たな方法を見つけないと大変なことになる」との中国の焦りを嗅ぎ取っているようだ。 ☆ 周永康-[Wikipedia] ・第17期中国共産党中央政治局常務委員、中国共産党中央政法委員会書記、中国共産党中央治安綜合治理委員会主任。党内序列は第9位。 ---------- ★ 流出の米公電、グーグル攻撃「中国共産党指導部が指示」=報道(2010.12.5) 「ロイター」より ・グーグルのシステムへの侵入は中国政府が行ったもので、共産党の中央政治局常務委員レベルが主導した」とされ、攻撃を統括したのが党中央政治局常務委員の李長春氏と治安当局幹部でもある周永康氏だと伝えているという。 ★ 上海で大学生ら4人を当局連行 デモ呼びかけを封じ込め(2011.2.20) 「asahi.com」より ・上海市の中心部の繁華街で20日午後2時(日本時間同3時)すぎ、民主化を求めるデモの呼びかけに応じて集まっていた男子大学生ら少なくとも4人が警察に連行された。 ・北京でも、デモが呼びかけられた中心部の繁華街に厳重な警備が敷かれ、少なくとも男性2人が連行された。 ・男性の一人が報道陣に対し、「この国には人権も法治も自由に話す権利もない。警察は好き放題、市民を逮捕する。これが中国の実態だ」と大声で叫んだ。 ---------- ★ 香港民主派が集会支持のデモ(2011.2.20) 「時事ドットコム」より ・デモに参加した急進民主派政党・社会民主連線の立法会(議会)議員は「香港民主派の各党・各派は本土の今回の動きを支援すべきだ」と述べた。 ---------- ★ 中国反体制派系サイトに攻撃=「革命」集会呼び掛けの詳報後(2011.2.20) 「時事ドットコム」より ・米国の中国反体制派系ニュースサイト・博訊新聞網がハッカー攻撃を受け、閉鎖に追い込まれた。 ★ 厳戒態勢で集会封じ込め=100人以上の外出制限、連行も-中国(2011.2.20) 「時事ドットコム」より ・香港メディアなどによると、中国各地で19日以降、活動家や弁護士、不満分子ら100人以上が外出しないよう当局者に要求され、中には警察に連行されたり、家宅捜索でパソコンを押収されたりした人もいたという。 ■ 本日の茉莉花革命は不発(2011.2.20) 「ネットゲリラ」より ・それより日本なんだが、アメリカ大使館に向かってデモしていた連中が警察と揉めて逮捕者出したようで、ソッチの方が盛り上がっているんだが、もちろん日本のマスコミは報道しません。取材にも来てないんだからw ☆ 中国 茉莉花革命失敗 4人しか集まらず? 上海で集結した学生3人と、賛同した中年1人を連行し終了 「ニュース30over」より ・(*゚Д゚) 予想通りだった ■ いよいよ「天安門事件」再びか、20日午後2時に何かが起こる? 「園田義明めも。」より ・集会が呼びかけられているのは北京、上海、天津などの13都市。20日午後2時から指定の場所に集合し、「政治改革を実施せよ」「一党独裁を終わらせろ」などをスローガンに行動するよう呼びかけており、20日に集会が成功しない場合は、毎週日曜日に引き続き試みるよう求めている。 (2011年2月19日20時04分 読売新聞) ■ いよいよ「天安門事件」再びか、20日午後2時に何かが起こる? 「園田義明めも。」より ・集会が呼びかけられているのは北京、上海、天津などの13都市。20日午後2時から指定の場所に集合し、「政治改革を実施せよ」「一党独裁を終わらせろ」などをスローガンに行動するよう呼びかけており、20日に集会が成功しない場合は、毎週日曜日に引き続き試みるよう求めている。 (2011年2月19日20時04分 読売新聞) ■ 中国とタジキスタンの領土紛争が決着 「国際情勢の分析と予測」より ・仮に今後米軍がアブガニスタンから撤退すれば、中国がタジキスタン・アフガニスタンを経由してイランと鉄道・パイプラインなどで直結する事態が起きることが十分考えられる。サミュエル=ハンチントンが著書「文明の衝突」で最も恐れた儒教イスラム連合の完成である。 ・米国のアフガン攻撃の真の目的は、イランと中国の間に楔を打ち込んで両民族の結合を阻止することであった可能性がある。だとすれば、恐らく今後数十年に渡って欧米諸国はアフガニスタンに軍隊を駐留させ続けることになると思われる。 ■ 中国軍が北朝鮮特区に進駐 「東京kittyアンテナ(@w荒」より ・先般のタジキスタンとの国境画定という名の領土割譲にしても、また尖閣諸島での妄動も、更に今回の北朝鮮への駐屯も、中国の拡張主義的動きを示すものだ ■ ついにCFRから「ゲーム・チェンジャー」のレッテルを貼られたパンダちゃん 「園田義明めも。(2010.11.1)」より ● 中国は、グローバルな規範や制度を作り替えることを目的とする対外的な積極策に打って出ている。世界が中国を変化させているように、中国も世界を変化させようとしている。責任ある利害共有者という概念はもう忘れたほうがよい。今や中国は革命パワーとしての道を歩み出しているのだから。 ■ 中国国内の権力闘争は文化大革命直前の雰囲気に似てきた、との話も。APECでの日中正常化を希望しているようだが…~時事通信2010年11月2日 「アラかん(2010.11.2)」より ● <さらに、尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権問題は「中日両国間の問題だ。米国は何度も釣魚島は米日安保条約の適用対象だと指摘しているが、これは大きな誤りだ。米国は直ちに対応を改めるべきだ」としている。> そうしないと人民解放軍が尖閣諸島を占拠できなくなるからね。米軍よ、出てくるな。これは人民解放軍と自衛隊との戦争なんだから、と言っているようなものだ。この発言の含意を仙谷官房長官はなぜ理解できないのだろう。それだけ「日中友好」という呪い札の威力は強いのか? ■ 【西村眞悟の時事通信】七月一日、我が国政府、つまり民主党の菅内閣は、中国人の我が国への入国ビザ発給の条件を大幅に緩和した。 「ねずきちの ひとりごと」より ● 1997年2月5日、支那共産党支配に抵抗し真の自治と宗教の自由を求めて、ウィグル族の老若男女が平和的なデモをしたのです。 これに対し、中共は武装した支那人民解放軍を差し向け、千人以上を拘束した。 そして拘束した男女を全裸にして戸外に立たせた。 このエリアの2月は、零下30度にもなる極寒です。 その寒さのなか、支那共産党は、全裸の男女に戸外で水をかけ続けた。 女性も子どもも含まれていた。 少なくとも200人が一晩で凍死した。 ■ シナ当局が好きな日本人 「支那豚の楽園」より ● 大前研一は日本経済界でシナ経済繁栄論を唱え、日本中で多くの中小企業が騙されてシナに進出した。しかし、儲けられない企業が殆ど。大前研一本人は、工作員かどうか知らないけれど、彼の身近にシナの工作員がいるのは間違いない。 ● シナ当局が一番好きな日本人 池田大作(在日朝鮮人という説があるが、日本で生まれ育ち日本国籍を持つため、一応日本人となる)には、「シナ人民のもっとも親密な友達」、村山、福田、鳩山前首相などには「シナに対する友好な政治家」、一党独裁のシナでは、全ての新聞、出版物に厳格な事前検閲が行われるため、シナ共産党が好きな日本人作家、或は反シナと思われていない日本人作家の作品のみ、シナで出版、販売ができる。 ■ 孤立する支那 「qazx」より ● そして欧米諸国は、このまま支那を巻き込んだままの経済的利益を追求し続けると、世界が破滅するかもしれないということにようやく気が付いたようなのだ。 .